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【回想】 関西暮らし


堺という町


父の転勤で引っ越した堺は大阪府の中でもちょっと特殊な町だ。

歴史的には室町時代に貿易港として栄えた。京都が戦乱で荒廃したこともあって、一時は将軍が拠点を置き、政治的な機能を果たしたりもした。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げて、大坂(江戸時代まで大阪は大坂と表記されていた)に巨大な商業都市が築かれるまでは、堺に大商人が集まり、独立性の高い商業都市として栄えた。千利休などの茶人も堺の商人だった。また、古くから鉄製品や革製品、木工品などの工房が多く、刀剣や鎧兜、鉄砲などの製造業も栄えた。

秀吉が堺商人を大坂に移住させたため、大坂の発展と共に堺の商業都市としての勢いは衰えたが、職人の町として存続した。

明治以降は大阪の都市化が進むにつれて、商人たちが店と自宅を分けるようになり、郊外に自宅を構えるようになった。堺も富裕な商人の邸宅が並ぶ高級住宅町になった。


茶の湯と小唄


堺に落ち着くと、母はお茶の教室に通い始めた。室町時代に茶の湯が栄えたからなのかどうかはわからないが、近所にはお茶を教える教室がたくさんあった。戦時中に東北の農村地帯で育った母は、趣味というものを持たなかったが、主婦のたしなみとして、茶の湯くらいは押さえておこうということだったのかもしれない。

それから父と母は一緒に小唄を習い始めた。小唄というのは三味線に合わせて歌う江戸時代の流行歌だ。流行歌と言っても、コンサートみたいなものはないから、料亭で芸者が歌うのだが、客が芸者の三味線に合わせて歌うこともあった。

引退した芸者の中には、生業として小唄や長唄、三味線などを教える教室を開く人たちがいた。

両親が通った小唄教室もそういう元芸者がやっていた。戦時中に青春時代を送った父は芸者遊びの経験などなかったし、母もそういう世界とは無縁だったが、これも大人のたしなみとして始めたようだ。


羽衣伝説と洋風建築


堺の中でも、私の一家が住んだ浜寺というのは、また独特の地域だった。

家は南海本線の浜寺公園という駅の西側すぐにあり、少し歩いて大きな国道を渡ると、広大な芝生と松林が広がる浜寺公園がある。公園は大阪湾に面していて、白砂の美しい海岸が南北に続いていた。

そのあたりは古くから天女の羽衣伝説で知られる景勝地で、南海本線の隣の駅は羽衣だった。

浜寺公園の駅舎はちょっと趣のある洋風建築で、東京の田園調布の駅舎に似ている。これはかなり後から知ったのだが、東京駅を設計した辰野金吾の設計だという。

なぜそんなメジャーな建築家が設計したかというと、明治時代に浜寺公園全体を洋風建築の住宅街として開発するという大きなプロジェクトがあったからだ。

私が暮らした頃にはその洋風住宅街はなくなって、ただ松林が続く公園になっていたが、当時は最先端の洋風建築が建ち並び、電気・水道・ガスが引かれていたという。


海水浴場と特殊な旅館


昭和30年台の浜寺公園は夏に海水浴客で賑わう行楽地で、駅から公園までの狭いエリアには飲食店や旅館があった。旅館の2階には広い物干し台があって、たくさんの浴衣が干されていた。浴衣は夏だけでなく1年中干されていた。大人になってから親に聞いた話だと、浜寺の旅館は行楽客だけでなく、男女がデート目的で泊まる宿でもあったという。まだラブホテルというものがなかった時代は、和風の旅館がその役目を果たしていたようで、私が大学に進んで東京で暮らすようになった1970年代にも渋谷や原宿、新宿などの街はずれにそういう旅館が残っていた。

考えてみると、東京時代に住んだ文京区湯島も、江戸時代には湯島天神の周辺に茶屋が集まる特殊な地域だった。茶屋は普通、芸妓を呼んで飲食と歌や踊りを楽しみ、ゲームなどして遊ぶ店だが、湯島の茶屋は女性の芸妓ではなく、陰間と呼ばれる少年が客の相手をする料理屋兼風俗店が有名だった。


キリスト教系の幼稚園


浜寺公園駅の北には、南海本線をくぐる地下道があった。その地下道をくぐった東側は大きな屋敷が並ぶ住宅街があり、その外れに幼稚園があった。幼稚園は外国人の老姉妹が経営するキリスト教系だった。

湯島の幼稚園はお寺が経営していたが、敷地ははっきり分かれていて、あまり仏教臭くはなかった。幼稚園は保育園と違って文部省管轄の教育機関だから、宗教色を出すことは禁止されていた。そのせいか、浜寺の幼稚園も、一応「浜寺聖書幼稚園」という園名だったが、キリスト教的な礼拝とか讃美歌を歌うようなことはなかった。

幼稚園と隣接して、大きな古い洋館があり、経営者の老姉妹が住んでいた。彼女たちはカトリックの尼僧ではなかったから、プロテスタントの信者だったのだろう。


先生の黄色いドレス


湯島の幼稚園の担任は祖母と似た感じのおばあさんだったが、浜寺の幼稚園の担任は若くて明るい感じの女性だった。生徒が歌や踊りを披露する学芸会的なイベントのとき、彼女が黄色いドレスを着ていたのを覚えている。アメリカの若い女性がダンスパーティーで着るような、スカートが広がって揺れるワンピースだった。

子供たちは興奮してキャッキャッと騒ぎながら、スカートの中に潜り込もうとした。たしか男の子だけでなく、女の子もはしゃいで一緒に潜り込んでいたから、性的な興味でスカートの中を見ようとしていたわけではなかったと思う。

先生も笑いながらスカートの裾を押さえたり、子供たちを捕まえて投げ飛ばしたりしていた。


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