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生涯の仕事 障害のある人と生きること

私の人生は、思うようにいかないことばかり。
努力しても、何もかなわなくて、落ち込むことばかり。

人生の終盤に来ても、不安な心。
お金もないし、希望もないし。
生きていることが苦しいくらい。

で、いったい何が言いたいわけっていうと。
頭ではわかっているけれども、心が追いつかないってこと。

もともと頭ではわかっていたのです。
この世の中は、障害のある人も、病気の人も、いろいろな人がいて、みんな生きているってこと。
でも、自分の子どもに障害があるってことで、自分の生き方が、まるっきり変わってしまうということに、心が追いついていかなかったのです。

その追いつかなさは、もはや、53年に及び、知的障害のほかろんが生れてから、今迄の53年間、私の心は、現実に追いつけていないのです。
走り始めたダージリン急行に、走って追いついて飛び乗れた、エイドリアン・ブロディのほうではなくて、追いつけなくって乗れなかったビル・マーレーのほうです。

でも後のシーンで、ビル・マーレーは次の列車に乗れているようでよかったです。

で、何で追いつけないかって言うと、
自分の中の思い込みとか、刷り込みとか、一般常識とか、損得とか、まあ、人間らしいと言えば、聞こえがいいけど、極めつければ普通に暮らしたいという私のエゴが、うるさいからです。

障害者の親だからといって、善人君子で、いい人であらねばならないことはありません。障害者だって、その親だって、わがままで、エゴの塊で、自己中だったりします。
でも、私の心がでしゃばってくるのです。
自分を優先させようとすると、罪悪感を感じてしまうのです。

頭ではわかっているのです。
親も人間ですから、心も体も休めていいし、楽しいこともしてもいい。
笑顔で楽しく暮らし、体に気をつけて健康でいた方が、親子ともにいいのです。

だけど、心の奥の「よいこ?」の私が、罪悪感を持ち出してくるのです。
これは、インクルージョンを実践するよりも難しく、私の心の中の戦いとなります。
この私の心を許さなければ、「インクルージョン」も実践できないのですが。
このぐるぐる回りが私をからめとって、ああ、どうしましょうとなるのです。


人間は誰もが罪悪感を心の奥に潜めています。
罪悪感が出てくる機会が多いのが、ケアをしている人たちでしょう。
そのひとりが私。
罪悪感は出て行かないので、こころの奥に住まわせておきましょう。

「もっとボーとしてていいですよ。」って主治医に言われたことがあります。
ひとつひとつのことを、真剣に考えて生きることになったのは、ほかろんと暮らしてきたから。
「障害のある人と暮らす。」
これが私の生涯の仕事です。

追いつけなくいてもいいです。
次の列車に乗ります。

ビル・マーレーと一緒の列車って、なかなかいいじゃないですか。

ヘッダーは
「ダージリン急行」 
ウェス・アンダーソン監督 2007年


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