年甲斐もなく言いたい「オレの親父はカッコイイぜ!」と。
今日は、
世田谷ボロ市という催事で、
父親の仕事の手伝いをしてきました。
世田谷ボロ市とは、
毎年1月と12月の15日・16日、
世田谷代官屋敷を中心としたボロ市通りに、
古着や骨とう品など掘り出し物を扱う
多くの露店が並び、
1日20万人ちかくの人手で賑わうイベントです。
父親は、もう40年以上、
このボロ市で煎茶の詰め放題を販売しています。
物心ついたころから、
師走に入ると、両親がいそいそと
ボロ市のための準備をはじめます。
僕も高校生、大学生の頃は
アルバイトとして仕事に駆り出されました。
当時は朝5時に家を出て、
夜の20時までノンストップで
緑茶を売り続けるのです。
売上金は年度にもよりますが、
1日120万円前後でしょうか?
お茶っ葉を手で払いながら、
札束を1枚1枚数えるのが
子ども心にワクワクしたことをよく覚えています。
ほーい、
毎年恒例のお茶屋さんだよ~
ここでお茶買わないと年を越せないよ~
お茶詰め放題やってます
はい、注文ありがとう。
おまけが弾むからね。
見ておいてね。
よそ見しちゃだめだよ。
はい、
おまけがひとつ!
おまけがふたつ!!
おまけがみっつ!!!
ほら、誰も見てないからさらにおまけだよ
よかったね、
ありがとう、また来てね
定番の売り口上。
これを40年以上ルーティン化しています。
袋いっぱいにおちゃっぱを詰め込むので、
400gは軽く超えています。
それで1080円。
計算すると、
大体100gあたり250円ですから、
相当なお買い得品ですね。
スコップで袋にお茶を詰め込んでいく様は、
ボロ市の名物にもなっていて、
最近は父親の様子を
動画に撮るお客さんも増えてきました。
特に外国人観光客には喜ばれています。
それにしても今年で71歳になる、うちの親父。
朝から晩までろくに食事をとることもなく、休憩もはさまず、10時間以上、立ちっぱなしで口上を唱え続けているのですから、本当にどこから、そんなエネルギーが湧いてくるのだろう、と感心するほど元気です。
お手伝いしている若者(僕を含む)の方がすぐ疲れてしまうのに。
アラフォーにもなって
年甲斐もなく
父親を尊敬できるのは、
いつだって、
このボロ市の日です。
言わせてください。
ボロ市のときの親父は格好いい!
と。
もちろん、
そんな父親も逆境の連続でした。
もともと大学生のとき、
アルバイトから、煎茶の小売店をスタートしたそうです。
気遣いができて、働き者。
なにより体が丈夫なところを買われて
先代の社長に気に入られ、
大学卒業後は正社員として勤めることになりました。
父親が28歳の時に、僕が産まれたのかな?
マンションを買い、ますます仕事に精を出していたころ、
先代の社長がガンで亡くなり、
父親が会社を引き継ぐことになりました。
そこで知ったのは莫大な借金の存在。
一生かけて働いても返せるかどうかという額を知り、
当然ですが母親は会社を存続させることに反対しました。
でも、父親はお世話になった取引先に
毎月お金を返す道を選択します。
僕が高校生のころには、
大手の詐欺被害にあったと聞きました。
数百万円の受注をうけ、
大張り切りで三日三晩お茶を詰め込んで
送付したところ、支払いがないまま、
行方不明の音信不通になったそうです。
当時の僕には詳細な事情は聞かされていませんでしたが、
さすがに、そのときの父親は荒れに荒れ、
自宅の熱帯魚(ネオンテトラ)の水槽をぶち壊しました。
生きることは働くこと。
というと聞こえはいいけど、
仕事以外はなにも楽しみのない男でした。
たまの休み(1か月に1回あるかないか)は
パチンコくらいしか遊ぶことはなく、
もっぱらお茶を売り、借金を返すだけの日々。
そういえば、父親とキャッチボールをしたなんて思い出は皆無です。
まさにザ・昭和の男でしょう。
母親もよく耐えたと思います。
現代では、まず許されない働き方かもしれません(苦笑)。
僕も父親のことは尊敬しているけれども、
父親みたいな働き方は全否定していました。
借金を返すだけの人生??
冗談じゃない。
今どき、スーパーや露店での販売?
ネットの時代に売れるわけないだろう。
親父の働き方は時代遅れも甚だしいし、
それじゃあ奥さんも可哀そうだろ、と。
それでも息子にとって、
ボロ市の日の親父は輝いています。
最近は、ボロ市通りを歩く
お客さんもすっかり高齢化してきました。
お茶詰め放題の実演販売は、
売り手も買い手もすっかりおじいさん、おばあさんです。
でもね、でもね。
40年来のお得意さんが来ました。
お茶を詰めながら、
おう、今年もやってるね。
ここでお茶買うのが1年に1度の楽しみなんだよ。
親父さんの声聞かないと年越せないよ。
ああ、そうかい。
いつもいつもありがとう。
今年も元気に会えてよかったね。
また、来年、元気でな。
そんな短い会話を交わしているんです。
それは、もう涙が出ます。
親父の働き方は時代遅れで不器用そのものだったかもしれないけど、
親父には40年来の固定ファンがそれこそ何十人、何百人もいるのです。
それだけで、その事実だけで、
父親の仕事ぶりはあっぱれだった、
そう心から思わされます。
確かに老いも感じています。
もう長くてあと数年なんだろうな、とも覚悟しています。
だから、今年は僕の息子を連れて手伝いをさせました。
祖父の仕事ぶりを孫の目に焼き付けさせたかったし、
お前のじいちゃんは、働き者でかっこいいだろうと伝えたかったのです。
息子がどう思ったかはわかりません。
4時間ノンストップで働かされて、
大分ぶー垂れてましたけどね(苦笑)
それはともかく、
働くことの本質を
背中で見せてくれた親父には感謝しかありません。
親父、ありがとう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これを読んでくださったあなたの少しでもお役に立てたら嬉しいです。
