見出し画像

「居場所が見つかって良かったですね」という言葉の違和感

いじめが原因で学校に行けなくなった子。
その姿を一番近くで見てきた親は、毎日苦しみながらも「この子を守らなければ」と必死に動きます。学校に相談し、訴え、それでも状況が変わらなければ、別の居場所を探すしかありません。
フリースクールを探し周り、いくつも何度も見学に行き、やっとの思いでたどり着いた場所。少しずつ笑顔を取り戻していく我が子。その姿に一旦は、救われる思いがするでしょう。

でも、ここでどうしても拭えない違和感があります。
いじめを隠蔽し、適切な対応をせず、結果的に子どもを不登校に追いやった教員が言うのです。
「居場所が見つかって良かったですね」
「私たちはずっと応援していましたよ」
「これからも、いつでも味方ですよ」

学校は、本当に味方だったのでしょうか?

もし本当に子どもの味方なら、なぜ最初に助けてくれなかったのでしょう。
なぜ、証拠や証言もあるのに、いじめをいじめとして認めなかったのでしょう。
なぜ、事実を曖昧にし、問題を小さくし、時間が過ぎるのを待ったのでしょう。
なぜ、加害者擁護に走ったのでしょう。

フリースクールが見つかり、子どもが立ち直り始めた「後」になってから、安心したように応援の言葉をかける。それは、責任から一歩引いた立場での言葉に聞こえてしまいます。
まるで「学校の外で解決してくれてよかった」と言われているようで、保護者としてはとても複雑な気持ちになりませんか?

フリースクールは、学校が果たせなかった役割を引き受けてくれた場所です。
しかし、それは本来、学校が守るべきだった子どもの居場所です。

本当に子どもの味方であるなら、
隠蔽せず、見て見ぬふりをせず、
傷つく前に、追い詰められる前に、手を差し伸べてほしい。

少なくとも「良かったですね」という言葉よりも、
「守れなくてごめんなさい」という言葉が先にあるべきだと思います。

いいなと思ったら応援しよう!