自分を生きることは短期的なドーパミンから長期的なドーパミンにスイッチを切り替えること

自分を生きることがどういうことなのか分からなかったけど、動画や漫画などの娯楽(短期ドーパミン)で満足感を得ないことなのかも。
私はそういった誤魔化しをしていないと、現実と向き合うことになるから嫌な気持ちになりがちだけど、その嫌な気持ちを味わうことが自分を生きることなのかも知れない。
これの罠のような問題点は義務感の強いことをやり遂げた後、その反動で自己主体性を取り戻そうとして、自分の好きな娯楽をする点にあるだろう。
確かに自分を取り戻すという点では娯楽は必要なのかもしれない。
だけど、自分を取り戻すはずの娯楽が結局は自分を無視していることになっている。
現実という嫌な気持ちと向き合わない為に娯楽で現実を見ないようにしているだけになっている。
一日が娯楽で無駄に終わると虚無感に襲われる。それは短期的なドーパミンの満足感で『別にこれでいいや』と思ってしまうから。本当は肯定したくないのに。
逆に言うと、堕落してしまうのは自己主体性を取り戻そうとする罠。

つまり、TODOの義務をこなす為に、自分を無視して、何とかやり遂げても、その反動で自分を取り戻そうとやりたいこと(娯楽)をするんだけど、それはきっと本当に自分のしたいことじゃないということ。

娯楽を全否定しているんじゃなく、多少の娯楽は良いんだろうけど、やり過ぎは毒になる。
だからこそ、娯楽をせずに嫌な時間を過ごすことが自分を取り戻す第一歩なんだと思う。

私が言っていることはつまり、達成すべき長期的なドーパミンを無視して、短期ドーパミンに走ることが自分を殺すことになっているということ。
自分を救うはずの娯楽がいつの間にか義務感を伴うものになってしまっているからこそ、娯楽をいったんやめてみる必要性があるということです。

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