魂は上下水道システム
有名人やその界隈の能力者の話よりも、市井の普通の名無さんたちが体験した不思議な話が大好きなんです。
でもそんな不思議な話の枝葉をたくさん集めて、そこからいくつかのパターン化を経て構造を見出す、他人目線でアカデミック寄りの現実的な手法を取るよりも、自分自身が体験に浴した方が早いし良いとは思っています。
人の体験は人の体験。
そしてどんな人の体験を聞いたところで、それは等しく他人からの伝聞に過ぎない。
そういう人もいる「らしい」というだけ。
何が真実か、正しいか、信じるか信じないか、そんなことはどうでも良い。
だって人からの伝聞に過ぎないことは、自分が体験したんじゃないんだから、私にはわからない。
自分の体験は数多あるケースの一つに過ぎなくとも、自分には体験。
だからといって、自分の体験だけがこの世の真実であると言いたいわけではないんですよ。
誰かにとっては、それもまた他人からの伝聞となります。
全てその程度のものです。
体験同士で戦ったり比べたりしなくていいし、そんなことは馬鹿げてるとも思います。
自分ではわりもしないくせに、あの人がいうから本物だとか、何を信じていいかわからないとか、そうやって他人軸で無理にジャッジしなくていいし、そういうのなんか無駄だなって。
「へー、そうなんだ。面白い」と思ったあれこれを、フィクションのファンタジー物語として隠しておかなきゃ不味いよね、と今までは思っていましたが、そんな手の込んだ偽装工作をするもの面倒になってきたので、ここでは拾ったアイディアを書くメモ帳代わりに使うことにしています。
昨日の話の続きですが、魂は上下水道システムのように、死んだら一度下水を通ってバラバラに分解されてリサイクルされて、また水道水になるのに近いと思っています。
一個の魂がまるまる一個、個体のまま肉体だけ取り替えるんじゃなくて、一度分解されて混ざり合ってリサイクルされたものなので、「私の」という個別の所有物ではないんです。
水と同じ。
その時々の一回こっきりのセッションです。
そこに様々な記憶の情報が紐付けされていて、それは同時代に生きたAさんのものとBさんのものである場合だってあるかと思います。
たとえば「貧しさが辛かったので、物質的な豊かさを体験したい」という想いを含んだ情報に、また人間として新たに生きる別の機会、別の肉体、そこの水道から出てくる水のような魂で次の一期一会セッションです。
なので魂も誰かの生きた記憶の情報も、全て「私」という固有の所有物じゃないんですよ。
みんなで共有しあって、返しては一部を借りてるのを繰り返してるんです。
だから私は既存の「前世」という考え方を採用していないんです。
循環はしていますが、輪廻の所有意識の定義が異なります。
このアイディアは30年前にパン種を捏ねながら魂について考えていた時に、イースト菌が教えてくれました。
