バカは死ななきゃ治らない~失敗について考えてみた
メンタルが強い方ではない。
むしろポッキーのように
すぐポキッと折れるタイプだ。
ただし、
折れやすいけど再生も早い。
実感として3日以内には
元に戻る自信がある。
そんなメンタルサイクルを
ここ数年はずっと繰り返している。
まあ、でも
僕は「失敗」や「つまずき」に
強いとはとても言えない。
そんな僕が指摘するのも
おこがましいけど、
僕より下の世代も、
「失敗」や「つまずき」に
弱い気がする。
「七転八倒」ということわざが昔から好きで、
15年前の教員なりたての頃は
「十転び再起不能」になるから、
頑張り過ぎるのもほどほどにしろよ、
なんて生徒に声をかけることが
多かった気がするけど、
最近の生徒たちの様子を見ていると
「一転び再起不能」
なんである。
お前、そんなことでヘコムなよ~
と背中を叩くこともできない。
一回のつまずきで
この世の終わりみたいに
絶望し、ふさぎこみ、
自分のカラにこもってしまう。
そんな生徒にどんな声かけをすればいいのか
僕もそれなりに悩んでいる(現在進行形で)。
なにせ、
ころんで血を流したとしても
「そんなもん、唾つければ治る」
という昭和バリバリの声かけしか
できていなかったから・・(苦笑)
指導者として方向転換が
必要な時期なのは間違いない。
さて、これもまた
noteを書きながら、
あれこれと気づきを得るとしよう。
失敗の意味づけが間違っているのではないか??
まず、真っ先に自問自答したこと。
指導者として、
生徒たちに「失敗のなんたるか」を
説明し、納得させ、
安心させる働きかけが
足りなかったのではなかろうか?
ちょうど、noteを読んでいて、
こんな記事に出会った。
この記事で引用された
失敗っていうのは、
”忍耐強い教師のようなものなんだよ。”
「いや、それはうまくいかないよ。
ちょっと違うやり方をやってごらん。
そうじゃなきゃ、大きくやり方を変えてごらん」
と言ってくれる先生さ。
この言葉が心に刺さった。
そうそう、これだよ、これ。
成績が振るわない
部活の大会で負けた、
彼女(彼氏)と別れた
人間関係こじれた
自分が嫌いだ
などなど、
高校生は高校生なりに
真剣に悩んで、転んで、
痛みを感じている。
でも、それは
嘆くことでも
情けないことでも
みっともないことでもない。
あったりまえじゃん!!
なんである。
うまくいかないなんて、
そりゃそうじゃんか。
大谷翔平だって、
928回三振し、
打たれたヒットは647で
ホームランは59本打たれ、
・・・・・・・
二刀流が無理だと言われたことは
数えきれない・・云々かんぬん。
大谷翔平ですら
失敗の連続だと考えたら、
我々はもう言い訳ができないはず。
人生勉強が足らんのじゃ
諦めたら試合終了だよ
失敗は成功の母
そんな言葉を投げかけたくもなる。
でも、それは
言葉の世界のお話。
みんな頭ではわかっている。
今の子はかしこいから。
「失敗は成功の母」
なんて立派な口上ならべても、
はいはい、知ってますよ。
理解していますよ。
で自己完結。
そこで立ち直れる子は
そこそこ強い子であって
今フォーカスをあてたいのは
その層ではない。
やっぱり
転んだら痛いのだ。
これは言葉の世界じゃない。
実感の話。
そして肉体的な痛みは
時間が経てば、少しずつ薄れていくけど、
精神的な痛みは、
反芻できてしまうので、
放っておくと無限に痛い。
いや、むしろ痛みが大きくなる。
放っておくと傷は深くなる
書いていて気がついた。
そうか、
放っておいたら傷は深くなるんだ。
それじゃ、治りも悪かろう。
失敗は成功の母だけど、
失敗は放っておいたら「失敗」で終わる。
失敗を成功にするためには、
「処方箋」が必要。
そして、若い人ほど、
この「処方箋」は
誰かと一緒じゃなきゃいけない。
若い人はそもそも
「処方箋があれば治る」という発想がない。
つまずいたら、
それを自分の能力の不足と思い込み、
ぐじぐじと思い悩んでしまう。
そうじゃない。
「処方箋」があれば、
心は見事に回復していくのだ。
だから、
一緒に適切な「処方箋」を
さがしてくれる人が必要だ。
ここでいう
「処方箋」は
思いもかけないものだったりする。
僕自身の経験則でいうと、
重度のアトピーがコンプレックスで
不登校に陥った生徒が
マッチングアプリで彼女をつくったら、
みるみる肌が潤って自信をつけた。
摂食障害、容姿コンプレックスに
長く苦しんでいた女子生徒が
百人一首かるたに目覚めたら
負のエネルギーが、
かるたへの集中力に転換されて
前向きに学校生活を送るようになった。
日本一を競うラクロスの大会決勝。
負け続けていた格上の対戦チームに
逆転勝利するための戦略は、
朝の登校時間に校内や地域で
PR活動(ビラ配りや宣伝)を続けること。
当日、応援席をホームで満杯にし
声援をエネルギーにすることで優勝した。
「失敗」とは
話がズレているかもしれないけど、
つまずきやコンプレックス、
負けないための「処方箋」は
星の数ほどたくさんあるはずなのだ。
失敗に対する「処方箋」とは
端的に言うと
行動である。
気の持ちようでは傷はいえない。
転んだら立ち上がって、また歩く。
そこまでワンセットではじめて
失敗を成功の母にできる。
「処方箋」が、その子に
合っているか、合わないかについて、
これはもう「試行錯誤」しかない。
トライ&エラーの連続で
ようやく自分に
ジャストフィットする
「行動」が見えてくる。
みんなして期待値が高すぎるのかもしれない
そんなことで????
と耳を疑うようなところで
つまずく生徒がいる。
テストで、
期待した点数がとれず自信喪失し、
この世の終わりみたいな顔をして
学校に来れなくなる子がいるのだ。
そこまで極端じゃなくても
クラスメイトから何気なく言われた
からかいの言葉が
ぐさりと心に突き刺さって
ダラダラと血がとまらない子は多い。
大人目線だと、
本番で思うような点数とれないことも
心ない言葉を投げかける輩がいることも
当たり前の日常のひとコマ。
そういう子たちは
自信がないんだなあ、
と思うと同時に
もしかすると、
自分や周囲に対する期待値が
高すぎるのかもしれない。
期待や理想が高すぎるゆえに
現実がそうでないことに傷つくのだ。
そして、大人(オレだよ、オレ)!!
大人もまた子供に対する
期待値が高すぎやしないか?
そんなことで傷つくの?
なんて軽くとらえたらいけない。
その子にとって
初めての記念すべき「つまずき」
赤ちゃんの頃は、
ハイハイできたり
寝返りうったり
なんでもかんでも
「初めて」は
いとおしいイベントだったはず。
その子が
つまずいて「いたい!!」と
言っているとき、
そんなことで・・・と
放置してはいなかったか?
特に
子どもに対して
「自己責任だ」なんて
むごい言葉をかけてはいけない。
大人の側も
子どもに対する期待値を
下げてあげた方がいい。
子どもが幼稚化しているのだ、
という意見もたびたび聞くが、
それをいうなら
社会全般が幼稚になっているのだから
みんな、せーので、
期待値を思い切り下げてみよう。
できないのが当たり前。
ころぶのが当たり前。
そしてころんだら痛いのも当たり前。
(その子にとっては、めっちゃ痛いんだ)
いっそのこと絶望しよう
自分の能力の評価については
絶望したほうがいいんじゃないだろうか?
なまじ、できると思っているから
できないとき凹んでいるのだとしたら、
わたしは、なんにもできない「無能の人」だ
と本気で思い込めば、
思ったより「できる自分」を発見できるかも。
減点法で自分をとらえるのは
エネルギー効率からいっても
マイナスだ。
ほんの少しの穴から
やる気元気本気が漏れてしまう。
自分も社会も
「こんな強み(魅力)があるじゃないか!」と
加点法で捉えられるようになったら、
つまずいたとき、
立ち上がるためのエネルギーが湧きやすいと思う。
つまずいた子と並走するにあたって
僕自身、過信をいさめたい。
人が治ることは口で言うほど簡単じゃない。
【結論】大切なのは、仲間!!
失敗が長引いてこじれる人は
孤立状態である。
自己完結して
殻に閉じこもって
なんとも介入しがたい人も
いるけれど、
そんな人も24時間フタが
閉じているわけじゃない。
パカッと
心が開いたときに
笑顔でスタンバイして
全力の安心感・安全感で
その場を満たしたいな。
最後に自分の大好きな言葉。
バカは死ななきゃ治らない。
そう、みんなバカなのだ。
バカでいいのだ。
バカ、大好き!
PS.
僕のメンタルヘルスは
noteコミュニティのおかげで
キープできているところが
多々あります。
いつも本当にありがとうございます!
これを読んでくださったあなたの
少しでもお役に立てれば嬉しいです。
