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葛城憂人の「時代の定点観測」 —世界の裂け目を、ニュースから読む (2026年6月第4週)

覚書は交わされた。しかし10日と経たないうちに、海峡でドローンが飛んだ。国会では「偽情報」に対する法律が成立したが、誰が真実を決めるのかという問いは、法案の外に放り出されたままだ。そして円は、39年半ぶりの安値に迫り続けている。今週も、終わりつつあるものと、まだ名前を持たないものが、同じ時間の中で動いている。


覚書の先に何があるか——イラン核協議、「合意」の断層

6月22日、バンス米副大統領はスイスでの協議後、イランが核査察の受け入れに合意したと発表した。6月17日の戦闘終結覚書署名、ホルムズ海峡の再開通に続く、一連の「合意の連鎖」の新たな一幕として報じられた。しかし同日、イラン国営テレビは「新たな約束はしていない」と伝えた。IAEAのグロッシ事務局長も「原則的に合意している」としながら、方法・日程・場所はまだ詰める必要があると述べた。「合意した」という米国側の発表と、「そんな約束はしていない」というイラン側の否定が、同じ日に並立した。
問題は、この食い違いが偶発的なものではないという点だ。覚書には、核開発や高濃縮ウランの処理といった主要論点は「今後の交渉に委ねられる」とある。今回の合意は、最も困難な問いを棚上げすることで成立している。米石油備蓄は43年ぶりの低水準にあり、市場はホルムズ通航の再開という「結果」を先食いしていたが、その結果を支える「根拠」は、最初から交渉中だった。
そして6月25日、イランがホルムズ海峡を航行するシンガポール船籍の貨物船を自爆型ドローンで攻撃した。翌26日、米中央軍はイランのミサイル・ドローン保管施設と沿岸レーダー施設を空爆、「強力な報復」と位置付けた。イラン革命防衛隊は中東地域の米軍拠点への攻撃を発表し、トランプ大統領はイランの行動を「愚かな違反」と批判、イラン議会の安全保障委員会トップは「アメリカはまたも交渉の最中にイランを攻撃した」と反発した。覚書署名からわずか10日。核査察協議の行方も、再び霧の中に消えた。
イランがなぜ、この時期に査察受け入れを「原則的に」打ち出したのかという問いは、依然として有効だ。軍事的打撃によって核施設を相当程度破壊されたイランにとって、今の「査察受け入れ」は、本当の意味での核放棄ではなく、時間を買うための外交的身振りである可能性を排除できない。かつてイラクのフセイン政権が繰り返した、査察と非協力の繰り返しというゲームが、形を変えて再演されるリスクがある。
ここで問うべきは、この「合意」が誰のヘゲモニーの下で成立しているのかという問いだ。
冷戦期の核秩序は、米ソという二つの超大国が互いを抑止し、残りの世界を管理するという構造の上に成り立っていた。ポスト冷戦期には米国が単極覇権の下でその管理を引き継いだ。しかし今、米国はパキスタンの仲介を必要とし、中国は「合意を歓迎する」という立場で存在感を示し、G7は連携を演出しながらも各国の思惑はばらばらだ。「イランの核」という問題を処理するための一元的な権威が、もはや存在しない。
これがインターレグナムの核問題の姿だ。旧い核秩序——米国が睨みを利かせる一極構造——はすでに機能不全に陥っている。しかし、新しい多国間の核管理の枠組みは、まだ輪郭すら見えていない。覚書は「秩序の代替」ではなく、「空白の糊塗」にすぎない。それは今週、文書の上だけでなく、海峡の上でも証明された。
グラムシの言葉を使えば、これは「旧い秩序が死に絶え、新しい秩序がまだ生まれていない」状況を、外交文書の署名によって一時的に覆い隠す行為だ。覆いの下で、問いは生き続ける。イランは核兵器開発への意志を本当に放棄したのか。それを誰が、どのような権威によって保証するのか。この問いに答える制度が存在しない限り、何枚の覚書に署名しようとも、インターレグナムは終わらない。



「真実の番人」は誰が決めるか——選挙SNS偽情報対策法、衆院通過

6月26日、選挙運動に関するSNS対策の法改正案が衆院を通過した。改正は二本立てだ。一つは公職選挙法の改正で、選挙期間中にSNS上で偽情報を投稿することを違法行為と明記する。もう一つは情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)の改正で、XやYouTubeといったSNS事業者に対し、選挙の公正を害する情報の悪影響を軽減する措置を義務付け、その対応状況を年1回公表させる。自民・維新・国民民主・参政党・チームみらいの与野党6党による共同提出で、委員会では全会一致で可決された。AI生成動画・画像へのAI使用表示の義務化も盛り込まれ、施行は来年3月1日——来春の統一地方選に間に合わせる設計だ。
法案の必要性を否定するつもりはない。2月の衆院選では、候補者を貶めるネガティブ動画が組織的に大量生成・拡散された事実がある。選挙という民主主義の根幹を守るための手当てが必要なことは、議論を要しない。
しかし、問うべきはその先にある問いだ。「偽情報」とは何か、誰がそれを判定するのか。
法案の構造を見ると、問いの所在が浮かび上がる。公選法の改正は利用者に「偽情報を投稿するな」と義務を課すが、罰則はない。情プラ法の改正は事業者に対策を求めるが、「何が偽情報か」の判定基準は事業者に委ねられる。つまりこの法律は、偽情報の判定権を、事実上、XやYouTubeやInstagramを運営するグローバルテクノロジー企業に預ける構造になっている。
なぜか。国家が「真実の番人」になることへの、当然の懸念があるからだ。政府が「これは偽情報だ」と指定できるようになれば、それは検閲の扉を開く。だから、判定は事業者に委ねる。それはそれで一つの制度的判断だ。しかし、ここに新しい問いが生まれる。では、民主的な選挙における「真実」の判定権を、株主への責任を負う民間グローバル企業が握ることは、正当なのか。
グラムシ的に言えば、これも一種の「受動的革命」だ。選挙の公正を求める下からの圧力——特に2月の衆院選での組織的なフェイク動画問題への世論の怒り——を吸収しながら、支配的な政党政治の枠組みそのものは温存する。全会一致という「超党派の合意」は、この立法の政治性を不可視化する。
より根底にある問いはこれだ。SNS上の言論空間が、少数のグローバル企業のアルゴリズムと判断基準によって形成されることを、民主主義は本当に承認できるのか。その問いを国会が本格的に議論した形跡は、見当たらない。法案の「全会一致」は合意の深さを示すのではなく、問いの回避を示す。



「安い日本」は誰の問題か——1986年以来39年半ぶりの円安迫る

6月22日のニューヨーク外国為替市場で、円相場は一時1ドル=161円93銭まで下落した。2024年7月以来約2年ぶりの安値で、1986年12月以来約39年半ぶりの円安水準に肉薄した。片山財務相はベッセント米財務長官と緊急のオンライン協議を行い、「断固たる措置を取るとの日米合意は揺るぎない」と言明した。しかし、その言葉は市場への実効的な歯止めにはなっていない。
ここで立ち止まるべき事実がある。6月に入って中東情勢の緊張は緩和し、原油価格は下落した。にもかかわらず、円安は止まらない。これが意味するのは、今年の円安の根が「外的ショック」——ホルムズ危機による原油高騰やドル需要——だけにはないということだ。外圧が緩んでも通貨が戻らないとき、問題は外にではなく、内にある。
その「内なる問題」の正体は何か。一つは日米金利差だ。金利の高い通貨には資金が集まり、金利の低い通貨は売られる——これが為替の基本的な引力だ。米国では根強いインフレへの対応として高金利が続いている一方、日銀は利上げのペースを慎重に保っている。なぜか。急激な利上げは、住宅ローンや企業債務の負担を一気に増やし、個人消費と設備投資を冷やしかねない。デフレからようやく抜け出しつつある日本経済を、再びデフレに引き戻すリスクを、日銀は恐れている。しかしその慎重さが、日米の金利差を温存する。円を持っているより、高金利のドル資産に替えた方が運用上有利だと判断した投資家が、円を売ってドルを買い続ける。これが円安の基本的な圧力だ。もう一つは、高市政権の「責任ある積極財政」路線が、市場から財政規律の喪失と読まれるリスクだ。しかしより根本的な問いは、これが今に始まった話ではないという点にある。国際決済銀行(BIS)による「実質実効為替レート」——各国の物価水準を加味した、通貨の総合的な購買力——では、円の水準はすでに統計開始以来の最低を下回っている。名目レートが39年半ぶりの水準に迫っているという事実よりも、この数字の方が重い。名目の数字が戻っただけで、実質の力はその1986年当時をも大きく下回るところまで、長期にわたって劣化し続けてきた。
だとすれば、問いを立て直す必要がある。これは「安い円」の問題ではなく、「安い日本」の問題だ。
「安い円」とは為替レートの問題だ。しかし「安い日本」とは、円で測った日本の労働、土地、時間、サービス——つまり日本人が生み出す価値そのものが、世界の目には安く映っているという問題だ。外国人旅行者が日本で驚くのは「物価の安さ」だが、それは日本人にとっての「自分たちの稼ぎの安さ」と表裏一体だ。日本で働いて円で稼ぐということは、世界基準で見たとき、その労働の価値が年々目減りしていることを意味する。優秀な人材が外資系企業や海外に流出し、国内の研究開発投資が伸び悩み、大学の国際競争力が低下し続けている——これらはすべて「安い日本」という一つの根から生えている。
メディアが「1ドル161円」という数字の攻防を追い、介入があるかどうかを問い続けている間、問いの本体——なぜ日本の価値がここまで安く売られているのか——は、二次的な関心事に後退したままだ。2026年の春闘は3年連続で5%超の賃上げを達成した。それは事実だ。しかし実質賃金がプラスを維持できるかどうかは、名目賃金だけでなく、円の実力次第だ。輸入物価の上昇は食料品と光熱費の値上がりとして家計に直撃する。数字の攻防を見ている間に、生活の地盤が静かに沈んでいく。
なぜ、これほど深刻な問題が「自分事」として受け取られないのか。ここにユング心理学が照らし出す構造がある。ユングの言う「影(シャドウ)」とは、意識が認めることを拒絶し、無意識の底に押し込めてきたものだ。「安い日本」という現実は、まさにその構造をもっている。賃上げ率5%超、株価最高値更新、インバウンド消費の活況——これらはすべて「日本は豊かで強い」という集合的ペルソナを補強する物語として機能してきた。しかしその背後で、通貨の実質的な購買力は、誰も直視しないまま長期にわたって劣化し続けてきた。円安の被害は日々の食費や光熱費の微細な上昇として忍び込むため、個人の財布の痛みと国家の通貨の劣化が、意識の上でつながらない。影は、見ないでいることで、より深く根を張る。
グラムシ的に言えば、政府の対応はこの影をさらに深く押し込む役割を果たしている。「インフレ対策」や「賃上げ促進」という介入が次々と打たれるが、それらは現象への対症療法であり、「なぜ円が売られているのか」という構造的な問いへの答えではない。下からの生活不安という圧力を吸収しながら、円安を生み出している構造そのものには手をつけない。これは「受動的革命」の経済版だ。政府は「対策した」という実績を積み重ねながら、問いそのものを解かないまま先送りしている。
今週の円安は、数字の問題ではない。「日本という国の価値が市場にどう評価されているか」という問いが、為替という形で可視化されている瞬間だ。そしてその問いは、来週も、再来週も、答えを待ち続けている。


今週見た三つの動きは、それぞれ異なる「空洞」を映している。中東では、覚書という紙が、本当の問いを覆い隠している。国会では、法律という形式が、「誰が真実を決めるか」という権力の問いを不可視化している。そして為替市場では、数字という現実が、「安い日本」という自己像の剥落を、一円単位で可視化し続けている。
覆われたもの、回避されたもの、そして逃げ場なく露わになったもの。インターレグナムとは、この三層が同時に進行している状態の名前でもある。来週も、その裂け目から読み続ける。

【注記】
ヘゲモニー:グラムシの概念。軍事力ではなく被支配者の「同意」によって維持される権力の形。
受動的革命:グラムシの概念。支配層が下からの圧力を吸収しつつ、主導権を手放さずに改革を遂行する過程。
インターレグナム:グラムシが転用したラテン語。「旧い秩序が死に絶え、新しい秩序がまだ生まれていない」過渡期。
ペルソナ/影(シャドウ):ユング心理学の概念。ペルソナは社会に向けて提示する公的な仮面、影はその裏側に抑圧された部分。
実質実効為替レート:各国との貿易量や物価水準の違いを調整した、通貨の総合的な購買力を示す指標。名目の円ドルレートより「円の実力」を正確に映す。
情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法):2024年成立。SNS等のプラットフォーム事業者に対し、違法・有害情報への対応義務を定めた法律。今回の改正でその対象に「選挙の公正を害する情報」が加えられた。

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