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無口の泉 私はなぜ話すのか 260118

12月に全く愛想の無い中学生と何日か共にした。それが帰っていった後、何日も何日も、今になっても、後を引いているんだ。彼女は性別は女なんだけど、どう見ても男の子で、歩き方も、話し方も、持っているものすべてが男の子、というよりは、30代の非常におしゃれな男性、みたいな感じだった。ものごころついたころから、女っぽいものが気持ち悪いそうだ。将来はどうなるかわからない。その状態で、ものすごく大切に育てられている。持ち物は全て「なぜそれを所持しているのか」というはっきりとした理由があり、高性能なものだった。すごく頭のいい子で、大人でも読まない難易度の本を読んでいた。

そして名前も、男の子の名前だった。まあ女の子の名前としてあり得ない名前ではない。ダイキとかユウトという名前ではなくて、たとえばカナタとか、そんな名前だった。ここではカナタとしよう。

カナタは、無表情で、ほどんど話さなかった。
何をしても無表情だけど、それに徹しているわけではなかった。
彼女は、表情をつくってみせるということをしないだけなのだ。
「一生懸命作ったお菓子だよ」
そう言っても、眉ひとつ動かさなかった。
「どお?」
と聞くと、味について自分が感じたことだけを述べた。
つまりこうだ。
「最後の後味がちょっと」
「さくさく感が無かった」
「紅茶が欲しい」
もちろん美味しいという時もあるけど、彼女は味に、というより表現が厳密で、適当なことで「美味しい」は言わないのだった。私が美味しいを乱発しているのと対照的だ。彼女の「美味しい」を100%とすると、私の美味しいは10パーセントくらい安易にで発動される気がする。

彼女は毎日やりたいことだけを厳選し、絵を描き、小説を書き、立体を作り、楽器を弾き、非常に満たされていて、一人で好きなものに囲まれて本を読んでいるときなどは「このまま死んでもいいと思うくらい幸福」なのだそうだ。

人に嫌悪されることを恐れ、人に受け入れられることを人生の軸として必死で世界の機嫌取りをしてきた私にとって、この子の存在は衝撃で、最初はいらだち、こんな状態で大人になれるわけがないと母が私にしたように呪ったが、誰が見ても見ていなくても、こんこんと満たされ続ける彼女の心の泉を見て、盛られた毒がじわじわ効いてくるような、実は両親は育ての親だったと聞かされたようなショックを味わい続けている。

「私達楽しいね、そうだよね」
「私のこと好き?ちゃんと役に立ってる?」
「私もちょっとはいいとこあるんだって、わかってくれてる?」
「あなたが私のためにしてくれたら、それだけでなんでもいい、私もがんばる」
「笑って。私も笑うよ。一緒に写真を撮ろうよ」
「わたし、どう見える?ちゃんとかわいい?だらしなくない?」

今まで呼吸をするように一生懸命にしてきたことが惨めに見えて、悲しくなってしまった。

こんこんと、湧き出る静かな自分だけの泉。

私はなぜ一生懸命に話すのだろうか。なぜ共有を確かめたがるのだろうか。
なぜだろうか。






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