文章でしか語れない:中編
かつて筒井康隆の『大いなる助走』の装丁には、"張よ、死ね!"と書かれていたという。事情を全く知らない方々も多いだろうから、背景を話す。筒井康隆はその昔、直木賞(正式名称
は直木三十五賞)に三度候補として選ばれたことがあった。
昭和四十年代という、国内のSF小説が子どものままごとかのように低く見られていた時代であった。それを考えると、当時の文壇の二大権威であった直木賞の候補になっただけ立派といえる。それも三度もだ。当時の筒井康隆が、新進気鋭のSF作家として注目されていた証左といえるのではないか。
だが、結果は三度ともものの見事に落選した。ほぼ同時期に選考委員の一人であった歴史作家の司馬遼太郎が、
「SFの読み方には、ちょっとした工夫が必要だ」
と称して、ただ一人広瀬隆の『マイナス・ゼロ』を推しながらも受賞に至らなかったケースがある。あの時代SFそのものが直木賞を受賞するのは針の穴にラクダを通すより困難で、SF作家としては半村良の『雨やどり』(昭和四十九年)まで待たなければいけなかった。ただし『雨やどり』そのものは風俗小説・人情小説の類であるらしい。真の意味でSF(あるいはSF的なアプローチをした作品)が直木賞を獲得するのは、実に二〇二三年の小川哲(おがわさとし)の『地図と拳』までなかったというのだ。ほんの何年か前で、世は既に令和だった。驚きを通り越して呆れるしかない。
わが国の文壇、特に芥川賞・直木賞を牛耳っていた選考委員の間では、
「SFなんぞに賞はくれてやらん」
という不文律があったとしか思えない。それくらいこの不毛さは説明し難い。筒井康隆に話を戻せば。彼にしてみれば、何度となく直木賞の候補に挙げられながら選考委員の辛辣な評価と共に落とされたのだ。内心穏やかでいられるわけがない。半村良のように宗旨替えをして、SF以外の作品を発表して捲土重来という手もあっただろう。しかしそのような手を使うには、筒井という人はあまりにも鋭過ぎて感情の起伏が激しかった。彼と親しかったある文芸評論家が、筒井を評して"文壇のアントニオ猪木"と呼んだ。アントニオ猪木は良くも悪くも喜怒哀楽の激しい人で、異種格闘技というキワモノ扱いされかねない興行を巻き起こしたプロレスラーだった。ある意味、筒井康隆と似ていなくもない。
実際筒井は、彼らしいエンターテイメント精神でもって復讐を遂げた。それが前記の『大いなる助走』である。プロの小説家になりたくてもそれだけの気概や覚悟もない、ある地方都市の同人誌に籍を置いている人たちの悲哀を描いた抱腹絶倒な長編である。主人公はその同人誌に入会して間もない若手のサラリーマンで、役立たずの吹き溜まりのような同人誌の世界に戦慄を覚える。同時に周囲との軋轢を恐れずに真実を書き記せ!などといった同人誌の主宰者の言に触発されて、暴露系の企業小説を発表する。
今なら法令遵守や個人情報保護法に抵触しかねない事実まで書いてしまったので、主人公は会社を辞めざるを得なくなってしまう。追い詰められた彼は、同人誌の会合で講演をした文芸評論家のつてを頼りに東京に出てくる。幸運にも主人公の長編小説は、文壇における大衆小説の権威直井賞(明らかに直木賞を当てこすったもの)の候補に選ばれる。ただしくだんの文芸評論家には、
「あんたは受賞しなければ、確実に消えてなくなるタイプだ」
と駄目押しをされ、直井賞受賞のためあの手この手の取り入りを画策することになる。各出版社の編集者に土下座をすることは当たり前。各選考委員に賄賂を贈ったり、恋人になった同人誌で知り合った人妻の肉体を提供することも厭わなかった。しまいには同性愛趣味の老大家に、自分の尻まで差し出した。まさしくやれることは全部やった。が、主人公は落選した。それも手ひどい評価を受けてのものなので激怒した。おのれ、貴様に掘られたこの尻の痛みをどうしてくれよう。怒り心頭を発した主人公は、選考委員の皆殺しを画策し実行しようとする。
こうやってあらすじを書くとひどく荒唐無稽に映る。が、筒井の筆力にかかると主人公の狂気がある意味仕方ない、理解出来るというように読み進めてしまう。筒井康隆は正に、文章の力によって私怨を小説家志望者あるいは賞に恵まれない作家の公憤にまで物語を昇華させてしまった。世に小説家志望者・賞と無縁な作家は数多いる。そのやりきれなさを、選考委員を作品の中で次々と殺害するという手法を用いたところに、アントニオ猪木にも似た掟破りの凄みを感じさせる。これは世に出ることなく消えていった者たちへのレクイエムであり、叱咤激励でもある。お前ら、簡単に尻尾巻いて逃げるなよ。筒井康隆がサングラス越しに、鋭い目つきで問いかけているかのようだ。
ちなみに装丁に使われた直筆の原稿用紙に書き込まれたという、"張よ、死ね!"というのは松本清張を指しているらしい。当時の推理小説の重鎮で、直木賞の選考委員でもあった清張をそれとなく罵倒していたのだ。この一点だけでも、筒井康隆の恨みの深さが伺い知れる。
