見出し画像

【官能小説×恋愛小説】『はじめての夜』 (第0話:出逢いは突然に……)(第1話:二人きりのエレベーターホール(そして、密室へ……))(小説÷短編小説)

【第0話:出逢いは突然に……】


私の名前はスプマンテ。

恋とは無縁の21歳。

日々の仕事を淡々とこなしながら、趣味のファッションや音楽を楽しんで過ごす日々。


……の筈だった。


桜がその蕾を開きかける頃、私は突然、恋に堕ちた。


入社して1年が経とうとする頃だった。

彼が私の前に現れた。


若くして「元マネージャー」の肩書きを持つ彼の噂は、女性の多い職場で入社前から持ちきりだった。


けれど、当時の私は、「将来、自分の上司になるかもしれない人。人間的に良い人だったらいいな」くらいにしか考えていなかった。

彼が職場にやってきて、2日目の時計の針が15時を指し示すまでの間。

彼と言葉を交わすどころか、視線が合うことすら一度もなかった。


遠くの席で、他のスタッフと、時には真剣な表情で、時には優しい感じの笑顔で話をしている彼の姿を、私は日常の風景の一部としてなんとなく遠くから眺めていた。

スーツを着崩すことなく、どこか凛とした空気をまとっている人。

でも、どこか遠い世界の人。


そして、彼が席を外した、その瞬間だった。


女子たちが盛り上がり始めるのが聞こえてきた。

「田中さん、カッコいいね」
「ほんと、カッコ良過ぎますよ〜」

楽しそうに、少し羨望の眼差しを向けながら話す彼女たちの声を耳にするたび、私と彼の間にある「心の距離」の遠さを突きつけられるようで、ほんの少しだけ、胸の奥が寂しくなるのを感じていた。


けれど、心のどこかで彼を意識していたのだろうか。

おだやかな光が差し込む、2日目の夕方になりかけた頃。

私はあえて、彼の傍を通って彼が一番声をかけやすそうな場所にあるFAX機へと向かった。


用事を済ませるフリをして、少しだけ緊張しながら待つ。

すると、その直後だった。


背後から、コツ、コツ、コツ、と、迷いのない足音が近づいて来た。

私の少し斜め横で、その足音がぴたりと止まる。

視界の端に彼のシルエットが映り込んだほんの一瞬の後、彼が少し緊張したような声で、私の名前を呼んだ。


『スプマンテさん』


期待と不安を胸に振り返ると、彼がまっすぐ私の方を向いて、どこかホッとしたような表情で挨拶を交わしてくれた。


等身大のオシャレ。

清潔感のあるシャツから漂う、ふんわりとした安心感のある香り。

優しい笑顔。

丁寧な言葉遣いに、丁寧な挨拶。


普通、一目惚れなら胸が痛いくらいにドキドキするはずなのに。

彼の前に立つ私の心に満ちていったのは、まるでずっと前から知っていたかのような、おだやかで、深い安心感だった。

張り詰めていた何かが、すーっと解けていくような感覚。


それが恋の始まりだなんて、その時の私はまだ知る由もなかったけれど、あの温かい感覚だけは今でもはっきりと覚えている。

私は自分でもびっくりするくらい、とびっきりの笑顔で彼の挨拶に応えた。


それが、私と彼のすべての始まりだった。



(つづく)


——そして、桜の季節に出逢った二人は、やがて、熱い『夏祭りの夜』を迎えることになる。(乞うご期待!)



【第1話:二人きりのエレベーターホール(そして、密室へ……)】

彼がこの職場にやって来てから、一週間が経過した。

彼が職場に来てからの毎日は、昨日までの退屈な日常が嘘のように、鮮やかな色で満たされていく。


「明日はお気に入りのあのシュシュをつけて、どんな服を着て行こう」

毎晩、クローゼットの前で悩む時間が、今の私にとって一番の楽しみになっていた。

白、ピンク、水色、ラベンダー、グレー。

オフィスの遠くの席にいる彼の姿をなんとなく眺めているうちに、

彼のシャツの色やネクタイのチョイスが、自然と私の目に焼きついていく。


今日は何色かな。

明日は何色を合わせてみようかな。

そんな小さな答え合わせを繰り返すだけで、胸の奥がふんわりと温かくなるのを感じていた。

そんなある日、彼が電話対応とFAX対応の研修をするために、私の席の近くへと引っ越してきた。


ここでの仕事は初めてのはずなのに、そこはさすが元マネージャー。

電話対応もお手のものと言わんばかりの滑らかな口調に、耳に心地よく響く優しい声。

温かいBGMのように聴こえてくる彼の声は、電話の向こうの相手と話すのが本当に楽しそうで、最後にはいつも彼自身が優しい笑顔になって笑いながら話していた。

受話器を通して相手を笑顔にし、自分も楽しそうに笑っている彼の声を何度も聴いているうちに、

私の心の奥の小さな蕾は、少しずつ、でも確実に膨れ上がっていった。

席が近くなって数日、私にとっての最大のチャンス(と、ちょっとした作戦の機会)がやってきた。

回覧板を次の人に回す順番が、私のところに回ってきたのだ。


本来なら、私の次に回すべき女性社員が別にいた。

けれど、彼女が席を外した瞬間を、私は見逃さなかった。

周りのみんなに怪しまれないように、ごく自然を装って周囲をキョロキョロと見回してみる。


「あ、いないな〜。じゃあ、しかたないよね」


心の中でそう自分に言い訳をして、私は回覧板を抱え、彼のデスクへと向かった。

私がキョロキョロと次の人を探し、彼へと近づいていくまでの、ほんのわずかな『間』。

それは彼にとっても、「彼女がこちらへやって来るのではないか」と心の準備をしてしまう、緊張がほどばしる時間だったのかもしれない。


緊張でバクバクと音を立てる心臓を抑えながら、「田中さん、これ回覧です」と書類を差し出すと、

「あ、ありがとうございます!」と彼が伸ばしたその手が、一瞬震えたようにも見えた。

「えっ」と思って彼の顔を見ると、彼は小さく瞬きをして、ぎこちなくも優しい笑みを返してくれた。

けれど、すぐに照れくさそうに目を逸らし、受け取った書類にさっと視線を落としてしまった。

普段はあんなに仕事が出来て余裕のある彼が、私の前では、少し緊張している。

その不器用でシャイな一面を間近で見たとき、私の胸は、なんだか愛おしい気持ちでいっぱいになった。


そして、

おはようございます!

お先に失礼します!

毎日の挨拶も、彼が近くにいることで、凄く楽しみになった。

それが今の私にとって、毎日欠かさず出来る精一杯の彼とのコミュニケーションだった。


朝、職場に来て挨拶しなかった私が挨拶するようになった。

いつも彼が元気に優しく挨拶を返してくれる。

その声に反応してみんなも挨拶してくれるようになった。

けれども最近、私の心はだんだんと欲張りになっていく。

最初のうちは、挨拶を交わせるだけで、同じ空間にいられるだけで幸せだった、なんだか温かい気持ちになれた。

それなのに、一度膨らんでしまった恋心は、もう引き返せないところまで来てしまっている。


もっと、彼と言葉を交わしたい。挨拶だけじゃなくて、今日あったこととか、好きなものの話とか。


もっと、彼の近くに行きたい。

職場の「同僚のひとり」じゃなくて、彼にとっての「特別な誰か」になりたい。


彼の姿を目で追うたびに、胸の奥が甘く、少しだけ苦しく疼く。

挨拶をする時の私の笑顔の裏に、そんな小さな欲望が隠れているなんて、彼はきっと気付いていない。

気づいていないなら、私から少しだけ、近づいてみよう。

そして、彼の姿をより意識して追うようになっていった。

そうして彼の行動をそれとなく観察していると、彼はいつも13時ちょうどに一人で昼食を取りに職場の外へ出て行くことが分かった。

そこで私は、ある賭けに出てみることにした。

12時55分。私は席を立ち、そのままお手洗いへと向かった。


お手洗いの壁に掛けられた大きな全身鏡の前に立ち、

胸の奥で早鐘を打つ鼓動を落ち着かせながら、入念に自分をチェックする。

前髪の分け目をきれいに整え、少し横を向いたり、後ろを振り返ったりしながら、お気に入りのシュシュが一番可愛く見える角度を確かめる。

鏡に映る自分の服装を上から下までじっくりと見つめ、全体のバランスをチェックした。


「よし、大丈夫」

自分に小さな魔法をかけてお手洗いを出ると、オフィスには戻らず、そのまま真っ直ぐエレベーターホールへと向かった。

13時ちょうど。下降のボタンを押し、私はごく自然にエレベーターを待っている風を装って、そこに佇んだ。


そこにいる意識のすべては、視線の端に映る、オフィスのドアに向いている。


待っていないふりをするために、バッグからスマートフォンを取り出して、画面をじっと見つめるふりをした。画面の文字なんて一つも頭に入ってこない。

オフィスのドアが開く気配を、彼の足音を、横目で、そして耳を澄ませて、じっと探している。


心臓が、耳の奥でうるさいくらいに鳴っている。


「偶然を装って、一緒のエレベーターに乗る」たったそれだけのことなのに、まるで世界で一番大きな賭けに出るような緊張感だった。


それでも、彼にだけは絶対に悟られたくない。

私はスマートフォンの画面を見つめたまま、完璧に「いつもの私」のポーズを崩さずに、彼がやってくるその瞬間を待っていた。

そして、ついにその時がやってきた。


ガチャリ、と少し軽快な音を立ててオフィスのドアが開く。

視線の端、ほんの少し歪んで映る視界の中で、彼の姿が捉えられた。

エレベーターの前にいる私に気づいた瞬間、

彼の気配が「あっ」と小さく弾んだのが、何故だか分かった。

驚きと、それから言葉にならない喜びが、一瞬だけその場に満ちる。


彼はほんの一瞬だけ足を止めかけたけれど、迷うことなくこちらへ進み始めた。

決して駆け足ではない。

けれど、いつもの彼よりもほんの少しだけ足取りが早くて、やや下向き加減で真っ直ぐに私の方へと向かってくる。


シャイな彼なりに、必死に「いつも通りの自分」を装って歩いてくるのが空気で伝わってくる。

近づいてくる彼の、どこか一生懸命で力強い足音が、私の心臓の鼓動と重なって、ますます大きく響いていった。

でも彼は、私のすぐ隣までは来なかった。

私から少し遠い場所まで歩いてきた彼は、そこで立ち止まり、

笑顔で「お疲れ様です」と、声をかけてきた。


私は「お疲れ様です」と、ぼそりとそっけなく返し、また携帯に目をやる。

(なにやってんの、私……!)

心の声で叫ぶ。


彼は、なんだ、気のせいか、あるいは、やっぱりただの同僚なんだなという少しがっかり、でもどこか緊張がとけたような雰囲気を醸し出した。

自ら作った気まずい沈黙の中で、私は消えてしまいたいほどの後悔に襲われていた。


――けれど、運命の神様は私を見捨ててはいなかった。

ここから先は

1,649字

¥ 390

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が参加している募集

笑顔の数だけ(ポテト)チップをください(笑) (って、相変わらずすみません。。(笑)) いただいたチップはクリエイターとしての活動費として使わせて頂けたらと。。 (いっちょ前にクリエイター気取りかよ!という感じでしたら、益々すみません。。(笑))