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フジテレビの冬、言論の春。

さて、3月31日、フジテレビ会長・日枝久が辞めた。

「なんで、おれ、辞任する羽目になってんだろう」

と、日枝は思っていると思うな。

中居という、いちタレントがやらかした。たしかに影響力の大きなMCだ。でも、外部の人間だろ。そいつが性犯罪まがいのことをやらかして、それで、どうしておれが辞めなくてはならんのか、と強い酒を飲みながら反芻しているはず。悪いのは、あくまでも中居だろう。悪いのは、フジテレビの上納した社員だろう。責任をとるのは、フジテレビの社長だろう。なんで、おれまで責任をとるんだ。

じいさんよ、それは、時代の流れとしかいいようがない。

中居がやらかして、最終的に日枝まで責任を取る羽目になる。そこらへんの、直接的なつながりは、たしかに見えにくい。でも、この日枝辞任は、長い長い報道の灯のリレーの結果だったんだと思う。

それは、1999年10月、文春のジャニー喜多川報道から始まっている。

週刊文春はジャニーズ事務所創業者・ジャニー喜多川氏による性加害疑惑を「芸能界のモンスター」と題して14週連続で報じた。が、他メディアは無視。2004年の最高裁判決でジャニーズ側の上告が棄却され、高裁判決が確定。でも、文春以外のメディアはこれまた無視。大炎上かと思いきや、「ジャニーズさん、文春ごときが何いってんすかね、これからもどうぞよろしく、ま、一献」と悪代官に酒を注ぐ越後屋状態。結果、2019年7月に亡くなるまで、性加害は止むことがなかった。

当時の被害者は、この世に正義はないのか、と思ったと思う。

この報道精神あふれる清らかなる聖火リレーは、あっさり絶たれたかのように思われたが、小さな火種をつないだのは、意外にもYoutuber。そう、ガーシーである。2022年11月、カウアン・オカモトを自身のYouTube生配信に招き、ジャニーの性加害について語る場を提供。それを受けてか、あるいは偶然か、2023年にBBCがジャニーだけでなく「日本のメディアって腐ってねえか」「何黙ってんだよ」「この国おかしくねえか」と自国を棚に上げた外圧をかけて、東京新聞あたりがしれっと「単なるエンタメ企業じゃなくて公的な役目を担う企業だ」とか、今さらどのツラ下げてそんなこと言えんだ的指摘をはじめて、ようやく報道のリレーが再開される。

NHKが他のメディアが取り上げはじめて、無視できなくなったジャニーズがついに白旗をあげて、性加害を認めた。それが、2024年、きょ年の10月のこと。

文春のジャニー報道から、ちょうど25年。長いよなあ。

あの頃と違って、ジャニーズの性加害問題は個人の犯罪ではなく、組織的な隠蔽体質や構造的な問題として認識された。同時にメディアの隠蔽体質が問われ、とくに「性加害」は、超敏感な“触れてはいけないワード”になったわけだ。

それが契機になってか、去年あたりから、「性加害」の問題は、どんどん表に出てくるようになる。

ダウンタウン松本や松本に上納していた芸人、さらに、ジャングルポケット斉藤。TKOの木下とか、芸能界全体で性加害の問題がダムが決壊したかのように溢れ出す。

そして2025年、中居の性加害問題が露呈するわけだけど、その性加害が行われたとされる時期が、ジャニーズ問題で揺れに揺れまくる2023年6月。こんなときに何やってんだ、と言葉を失う最悪のタイミングで問題を起こしてることがわかる。

で、2025年3月、フジテレビ幹部は被害女性からの訴えを把握していたにもかかわらず、問題を公表せず、中居氏への聞き取り調査も行わず。被害者よりもタレントを優先する組織的な体質が明らかになる。

本当に長かったよね、25年間、積み上がった問題が溜まりに溜まっていた状態で、ぷよぷよの全消しレベルの一気に全部が吹っ飛ぶようなカタストロフィーが起きて。一番底にあった日枝まで消されたわけだ。

ぜんぶ、つながってんだと思うんだ。

文春が火を起こし、ガーシーがくすぶってた火種を拾い、カウアンが被害者として燃料を投下し、BBCが着火して、NHKとか国内メディアに燃え広がり、SNSでネット世論が松明をもって騒ぎ立て、ホリエモンや元フジの長谷川が便乗し、松本を燃やし、中居を燃やし、中居の被害者のA子さんが勇気を出して自身もろとも火の玉になって、そしてこれにまた文春が燃料を投下して、人間の恨みつらみと正義の炎が入り混じった火柱が日枝久、そしてフジテレビを焼き尽くした。

こうして点が線になった時系列を追うと、一人ひとりが正義というか怨念の灯火をつないできたことがわかる。文春いちメディアでは無力で、とりわけ被害者が勇気を出して、それこそセカンドレイプ覚悟の上のカミングアウトで、ようやくメディアが腰を上げて、時代が動いたことがわかる。

権力を監視するはずのメディアが、権力にこびるのが悪い。という結論じゃなくて、たぶん、権力にこびるメディアが前提の前輪でありつつも、個人の勇気という後輪があって、その両輪で、今、報道が前に進んでいる。

メディアと個人。組織の力と、私の言葉。どちらが正しい、とかじゃなくて。どちらも必要。どちらも揃っているとき、言論空間が生き生き駆動しはじめる感じだ。

オールドメディアによる権力監視と、SNS上で個人が自由に発信する文化が補完し合う形で機能している。人間の感情と権力構造がぶつかって、語るべき場が生まれてる。報道の民主化ってやつは、今とてもいいバランスになってきてると思う。

記者クラブの閉鎖性や報道の自由度ランキングが低いことや、文春や赤旗のような、大企業に依存しない真の独立系メディアが、これから変な力を持ち始めないか心配ではあるが。

3月31日、日枝が辞めた。とりあえず、文春の1999年からの執念に敬意を評したい。


きょうの音楽は、Pixies – Where Is My Mind?


AIがどれだけ発展しても、権力欲にとりつかれて、人は愚かなことをして、被害者が声をあげて、権力者が追い落とされる。ありきたりのカルマだよね。でも、何にも変わっていないようで、たしかに前に進んでいる感覚はある。

“Where is my mind?”

わたしの心は、どこへ行った?

と、ブラック・フランシスは歌っているわけだけど。

この問そのものが、人間くさくていい。ホモサピエンスのバカさ加減にあきれながらも、それを面白がっている自分がいる。問いを投げつづけてる限り、人はまだ、変われる。と、信じてみたい。

さて、なんだかんだで、4月である。

被害者と呼ばれた人の心に、春がきますように。


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エート・ドーシヨー 正直、なんでこんなことしてんのかなって思うこともあります。「続けていいよ」って思ったら、チップください。