2. 天 下 ~その二
歴史を手繰ってゆく上で、発掘された遺跡という物的証拠よりも、
残されていた文献資料によって、歴史の持つファンタジー要素が
より色濃くなる場合がある。
もちろん、遺跡から様々な事を類推していく事でファンタジーが
広がっていく面は多々あれど、半面、遺跡には”問答無用”と
いった所がある。
物的証拠を前にして、ファンタジーの入り込む余地が極めて狭く、
あるいは全く無い場合もあるのだ。
対して文献資料は、それが言語化される時の客観性に少なからず
疑義が生じる為、そこに想像の羽を飛ばす余地が生まれやすい。
どちらがよりファンタジー要素を強める、とはっきり断じる事は
できないが、文献資料については、どこまで客観性に依って書か
れているかで、その史料的価値が定まる場合が多く、その客観性
をどのアングルでどう切り取るかで、ファンタジーの余地が広く
も狭くもなるように感じる。
例えば『寛政重修諸家譜』 という家譜集がある。
寛政年間(1789年‐1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の
家譜集で、1530巻あるという。
完成は文化9年(1812年)。
その史料的価値はといえば。(wikiより抜粋)
「この系譜は近世最大の系譜であり、大名と幕臣の経歴は詳細で
あって、『徳川実紀』とともに重要な研究資料である」
「文章は平易簡明である。また編者は諸家の呈譜をよく吟味し、
疑問のある場合は、一応そのままに採録してあるが、その旨を
記して慎重な態度を示している。
ただし、出典は一々明記していない」
→吉川弘文館の『国史大辞典』での、山本武夫氏による
「寛政重修諸家譜」解説
「『寛政重修諸家譜』の慶長期(1596年 – 1614年)以前に関する
記述は幕臣木村高敦著の『武徳編年集成』に頼っているが、
この書が徳川家康の一代記であるところから、信用度は諸家の
呈譜に忠実な『寛永諸家系図伝』に比して問題点があるとする」
「しかし、1603年(慶長8年)の江戸幕府成立以後の記述について
は正確であるとする。
『寛政譜』の編者は事実の検討には注力しており、特に寛永の呈譜
とその後の各家の呈譜とを比較し、それらの所説の異同をも掲げて
いる点では評価される」
→系譜研究家の豊田武氏、その著『日本史小百科・家系』
における記述
「幕府や諸家同士の記録で相互に矛盾がないか、確認作業を極力
行っている。こうした姿勢は『寛永諸家系図伝』や『貞享書上』
には見られず『寛政重修諸家譜』の特徴として良い」
「『寛政重修諸家譜』の記述は誤りが多いとはいえないが、資料
の収集や叙述の段階で幕府によって選択がなされ、過去を偏りなく
ありのままに描いているとは言えない。
特に徳川将軍家に対し合戦などで忠誠を尽くした先祖の姿を詳細に
記述することで、武家の頂点に君臨する徳川家と、身命を賭して
それに仕える家々という両者にとって好ましい関係を再認識させる
目的があったと見られる」
→『寛政重修諸家譜』の編纂姿勢についての論文を書いた
平野仁也氏の、『寛政重修諸家譜』を近世史研究者にとって
必須の史料としたうえでの論
とまあ、一定の史料的価値はあるよ、という事だと私は解釈している
が、その『寛政重修諸家譜』のとある大名の所にこんな記述がある。

”君相遇こと水魚のごとし”
まるで三国志の劉備玄徳と諸葛亮孔明のようだが、この場合の”君”とは
”奉仕した両御所”である徳川家康殿と2代将軍徳川秀忠の事である。
wikiの、このとある大名の項にはこんな記述がある。
家康は(彼)を参謀として重用し、「友」と呼んだと言われている。
この時代に”友”という概念が成立していたのか、はなはだ疑問では
あるが、この”君相遇こと水魚のごとし”の”君”には、秀忠殿より
長い期間仕え、「友」とまで言わせた家康殿の方に、より重きが
おかれた”君”、という事なのではないかと私には思えた。
慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉太閤殿下、崩御。
2度目の朝鮮攻めである慶長の役が始まったのはさかのぼって1597年。
この戦いにおいて日本軍は、朝鮮半島沿岸部に何とか城を建て、
まだ未完成の段階で一度明・朝鮮軍に攻められたがそれを撃退し、
退却させてから城を補強、武具・兵糧を整え完成させるに至ったのが
1598年1月。
それからこの城をめぐる日本軍と明・朝鮮連合軍との戦いが、続いた。
朝鮮の土地を奪い、日の本中の大名たちに分け与える算段だったものが、
一度目の朝鮮攻めである文禄の役から早や6年、奪った土地はゼロに
等しく、やっと建てた小さな城を守るのが精一杯という中、太閤崩御は
公には伏せられたまま、城をめぐる戦いは今も続けられている。
そんな中、太閤殿下のいまわの際の枕元を離れるわけに行かなかった
家康殿に代わり、関東で江戸の仕置きを預かっていた家康殿の「友」は、
密かに京に上った。
(という妄想である。実際この頃、彼が京にのぼった記録はない)
召されたのではなく、自ら願い出てやってきた。
家康殿の方は、(何しにくるんじゃ?)とでも言いたい所であったが、
”火急の用件にてぜひとも”という「友」の願いを、家康殿は快くはなく、
しぶしぶと(来たけりゃ来れば?)というようにして認めた。
用件は大体わかっている。
太閤が身罷られた事は伏せられているが、薄々感づいている重臣たちの
中には、”いよいよ殿が天下を獲る時が来ましたな!”などと勢い込んで
言ってくる者もいる。
その度に家康殿は激怒して見せた。
”馬鹿者!めったな事をいうでない!不謹慎者め!”
怒られた重臣たちは一応反省してみせながらも、”これはご無礼を、して
いつ決起を?”と、家康殿の前でだけだが、盛んなるその血気と意気を
隠そうともしない。
せめて江戸から押しかけてくるあの「友」にでも愚痴を聞いてもらい
たい、と思う家康殿であったが、多分、それも無理であろうと
わかっていた。
ギッ、ズー、ギッ、ズズーと片足を引きづる音が、廊下から家康殿の
耳にその時響いていたかも知れない。
長年びっこをひいている「友」である。
やがて襖が開き、身を伏せる「友」の姿が現れた。
「お久しゅうございます、殿」
「う、うむ」
そして顔を上げるや急いで人払いをすませると彼は言った。
「して、どのように?」
家康殿は両手で額を抑え顔を真下に俯けた。
「いかがなされました?」
「お前もか・・・正信」
「友」とは本多佐渡守正信である。
「はて?お前もか、とは?」
「何しに来たんじゃ?この忙しい時に」
「これはしたり・・・いよいよというこの時にこの正信めは不要と
おおせか?」
家康殿は顔を上げた。
「何がいよいよなんじゃ?」
「これはこれは・・・この正信の早とちりだと?」
「何をどうトチ狂ったのか知らんが、いよいよというのは何がいよ
いよなのかと聞いておる」
さしもの正信も大きな声で言うわけに行かず、一旦間を置いてから
声を潜め、上目遣いに家康殿を見てこう言った。
「天下獲りに決まっておりまする」
クックックッと家康殿は忍び笑いをし始め、止まらくなった。
「殿・・・」と呆気にとられる正信に向かって家康殿は、なおも
笑いながら言った。
「なんでそんなものをわしが獲らねばならんのだ?」
「と・・・それは?・・・」
ふと家康殿は忍び笑いを止めた。
「正信よ」
「は!」
「何だ?その天下とやら言うのは?」
「・・は?」
「天下じゃ」
「天・・下でございまするか?」
「そうじゃ、皆口口に言う、いよいよ天下を獲る時が来ましたな!と」
「はぁ」
「その天下というのは何じゃ?いや答えんでよい、皆それぞれに思い描く
天下というものがあるのであろう、別にそれをとがめだてようなどとは
思っちょらん、じゃがの、正信。
思い描くのは勝手だが、それが何でどのようなものか、誰も言葉でよう
説明できん、違うか?」
「いや、しかしそれは・・・」
「現にお主も今答えるに窮しておる」
「それは、それ・・急に天下とは?と言われましても」
「なら答えてみぃ、わしが問うてから大分経ったぞ?もはや急では
あるまい」
「今・・・でござりまするか?」
「今よ。それほど天下、天下と騒ぐのであれば、その天下とやらが一体
何であるのか?すぐに答えられてしかるべきだぎゃあ」
「はてさて・・・・・」
と落ち着いて正信は受けた。
長年の付き合いである。
それぐらいの呼吸は正信なら寝ていても合わせられる類だった。
急に尾張弁を使って、一瞬驚かせ、こちらの矛先を鈍らせようという、
殿がいつも使う常套手段である。
家康殿の狙いがどこにあるのか?正信の顔つきがそれを探るような
眼差しをたたえ始めていた。
構わずに家康殿は続ける。
「誰も答えられん、お主も、そしてこのわしもじゃ」
「殿?・・もでござるか?」
「そうよ、わしもじゃ」
「ますますわかりませぬ」
と、正信は何がわからないのか、は口にしない。
家康殿は続ける。
「なぜ、答えられぬか?わかるか?」
正信の眼が、底で光った。
そして言った。
「全くもって、わかりませぬな」
ようやく正信はわかった。
家康殿が自分に今何を求めているのか。
ここで一呼吸置いた家康殿の眼を、正信は真っ直ぐ見返した。
家康殿は言った。
「それよ」
「は?」
「たった今お主が言うた」
「わたし?・・でございまするか?」
「全くもってわからぬ、と」
「は・・ぁ」
「それが理由よ」
「・・・・・」
「わからんから・・天下とは何か?誰もが納得できるよう言う事ができぬ、そのくせそら獲れ、やれ獲れと夜も明けきらぬ朝の雀がごとくぴぃちく
ぱぁちくとさえずるだけはさえずり倒す」
「ぴぃ・・ちく・・」
「そうじゃ、いやあやつら、朝の雀よりうるさいわ」
「殿は雀がお嫌いでしたな・・」
「そんな事はどうでもよいわ!」
「ははぁ!」
頭を下げ、青々とした畳の目を見つめながら正信は頭の中を整理した。
顔を上げると、どこを見ているのかわからぬ眼をして宙を見つめている
家康殿の顔があった。
憑き物が落ちたようなその表情を見ながら正信は、この殿に仕えて
何十年になるであろうか?とふと思った。
初めて知ったのである。
いや知ったというより、正信はまだ半信半疑であった。
(このお方は・・・わが殿は・・天下を獲るおつもりが・・ない?・・・)
「天下とは何か?わからんから誰も答えられん」
元の顔に戻った家康殿は続けた。
「そんなわけのわからんものを一体・・・」
家康殿は傍らにあったひじ掛けを手に取り、それに左半身を預けた。
正信は心で反撃態勢をとった。
家康殿は言葉を継いだ。
「どうやって獲れというのだ?」
正信は居住まいを正し、畳に両手をついた。
見た家康殿はにやりと笑った。
もしかしたら家康殿は、愚痴を聞いてもらうよりもこれを求めていた
のかも知れなかった。
だから今目の前にいるこの「友」の上京願いを認めたのかも知れなかった。
二人して、これまで幾度このような論戦を戦わせてきただろう?
自分の”懐刀”とも言われるこの男との舌戦が家康殿はとても好きであった。
正信もこのような論戦が嫌いではない。
それぞれの解釈がぶつかり合い、時に火花が散るかと思えるほど熱く、
流すのでなく、ただ血を熱くする言葉の斬りあい。
「されば、殿」
その数十幾度目かの火蓋を、正信は切った。
(つづく)
