2. 天 下 ~その四
慶長3年、1598年の8月18日 。
太閤秀吉殿下が身罷られたと伝わるその日から、約ひと月が
過ぎようとする頃。
殿下が身罷られたという事実は公に伏せられたまま、朝鮮では
未だに半島沿岸部に日本国が建てた城をめぐって、
明・朝鮮連合軍と日本軍との戦いが続いていた。
京に密かに上った(という妄想において)本多佐渡守正信は、
京・徳川家の屋敷の奥まった一室で、対峙している主君・家康殿に
正面から斬りこんだ。
「僭越ながらそれがし、天下を素通りしては徳川家は先に進む事は
できぬ、と思いまする。統べる者がおらねば天下は乱れる、
この日の本にお家は数あれど、天下を統べる事ができるは
今や我が徳川家以外には無いと心得申す」
顔を伏せ、両の手を畳についた正信は、低い声で一気に言った。
「もし徳川家が統べる事をせず、他家が統べるならば、必ずや天下に
乱れ生じ、その禍は少なからず徳川のお家にも降りかかって参りましょう。
禍被るを受け、なお天下統べるをなさらぬとは何ゆえか?
正信には解せませぬ」
言いながら正信は、二の太刀を浴びせんと心の鞘に意識を集中し、一気に
家康殿に斬りかかろうとした。
ふと、殿の目線を額で感じ、正信は顔を上げた。
長年仕えた主(あるじ)の顔がそこにあった。
ぎょろりとした二つの眼が正信を受け止めた次の瞬間、眼はそのままに、
その下の唇の左端が斜めに吊り上がった。
これまで、徳川家が次にどう動くべきか、何十回と論陣を張り合って
きた家康殿と正信。
舌と舌が斬りあう中、ふと家康殿がにやりと笑った時の論戦全てにおいて
陣をはらい砂を噛んできた正信は、背中に冷や水を浴びせられたように
じっとりと脇の下を伝う自分の汗を感じて心中、殿に浴びせようとした
二の太刀の鞘持つ左手の握りを解き、右手を柄からゆっくりと離した。
(これは勝てぬ)
元より勝ち負けではない事をわかっている正信なれば、すっと闘気が
冷えてゆくに任せ、畳についた両の手をゆっくりと自分の膝上に上げた。
「如何した?」
と家康殿は言った。
「続けよ」
正信はすぅっとひと息吸ってから言った。
「殿もお人が悪い」
「なんじゃ?白旗か?」
「恐れながらそれは、殿が今そのお心に秘めし刃を抜いた時の太刀筋を
見極めさせていただいた上決めたいかと」
「お主から抜け」
「はて?」
「とぼけるな、今抜こうとしたであろう?」
「どうですかな?抜いたところで今殿のお心に置かれているものに
太刀打ちできますかどうか・・いささか臆しておりまする」
照れたような笑みを浮かべながら正信は言った。
すると家康殿は満面に笑みを浮かべた。
嬉しそうなその笑顔を見て正信は(勝つのが嬉しいのだ)と思った。
(ほんに子供のような心を持った・・・)微笑みを顔に張り付かせたまま、正信は(クソ爺め・・・)と心で独り言ちた。
「よい」
家康殿は満面にたたえた笑みを崩さずに言った。
「抜いてみよ」
「はてさて・・・」
「爺いと思った事は許して使わす」
「なんと!・・滅相もござりませぬ、そのような事それがしが思うはずが」
「がははは、よいよい、思おうが思うまいがそちの勝手じゃ」
「とんでもない事にございます」
「どっちでもええから早う抜きゃあ」
「抜かねばなりませぬか?」
「抜かねば打ち首だぎゃあ」
「しからば」
心の中で、今や太刀魚の身のようにぐにゃりとなった二の太刀を構えると、
正信は言った。
「少なからずお家に降りかかる禍・・・すなわち戦でござる」
「で、あろうの」
「それも大きな戦になりましょう」
「そうか・・大きいか・・」
どことなく家康殿はうっすらと嬉しそうな表情を浮かべた。
「喜んでいる場合ではございますまい」
「なんでじゃ?」
「お家存亡の戦いとなりましょうぞ?」
「そうならぬ為の戦でゃにゃあか」
「ならぬ・・為?」
家康殿は流し目を正信に送るとにんまりと笑って見せた。
その視線を振り払うように正信は言った。
「戦は避けるべきと心得ますが」
「べき?とは?」
「朝鮮との戦いで皆疲弊しております、特に皆自ら身を切って戦費を調達
してござる、太閤殿下の命であれば致し方無しとはいえ、その苦労は
並大抵ではござらぬ」
「願ったりではにゃあか、我が徳川は一兵たりとも半島には出ておらぬぞ?
6年も7年もの間十分に休ませておる、疲弊した相手を討つなど、
いと安きこと」
「まことそうお思いになられまするか?」
「そう簡単にはいくまいと思うからおみゃあに聞いとるだぎゃあ」
「、は・・さようで・・」
「早よ言うぎゃあ」
「されば・・人心が離れましょう」
「・・・ふむ」
「身を切った戦費調達、すなわち、民でござる」
家康殿は深々と溜息をついた。
「やはりそこ・・か」
「御意」
家康殿はもう一度溜息をつくと言った。
「いま一度申せ」
「は!」
正信は改めて姿勢を正した。
長年、互いの呼吸を吸い合ってきたおかげか、言葉の奥の意味が正信には
手に取るようにわかった。
「朝鮮での戦いの為の戦準備、その労力は、もちろん大名とその配下の家臣達にかかった事は想像に難くございませぬ、が、労力を尽くしたのは
それらの者はもとより、直接尽くしたのは民ではないかと存じまする、
槍、刀剣、鉄砲、弾を造りし鍛冶を生業とする者、兵糧を作りし百姓達」
正信に言葉にさせ、それを聞く事で(頭の中を整理なさっているのだ)と
正信は考えていた。
そうする事で、”民”という領域に意識を降ろし、それを広げて”民”という
存在を、分かちがたく自らの意識に根付かせてゆく・・・。
「それら民は尽くしただけでなく、尽くす事の苦しみをもっとも多く
背負い、その苦しみに直接さらされた機会が最も多かったであろう、
とそれがし考えまする。ゆえに直接尽くしたのは民である、と申しました」
正信は即興で言葉を奏で続けた。
どのような旋律でもよい、どのような形でもよい、少しでも多くの民の心
が殿に届けられるように、と。
「今回の戦においては半島へと渡る為の多くの船が必要でござった。
それも戦に必要なだけの馬を何十、何百と乗せ、海を渡れる船が。
名護屋城のある肥前には、船大工達が全国から集まったそうにござる、
彼らは自分たちの国に帰る事を捨て、肥前に移り住んだ者たちも大勢
いたとの事、それらが大人数で意見を出し合い、新たにより多くの馬
を乗せ、より何百里と長く海を渡れる船を造り出す事もできるように
なったと・・・さらに、」
目を閉じて聞き入っていた家康殿は、つむったまま”もうよい”という
ように左手を上げた。
正信は言葉を飲み、首を垂れた。
長い沈黙が訪れた。
言葉のない刻だけが流れていく空間の中、家康殿は目を閉じたまま沈思
黙考するかのように、閉じた目を堅くつぶりながら腕を組み、
頭の位置を俯き加減に心持ち下げていた。
そして思った。
(腹へったの・・・)
同じように首を足れていた正信が口を開いた。
「申し上げてもよろしゅうございますか?」
「申せ」
「殿の民を慈しむ心は、もっとも気高き、」
「申すな」
家康殿は目を開いた。
そして腕を組んだまま、ぎょろりとした眼を正信に向けて言った。
「お追従は聞きとうない」
「追従で申してはおりませ、」
再び家康殿は左手を上げて言おうとする正信を制した。
「わかっておる・・正信・・わかっておる」
家康殿の意識に、民という存在を現実味をもって実体のある存在として
根付かせたのは正信であった。
長年、ことあるごとに正信は殿に民の心を説いてきた。
また、家康殿はその正信の言葉をむさぼるように聞いた。
初めは(なんじゃ?こいつは?口を開けば民民と・・・たみという
惚れぬいたおなごでもおるのか?)と思い、疎ましく感じていた家康殿
だったが、次第に正信の言葉を飯を掻きこむように聞くように
なっていた。
家康殿の心に民を慈しむ感情が芽生えたからではなかった。
「お主はお追従は言わぬ・・わかっておる」
「恐れ入りまする」
「わしが民をどう思っているか・・それもお主はわかっていよう」
「殿のお心にそれがしの思いなど及ぶべくも、」
「嘘を申すな・・お主はわかっておるわ」
「・・・・・」
家康殿は、自分の懐刀として本多佐渡守正信を重用した。
”友”とさえ呼んだ、という逸話が伝えられもしている。
もっとも信頼する家臣だった、といっても言い過ぎではないだろう。
そして最も疎ましい家臣でもあったのではないか、とも私は思っている。
「慈しむ心などかけらも持ってはおらぬ」
と家康殿は言った。
「恐れているのよ」
とうに日は落ちていた。
もはや障子の紙は薄墨を滲ませたような暗い色になっていた。
「この世でもっとも恐ろしいもの・・それが民じゃ」
(つづく)
