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NENEは何を見ていたのか──5か月前のリリックと、SKY-HIをめぐる構造

社長は、謝ればクリーンになるのだろうか。

SKY-HIは、事務所代表として未成年との深夜面会について謝罪した。
違法性の有無ではなく、「配慮を欠いた行動だった」という説明で、この件は一区切りを迎えたようにも見える。

だが本当に問われているのは、個別の行動そのものではない。
プロデューサーであり、社長であり、評価者でもある人物が、若い女性アーティストとどのような距離で向き合うべきなのか──その構造的な問題だ。

ラッパー・NENEは、5か月前のビーフの時点で、
すでにこの構造に対する強烈な違和感を、楽曲のリリックに落とし込んでいた。
そして海外では、同じような配置にいたラッパーが、何十年も経ってから深刻な形で問題化している。
パフ・ダディだ。

この三点を並べたとき、見えてくるものは何か。

第1章

**5か月前から、警告は鳴っていた

──OWARIからHAJIMARIへ**


OWARI → アンサー → HAJIMARI。
これはゴシップではなく、
日本のヒップホップが内部で行ってきた
ごく正統なキャッチボールだ。

NENEが『OWARI』で投げたのは、
特定の誰かへの告発ではない。
ヒップホップがどのように消費され、
どのように“回収される文化”になっていくのか。
模倣、トレース、数で稼ぐ仕組み、そして搾取。
シーン全体に対する違和感を、
あえて荒い言葉で可視化した一撃だった。

「汚ねぇ音楽業界」
「パクリ パクリ あいつもパクリ」
「また誰かが搾取 そしてカスが数を稼ぐ」
「このシステムに打つ終止符」

重要なのは、
NENEが“外”に向かって吠えたのではなく、
ヒップホップの内部から異議を投げたという点だ。
それは炎上狙いではなく、
シーンに対する自己点検の要求だった。

『OWARI』は、
特定の名前を直接挙げてはいない。
だがその内容は、
当時SKY-HIがプロデュースしていた
HANAをめぐる文脈と重なって受け取られた。

そのためこの曲は、
多くのリスナーに
「HANA、ひいてはSKY-HIへのディスではないか」
と解釈されることになる。

この受け止めに対し、
SKY-HIはラップで応答した。

違和感がラップで投げられ、
ラップで返される。
これは論争でも煽動でもない。
ヒップホップの作法として、極めてまっとうな応酬だ。

ただ、このキャッチボールによって、
問いの輪郭は一段、はっきりしていく。

シーン全体に向けられていた違和感は、
プロデュース、評価、権力という
より具体的な配置へと引き寄せられていった。

その流れの中で発表されたのが、
**『HAJIMARI』**だった。

『HAJIMARI』は、
この応酬を受けた上で出された曲だ。
だからこそ、
問いの矛先はさらに具体化する。

ここでNENEの視線が向いているのは、
アーティスト本人ではない。
表現を成立させ、評価を配分し、
安全圏から意思決定を行う側――
プロデュースと権力の配置だ。

発表当初、
『HAJIMARI』は
過激なディスとして消費され、
SKY-HIを擁護する声も多かった。

だが時間が経ち、
SKY-HI本人が
事務所代表・プロデューサーという立場で、
未成年との深夜面会について謝罪する事態が起きたことで、
この曲は違う意味を帯び始める。

未来を言い当てたからではない。
すでに存在していた歪みが、
後から現実によって照らされたに過ぎない。

OWARI。
アンサー。
HAJIMARI。

この連続性は、
感情の暴発ではなく、
ヒップホップが内部で行ってきた
自己点検のプロセスとして
読み直されるべきだ。



参考(本文末に静かに)

※参考
NENE『OWARI』『HAJIMARI』
本文で触れている楽曲については、各配信サービス・公式動画をご参照ください。



第2章

「謝罪」で終わらせていいのか──プロデュース構造という盲点

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