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「どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう?」大森荘蔵哲学⑧「今を生きる」とは、どういうことなのか

※はじめに

このシリーズは、大森荘蔵の哲学を専門的に解説・研究するものではありません。

哲学科卒ではありますが、大森荘蔵の研究者ではない私が、彼の哲学を自分なりに読み、「哲学を取り入れることで、少しでも生きやすくなる方法」を模索していくシリーズです。

そのため、ここで書いていることには私自身の解釈や、日常生活への置き換えが含まれています。「大森荘蔵はこう言っている」という断定ではなく、「私はこう読んで、こう考えてみた」という一つの読み方としてお読みください。

誤読や不正確な解釈がありましたら、ぜひ遠慮なく教えてください。読者の方との対話を通して、私自身も考えを深めていけたらと思っています。





はじめに

どうすれば、少しだけ生きやすくなるのだろう。

そう考えていると、よく言われる言葉に出会う。

「今を大切にしよう」

「過去を手放して、今を生きよう」

「まだ起きていない未来を心配するより、今を生きよう」

言っていることは分かる。

でも、私はこの言葉を聞くたびに、少しだけ引っかかっていた。

今を生きる。

では、一体どうすればいいのだろう。

過去のことを考えてしまう私は、今を生きていないのだろうか。

未来が怖くて仕方がない私は、今を生きることができていないのだろうか。

そもそも、「今」とは何なのだろう。

大森荘蔵の時間について考えていると、この当たり前の言葉が、少しずつ不思議なものに見えてくる。


「今」は、どこにあるのだろう

時間を一本の線として考えてみる。

過去────今────未来

過去はすでに終わったもの。

未来はまだ来ていないもの。

そして、その間に「今」がある。

私たちはなんとなく、そんなふうに考えている。

でも、少し変なところがある。

「今」は、いつまで「今」なのだろう。

今、と言った瞬間。

その「今」はもう過去になっている。

では、その次の瞬間が新しい「今」なのだろうか。

そうだとすると、「今」というものは、つねに過去へと流れ落ちていくことになる。

一瞬だけ存在して、すぐに消えていく。

そんな「今」を、私たちはどうやって生きればいいのだろう。


「今を生きる」は、意外と難しい

例えば、朝起きた瞬間から、

「昨日のあの言葉、余計だったな」

と考えているとする。

身体は今日の朝にある。

でも、意識は昨日に戻っている。

反対に、

「来月どうなっているんだろう」

「このままで大丈夫なのかな」

「また失敗したらどうしよう」

と考えているとき。

身体は今日にある。

でも、意識はまだ来ていない未来へ向かっている。

だから私たちは、

「今を生きなきゃ」

と思う。

でも、その瞬間にも、

「今を生きられていない自分」

を評価している。

なんだか不思議な話である。


過去も未来も、「今」において経験されている

前回、過去について考えた。

過去そのものが、今ここに保存されているわけではない。

私たちは、今ここで過去を思い出す。

未来も同じだ。

まだ起こっていない未来を、私たちは今ここで想像する。

「明日どうなるだろう」

「来年はどうなっているだろう」

「このまま悪くなったらどうしよう」

未来そのものが今ここに存在しているわけではない。

今ここにあるのは、

未来について考えている現在の自分

である。

そう考えると、過去と未来は単純に「今の外側」にあるものではなくなる。

過去も未来も、今という経験の中で立ち現れている。


それなら、「過去を考えること」は今を生きていないことなのか

私は、そうではないと思う。

過去を思い出すことは、今を捨てることではない。

むしろ、

「今の私は、過去を思い出している」

という現在の経験でもある。

昔の写真を見て涙が出る。

それは過去に戻ったわけではない。

今ここにいる自分の前に、過去が立ち現れている。

昔の自分を思い出して、腹が立つ。

後悔する。

懐かしくなる。

寂しくなる。

そのすべては、今ここで経験されている。

だから、

「過去を考えてしまうから、今を生きていない」

と自分を責める必要はないのだと思う。


未来を心配することも、現在の経験である

未来について考えることも同じだ。

明日のことが怖い。

来週が不安。

将来が心配。

そんなとき、

「未来のことを考えちゃ駄目だ」

と無理に思考を止めようとすると、かえって苦しくなることがある。

未来を心配している自分を、さらに責めることになるからだ。

「私は今を生きられていない」

「また考えすぎている」

「こんなことを考える自分は駄目だ」

でも、そのときでさえ、

不安になっている自分が今ここにいる。

未来への不安も、今において経験されている。

だから、

「未来を考えている私は、今を生きていない」

と切り捨てなくてもいい。


「今に集中しなきゃ」を手放してみる

もしかすると、「今を生きる」という言葉そのものが、私たちを苦しめることがある。

今に集中しなければ。

今を楽しめなければ。

今を大切にしなければ。

そうやって「今」を課題にしてしまう。

すると、

「今をちゃんと生きているか」

を監視する自分が生まれる。

今を生きるために、今を評価し続ける。

それでは、少し疲れてしまう。

だから私は、「今を生きる」をもっと緩く考えてもいいのではないかと思う。


今とは、「何も考えないこと」ではない

今を生きるというのは、

過去を考えないことでも、

未来を心配しないことでも、

目の前のことだけに集中することでもない。

過去を思い出しているなら、

「私は今、過去を思い出している」

と気づく。

未来を心配しているなら、

「私は今、未来を心配している」

と気づく。

悲しいなら、

「私は今、悲しい」

と気づく。

何もしたくないなら、

「私は今、何もしたくない」

と気づく。

それだけでもいいのではないだろうか。


今の自分を、さらに裁かない

ここで、前回の「過去の自分を裁かない」という話にもつながってくる。

私たちは、自分の状態をすぐに評価してしまう。

今日は何もできなかった。

また考えすぎた。

また過去を思い出してしまった。

未来のことばかり心配してしまった。

もっとちゃんと生きなければ。

でも、その評価をしている瞬間にも、自分は今を生きている。

何もできなかった今日も、今日だった。

不安でいっぱいだった時間も、今の自分が経験した時間だった。

ぼんやりしていた時間も、

泣いていた時間も、

眠っていた時間も、

何かを後悔していた時間も、

全部、自分の生の一部である。


「有意義な今」だけを生きなくてもいい

現代では、時間を有効活用することが良いことだとされがちだ。

何かを学ぶ。

仕事をする。

運動する。

成長する。

目標を達成する。

一日を充実させる。

もちろん、それらは素晴らしい。

でも、何も生み出さなかった時間は、本当に価値がないのだろうか。

ぼんやり空を眺めていた時間。

布団の中で動けなかった時間。

何となくスマートフォンを見ていた時間。

ただお茶を飲んでいた時間。

そんな時間まで、

「無駄だった」

と裁かなければならないのだろうか。

生きることを、成果の積み重ねだけにしなくてもいい。


今を「正解」にしなくていい

私は、「今を大切にする」という言葉を、

「今を最高の時間にする」

という意味ではなく、

「今ここにある経験を、必要以上に裁かない」

という意味で捉えてみたい。

楽しいなら、楽しい。

苦しいなら、苦しい。

何も感じないなら、何も感じない。

過去を思い出しているなら、過去を思い出している。

未来を怖がっているなら、未来を怖がっている。

それをすぐに、

「これは良い」

「これは悪い」

「こう感じるべき」

と判定しなくてもいい。


どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう

「今を生きよう」と言われると、

私は今まで、未来や過去を捨てなければならないような気がしていた。

でも、大森荘蔵の時間論を考えていると、少し違う見方ができる。

私たちは、過去を思い出すときも今にいる。

未来を想像するときも今にいる。

泣いているときも、

悩んでいるときも、

後悔しているときも、

不安になっているときも、

今ここで、それを経験している。

だから、「今を生きる」ということを、そんなに難しいことにしなくてもいいのかもしれない。

過去を忘れなくてもいい。

未来を考えなくてもいいわけでもない。

ただ、

今の自分が何を経験しているのかに、ほんの少し気づいてみる。

それだけでいい。

「今をちゃんと生きなければ」と自分を追い立てるのではなく、

「今、私はこうなんだな」

と眺めてみる。

それくらいの距離で、自分の時間と付き合ってみる。

どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう。

その答えは、「今だけを生きる」ことではなく、

過去も未来も抱えたまま、それでも今ここにいる自分を、もう少し責めずに眺めること

なのかもしれない。

今日が充実していなくてもいい。

何かを成し遂げなくてもいい。

過去を引きずっていてもいい。

未来が怖くてもいい。

その全部を抱えたまま、

今日という一日を、今日として生きている。

それだけでも、私たちはちゃんと「今」にいる。



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のん|うつ病・回復の途中。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 スキ・コメント・フォロー、そしてチップでの応援は、すべて執筆の励みになっています。 チップは生活費に充てます☺ 「また読みたい」と思っていただけたら、とても嬉しいです✨️