#A-DAY 12-8
ダコタス。
アメリカ合衆国ダコタ準州について言及するため、歴史的に使われ、
今日でも使われている用語だそうだ。
ヘッド画像緑色部分、アメリカ大陸中西部に位置するこの一帯を、
1861年3月21日、アメリカ議会が現在の南北ダコタ州とワイオミング州、
モンタナ州の一部をダコタ準州として組織化した頃、
ほとんど人の住まない地域だったという。
アパートメント形式としてはマンハッタンで2番目に建てられたと言われ
ている、ニューヨーク市にある高級集合住宅。
建設当時、所在地であるマンハッタン区アッパーウエストサイドが、
住宅もまばらで、まだほとんど人が住んでいなかった頃のダコタ準州の
ようだ、という事から、その高級集合住宅を”ザ・ダコタ”と呼ぶように
なった、との説がある。
日本では”ダコタハウス”と呼ばれているこの”ザ・ダコタ”の由来は、
他にも諸説あるが、この”まるでダコタ州のよう”という説は、
かなり人口に膾炙している。
ところで、そこに住んでいたアメリカ・インディアンのダコタ族に由来
するというダコタ準州は、(いや~すごいね、虐殺した民族の名前を
冠した州が今もそのまま存在してるんだからね、イスラム教徒の1人が
ニューヨークの新市長になった事で、”私たちの土地が奪われる!”と
涙ながらに訴えるニューヨーク市民を見ると、何の冗談を言っている
のか全くわからなくなるね)
1889年2月22日、グロバー・クリーブランド大統領政権下で、ノース
ダコタ、サウスダコタ、モンタナおよびワシントンを包括的に州に
昇格させる1889年新州構成法が連邦議会で成立、
3月に同大統領職を引き継いだベンジャミン・ハリソン大統領が、
同年11月2日、ノースダコタ州とサウスダコタ州の州昇格声明に署名、
正式に両州に分かれている。
2つの州には競争意識があって、どちらが先に合衆国に加盟したかが問題
となり、ハリソン大統領は当時の国務長官、ジェイムズ・G・ブレインに、署名すべき2つの書類の順番を入れ替えて、どちらに最初に署名したか
分からなくなるよう指示、また順序も記録しないようにした為、
今でも誰もどちらが先に合衆国に加盟したか分からないそうである。
さて、一番安い部屋(1Fの寝室3部屋の物件だそうだ、部屋ではない、
”寝室”が3部屋だ)で675万ドル(約7.7億円)、7Fにある寝室4部屋の
物件で950万ドル(約10億円、くどいようだが部屋が4部屋ではない)
最上階9Fはさらに高額なのだという(どこかの国の国家予算の話では
ない、住宅一部屋の値段の話である)、”ザ・ダコタ”。
(by ELLE 2021年11月19日の記事)
ここは、入居する為の”ボード審査”なるものがあるらしい。
この住民たちで組織されている委員会の”入居審査”に通らなければ、
いくらお金を積もうが、入居できないという。
入居された著名人と入居拒否された著名人をくらべると、”ザ・ダコタ”の
住民方は、”アバンギャルド”は可だが、”行き過ぎた反体制気質”は不可、
という嗜好を持っている、と私には思えた。
どれくらいを”行き過ぎ”というのかは、その匙加減が、推論としても
成立させるのが難しいほど微妙で何とも言えないが。
入居者の有名どころとして、
レナード・バーンスタイン(指揮者、作曲家)、
ルドルフ・ヌレイエフ(バレエダンサー、ソ連)、
ローレン・バコール(女優)、ロバータ・フラック(歌手)、
リリアン・ギッシュ(女優)、
ローズマリー・クルーニー(歌手)、
※ジョージクルーニーの叔母、20代のジョージが放蕩時代、ジョージを
運転手として雇ったが、あまりの素行の悪さに彼をクビにしたという
ジュディ・ガーランド
(女優、ライザ三ネリの母、旦那は映画監督のビンセント・三ネリ)
※ご乱行や麻薬の噂は『オズの魔法使い』(出演時16才)の頃からあった
が、”反体制”では無いと見做され、入居審査に通ったのだろうか?
ジャック・パランス(男優)
※『シェーン』(1953年)の冷徹な殺し屋で悪名高いが、素顔は紳士
だったという
ジェイソン・ロバーズ(男優)
※『ウエスタン』(1968年)のシャイアン役を観れば、どうやっても入居
できるわけは無いと思えるが、素顔は品行方正だったのだろうか?
その他大勢いるわけだが、では入居拒否となった有名どころとしては、
その筆頭は、ビリー・ジョエルかマドンナか。
他、
ジーン・シモンズ(バンド”KISS”のベーシスト)、
メラニー・グリフィス(女優)とアントニオ・バンデラス(男優)の夫婦、
シェール(女優、歌手)、カーリー・サイモン(ミュージシャン)など。
顔ぶりを観れば、何となく私生活だけでなく、”政治的”にもとんがってる
イメージがある。
それは、とあるミュージシャンについても言える事で、
ポール・マッカートニーを優等生とするなら、彼はビートルズでも一番の
反体制的人物といえる気がするが。
彼は入居を許可されている。
もし彼が入居を拒否されていたとしたら、その後の音楽の歴史はちょっと
変わったものになったのだろうか。

彼女は2022年までここに住み続けていた)
1980年の今日、12月8日。
”ザ・ダコタ”のエントランス入口で、彼は妻ヨーコ・オノと一緒にいる所
を狙われ、凶弾に倒れた。
1940年10月9日から1980年12月8日、享年40
