「どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう?」大森荘蔵哲学⑨まだ起きていない未来に、なぜ私たちは苦しむのか
※はじめに
このシリーズは、大森荘蔵の哲学を専門的に解説・研究するものではありません。
哲学科卒ではありますが、大森荘蔵の研究者ではない私が、彼の哲学を自分なりに読み、「哲学を取り入れることで、少しでも生きやすくなる方法」を模索していくシリーズです。
そのため、ここで書いていることには私自身の解釈や、日常生活への置き換えが含まれています。「大森荘蔵はこう言っている」という断定ではなく、「私はこう読んで、こう考えてみた」という一つの読み方としてお読みください。
誤読や不正確な解釈がありましたら、ぜひ遠慮なく教えてください。読者の方との対話を通して、私自身も考えを深めていけたらと思っています。
はじめに
どうすれば、少しだけ生きやすくなるのだろう。
前回は「今を生きる」とはどういうことなのかについて考えた。
過去を思い出しているときも、未来を想像しているときも、その経験は「今」の中で起こっている。
だから、過去を考えてしまうことも、未来を心配してしまうことも、それだけで「今を生きていない」ということにはならない。
では、未来についてはどうだろう。
私たちは、まだ起きていないことに、どうしてこんなにも苦しめられるのだろう。
明日、何か悪いことが起こるかもしれない。
来月、状況が悪くなるかもしれない。
数年後、自分はどうなっているのだろう。
考えても仕方がないと分かっているのに、考えてしまう。
そして、ときには「まだ起きていない未来」のために、今日一日を消耗してしまう。
未来は、まだ存在していないはずなのに。
未来は、どこにあるのだろう
前回と同じように考えてみる。
過去は、すでに起こった。
現在は、今ここにある。
では、未来はどこにあるのだろう。
明日の出来事は、今この瞬間には起こっていない。
来月の自分も、まだここにはいない。
十年後の自分も、もちろんここにはいない。
それなのに私たちは、
「将来こうなる」
「きっとこうなる」
「このままだと、こうなってしまう」
と未来について語る。
不思議なことである。
存在していない出来事について、私たちはこれほど具体的に考えることができる。
未来は「予測」として立ち現れる
ここで、大森荘蔵の「立ち現れ」という考え方が関わってくる。
未来そのものが、今ここに現れているわけではない。
私たちの前に現れているのは、
「こうなるかもしれない未来」
「こうなってほしい未来」
「こうなったら嫌な未来」
である。
つまり、私たちが経験しているのは未来そのものではなく、現在において思い描かれている未来だ。
例えば、
「明日の発表で失敗するかもしれない」
と考えているとする。
明日の失敗は、まだ起こっていない。
しかし、今の自分の中には、
「失敗した自分」
「周囲の人から見られている自分」
「恥ずかしい思いをしている自分」
といった未来の光景が立ち現れている。
だから、身体は今日にいるのに、心はまだ起きていない出来事によって苦しくなる。
未来を想像すること自体は悪くない
もちろん、未来を考えることには意味がある。
予定を立てる。
危険を予測する。
準備をする。
目標を決める。
将来について考える。
人間が未来を予測できるからこそ、できることもたくさんある。
「明日は雨かもしれない」
と思えば傘を持っていける。
「試験がある」
と分かっていれば勉強できる。
「お金が足りなくなるかもしれない」
と思えば、支出を見直すこともできる。
未来を想像する能力は、私たちが生きていくために必要なものでもある。
問題は、未来を想像することではない。
想像した未来を、すでに起こった現実のように扱ってしまうことなのだと思う。
「かもしれない」が「きっと」に変わるとき
最初は、
「失敗するかもしれない」
だったはずなのに、
「たぶん失敗する」
になり、
「きっと失敗する」
になり、
「私はいつも失敗する」
になっていく。
未来についての一つの可能性が、いつの間にか自分の中で「事実」に変わってしまう。
ここには、とても大きな違いがある。
「失敗するかもしれない」
と
「私は失敗する」
は同じではない。
「嫌われるかもしれない」
と
「私は嫌われる」
も同じではない。
「病気が悪化するかもしれない」
と
「きっと悪くなる」
も同じではない。
未来についての予測には、必ず不確実性がある。
それなのに私たちは、その不確実性を忘れてしまう。
不安は、未来を確定させることで大きくなる
不安になっているとき、私たちは未来を何度もシミュレーションする。
こうなったらどうしよう。
もしこうなったら。
そのとき私はどうする。
ああなったら。
こうなったら。
考えれば考えるほど、未来が具体的になっていく。
そして、具体的になった未来は、本当に起こることのように感じられる。
まだ起きていないのに、すでに傷ついている。
まだ失敗していないのに、すでに恥ずかしい。
まだ嫌われていないのに、すでに孤独になっている。
未来を想像する力は、私たちを守ることもできる。
でも同時に、まだ存在していない苦しみを、現在の自分に経験させることもできる。
未来は一つではない
もう一つ、大切なことがある。
私たちが想像している未来は、一つではない。
例えば、
「このまま何も変わらなかったら、どうしよう」
と考えたとする。
でも、本当に「何も変わらない」だろうか。
人は変わる。
環境も変わる。
出会う人も変わる。
自分の考え方も変わる。
偶然の出来事も起こる。
今日知らないことを、明日は知っているかもしれない。
今はできないことが、数年後にはできるかもしれない。
逆に、今は当然だと思っているものを、未来の自分は手放しているかもしれない。
つまり、未来には無数の可能性がある。
なのに、不安になっているときの私たちは、その中から一番怖い未来だけを取り出して、
「これが未来だ」
と思ってしまう。
「未来の自分」を今の自分から切り離してみる
未来について考えるとき、もう一つ苦しくなることがある。
それは、
「未来の自分も、今の自分と同じだ」
と思ってしまうことだ。
今、何もできない。
だから、この先も何もできない。
今、人間関係がうまくいかない。
だから、これからもずっと人間関係はうまくいかない。
今、自分に自信がない。
だから、未来の自分もずっと自信がない。
でも、未来の自分は、今の自分とは違う。
今より経験が増えている。
今とは違う環境にいる。
今とは違う人間関係の中にいる。
今とは違う知識を持っている。
そして何より、まだ経験していない時間を生きている。
未来の自分を、今の自分の延長線上に完全に固定する必要はない。
「今の自分」だけで未来を決めなくていい
私はここに、少しだけ生きやすくなるための余白があると思っている。
今の自分を見て、
「私はこの先もずっとこうなんだ」
と決めないこと。
今の苦しさを見て、
「この苦しさは永遠に続く」
と決めないこと。
今できないことを見て、
「私は一生できない」
と決めないこと。
もちろん、本当にそうなる可能性もある。
人生には、自分の力だけでは変えられないこともある。
だから、「きっと未来は良くなる」と無理に信じる必要もない。
それはそれで、別の意味で未来を決めつけているからだ。
大切なのは、
良くなるとも、悪くなるとも、まだ決まっていない
ということなのだと思う。
希望とは「きっと良くなる」ことではない
私は、希望についても少し考え方が変わった。
以前は、
「きっと良くなる」
と思えることが希望なのだと思っていた。
でも、そうではないのかもしれない。
希望とは、
「まだ決まっていない」
ということなのではないだろうか。
今が苦しい。
それは事実。
明日も苦しいかもしれない。
それも十分あり得る。
でも、
「だから、この先も必ず苦しい」
とはまだ言えない。
未来が分からない。
それは怖い。
でも同時に、未来が一つに決まっていないということでもある。
未来のために、今日を全部犠牲にしなくていい
未来が不安になると、
「今頑張らなければ」
と思う。
将来のために勉強しなければ。
将来のために働かなければ。
将来のためにもっと努力しなければ。
もちろん、未来のために何かをすることは大切だ。
でも、未来のために今日を全部犠牲にしなければならないわけではない。
今日休むことも、未来を捨てることではない。
今日何もできないことも、人生を諦めたことではない。
今日うまくいかなかったことも、未来の判決ではない。
未来は、今日一日の結果だけで決まるものではない。
どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう
未来について考えることをやめる必要はない。
不安になることも悪くない。
心配することも、弱さではない。
未来を想像する力は、私たちが生きるために必要なものでもある。
ただ、
「これは未来そのものではなく、今の私に立ち現れている未来なんだ」
と、一歩だけ距離を置いてみる。
「失敗する」
ではなく、
「失敗するかもしれない」
「この先もずっと苦しい」
ではなく、
「この先も苦しい可能性はある」
「私は何も変わらない」
ではなく、
「今の私はまだ変わっていない」
と言葉を少し変えてみる。
たったそれだけで、世界の見え方が変わることがある。
未来は、まだ来ていない。
だから、未来について今できることには限界がある。
準備することはできる。
想像することもできる。
願うこともできる。
でも、未来そのものを今から生きることはできない。
私たちが生きられるのは、いつだって今だけだ。
そして、その「今」の中に、
まだ決まっていない未来を抱えた自分がいる。
どうすれば少しだけ生きやすくなるのだろう。
その答えは、
未来を信じることでも、未来を恐れないことでもなく、未来をまだ決まっていないものとして残しておくこと
なのかもしれない。
良くなるかもしれない。
悪くなるかもしれない。
何かが変わるかもしれない。
何も変わらないかもしれない。
今はまだ、分からない。
でも、分からないということは、
まだ終わっていないということでもある。
だから今日は、
未来の自分に判決を下すのを、少しだけ休んでみよう。
まだ来ていない明日のために、
今日の自分まで苦しめなくてもいい。
未来はまだ、未来のままでいい。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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