第1回 「通知表廃止」と「評価・評定の廃止」は同じではない
【シリーズ】小学校の通知表、なくしたらどうなる?
――専門家と現場教員が考えた、子どもの成長を支える評価のかたち
小学校の通知表を廃止する動きが報じられ、ニュースやSNSではさまざまな意見が交わされています。
「低い評価は、子どもの劣等感につながる」
「自分への評価を知ることは必要だ」
「通知表がなくなったら、子どもの学習状況が分からない」
「先生の負担を減らすためには、廃止した方がよい」
どの意見にも、理解できる部分があります。
ただ、この議論を考えるとき、最初に整理しておかなければならないことがあります。
それは、
通知表をなくすことと、学校が子どもを評価しなくなることは同じではない
ということです。
私自身も教員なので、通知表をなくすことが、学習評価や評定そのものの廃止につながるとは考えていません。
私が気になっているのは、別のことです。
通知表という形式をなくした後、子どもと保護者へ、何を、いつ、どのように伝えるのか。
しかも、通知表に書かれているのは、教科の成績だけではありません。
学校によって内容は異なりますが、学校生活での行動、特別活動、出欠、担任による所見などが記載されることもあります。
したがって、通知表廃止を考えるときには、教科の評価だけでなく、
学校での学習と生活の姿を、家庭へどう伝えるのか
まで考えなければなりません。
通知表を廃止する先行事例が出ている
静岡県掛川市では、小学校低・中学年の通知表を段階的に廃止する方針が示されています。
報道では、通知表の作成にかかる時間を減らし、子どもや保護者と向き合う時間に充てることが目的の一つとして説明されています。(news.tv-asahi.co.jp)
こうした取り組みを聞くと、
「通知表がなくなれば、評価もなくなるのか」
「子どもの様子は、どうやって家庭へ伝えるのか」
という疑問が浮かびます。
しかし、「通知表」「学習評価」「評定」「指導要録」は、同じものではありません。
まず、この違いを整理する必要があります。
通知表、学習評価、評定は同じではない
学習評価
学習評価とは、授業中の様子、テスト、提出物、発表、作品などを通して、子どもが何を理解し、何ができるようになったのかを捉えることです。
評価は、学期末に成績を付けるためだけに行うものではありません。
教師が授業を改善したり、子どもが自分の学習を見直したりするためにも行われます。
評定
評定は、一定期間の学習状況を、段階などで総括して示したものです。
通知表に記載される「よくできる・できる・もう少し」や数字などは、その一例です。
ただし、表示方法や段階数は学校によって異なります。
指導要録
指導要録は、児童の学籍や指導の過程・結果を記録する、学校が必ず作成しなければならない公的な書類です。
小学校の指導要録には、各教科の学習記録だけでなく、道徳、外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動、行動の記録、総合所見、出欠などが記載されます。(mext.go.jp)
通知表
通知表は、子ども本人や保護者へ学校での状況を伝え、その後の学習や生活を支えるために、各学校が作成しているものです。
指導要録とは異なり、通知表には国が定めた統一様式がありません。記載する内容、方法、回数、様式などは、学校や設置者が工夫できます。(mext.go.jp)
つまり、
通知表をなくしても、学習評価や評定、指導要録の作成がなくなるわけではありません。
なくなるのは、評価や記録そのものではなく、それらを子どもや家庭へ伝える一つの形式です。
通知表には、教科の成績以外の情報もある
通知表というと、国語や算数などの教科成績を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、実際の通知表には、それ以外の情報が載っていることがあります。
例えば、学校生活での行動について、
掃除や係活動に進んで取り組む
友達と協力する
時間や決まりを守る
自分の役割を果たす
といった項目を、◎・○・△などの記号で示す形式があります。
これが、通知表上の「行動の記録」です。
一方、「所見」は、担任が子どもの学習や生活で見られた成長を文章で伝える欄です。
行動の記録と所見は、同じものではありません。
行動の記録には、複数の項目を一覧で確認しやすいという特徴があります。
所見には、記号だけでは伝わらない具体的な場面や成長を書けるという特徴があります。
ただし、通知表の様式は学校ごとに異なります。
すべての学校に同じ項目があるわけでも、同じ記号が使われているわけでもありません。
⚠️ 通知表の内容について考える際は、自分が知っている学校の形式を、全国共通の制度だと思わないよう注意が必要です。
行動の記録は、何を評価しているのか
「掃除を進んでする」といった行動の記録には、教科成績だけでは見えない学校生活での姿を伝えられる利点があります。
一方、記号だけでは、どの場面を根拠に判断したのかが分かりにくいという問題があります。
また、行動への評価が、
「この場面では十分に行動できなかった」
という意味ではなく、
「この子には責任感がない」
という人格全体への評価として受け取られる可能性もあります。
教師が見つけやすい行動と、見つけにくい行動がある点にも注意が必要です。
行動の記録を考えるときには、
どの行動を、どの場面で、何を基準に評価しているのか
が問われます。
この問題は、第3回で、学年による違いや所見との役割分担も含めて詳しく考えます。
SNSでは、別々の問題が一つに混ざっている
通知表廃止をめぐる議論では、いくつかの異なる問題が、一つにまとめて語られています。
例えば、
教科の段階評価が必要か
行動を記号で評価する必要があるか
所見を毎学期書く必要があるか
家庭へ何を伝えるべきか
教師の作成負担をどう減らすか
子どもの心理的負担をどう考えるか
は、それぞれ別の問題です。
教科の評定を残しながら、所見の回数を減らすこともできます。
紙の通知表をなくし、面談やデジタル配信へ切り替えることもできます。
行動の記録だけを見直すこともできます。
通知表を年1回にして、学期途中の情報を別の方法で伝えることもできます。
実際、文部科学省の通知でも、文章による評価を学期ごとではなく、年間の学習状況としてまとめて記載する方法が例示されています。(mext.go.jp)
したがって、
通知表を残すか、すべて廃止するか
という二択だけでは、制度の中身を十分に議論できません。
段階評価だけでは、次に何をすればよいか分からない
通知表の段階評価には、一定期間の状況を短くまとめられる利点があります。
保護者も、全体像を短時間で把握できます。
しかし、例えば算数が「もう少し」だったとしても、その記号だけでは、
計算方法が身に付いていないのか
問題文を読み取ることが難しいのか
考え方を説明することに課題があるのか
学習内容は理解しているが、評価材料が不足したのか
までは分かりません。
行動の記録も同じです。
「掃除への取り組み」が○だったとしても、どのような行動が評価されたのかは、記号だけでは分かりません。
段階評価やチェック式の記録は、情報を要約する方法としては便利です。
しかし、情報を短くすればするほど、その判断理由は見えにくくなります。
では、所見を詳しく書けばよいのか
記号だけで伝わらないなら、文章で詳しく説明すればよい。
そう考えるのは自然です。
所見には、子どもの具体的な成長や、学校で見られた姿を伝えられる価値があります。
しかし、全員について毎学期文章を書くには、具体的な場面の記録、文章の作成、内容の確認など、大きな労力が必要です。
そのため、学校によっては、所見を毎学期ではなく、3学期や年度末だけに記載し、途中の情報を面談などで伝える運用もあります。
ここでも問われるのは、
詳しい情報を伝えることと、学校が無理なく続けられることを、どう両立させるか
です。
行動の記録や所見をどう設計するかについては、第3回で改めて検討します。
通知表は、いったい誰のためにあるのか
通知表には、複数の目的が重なっています。
子どもにとっては、自分の学習や学校生活を振り返る材料です。
保護者にとっては、家庭では見えない学校での姿を知る情報です。
教師にとっては、一定期間の評価を整理し、次の指導につなげる機会です。
学校にとっては、子どもの状況を家庭と共有する仕組みでもあります。
ただし、一枚の通知表で、すべての目的を十分に果たすことは困難です。
子どもに分かりやすくしようとすれば、説明は簡潔になります。
保護者へ詳しく伝えようとすれば、情報量が増えます。
教師の負担を抑えようとすれば、記載内容を絞る必要があります。
学校として記録を残そうとすれば、一定の形式も必要です。
通知表を考えるときには、
誰に、何を伝えるためのものなのか
を明確にする必要があります。
なくすだけでは、教員の負担も情報格差も解決しない
通知表を廃止すれば、印刷や点検、所見作成などの一部の作業は減る可能性があります。
しかし、その代わりに、
個別面談を増やす
学習記録を細かく配信する
アプリへコメントを入力する
ポートフォリオを作成する
自己評価表を確認する
といった業務を追加すれば、全体の負担は減らないかもしれません。
また、情報をオンラインで見られるようにしただけでは、すべての家庭に十分伝わるとは限りません。
面談へ参加しやすい家庭。
学校からの配信を頻繁に確認できる家庭。
教師へ積極的に質問できる家庭。
こうした家庭には詳しい情報が届く一方、時間や言語、通信環境などの事情がある家庭には、必要な情報が届きにくくなる可能性があります。
情報を見られる状態にすることと、必要な人へ情報が届くことは同じではありません。
通知表を廃止するなら、代わりの仕組みがすべての家庭へ届くかまで考える必要があります。
問うべきなのは、紙を残すかどうかではない
通知表をなくしても、学校は子どもの学習状況を把握します。
評定や指導要録も残ります。
学校生活での行動や成長についても、教師は日常の中で見取り、必要に応じて指導へ生かします。
問題は、その結果をどう伝えるかです。
教科の到達状況。
次に取り組む課題。
学校生活で見られた成長。
行動の記録。
所見。
出欠。
これらをすべて一枚の紙へ載せる必要があるのか。
どの情報を毎学期伝え、どの情報を年度末にまとめるのか。
子ども本人へ伝える内容と、保護者へ伝える内容は同じでよいのか。
面談、紙、デジタル配信をどう組み合わせるのか。
問うべきなのは、
通知表という紙を残すかどうかではありません。
教科の学習状況と学校生活での姿を、子どもと家庭へ、何を、いつ、どのように伝えるのか。
通知表廃止をめぐる議論は、学校から家庭への情報提供全体を見直す議論であるべきです。
次回
第2回 通知表は子どもを伸ばすのか
――5つの専門領域から検証する「評価」と「劣等感」
「通知表は劣等感につながる」
「自分への評価を知ることは成長に必要だ」
「具体的なコメントの方が子どもを伸ばす」
こうした主張には、どこまで研究上の根拠があるのでしょうか。
次回は、教育政策、教育評価、発達心理、学校実務、社会的公正という五つの視点から検証します。
なお、第2回で扱う研究の多くは、教科の成績や学習上のフィードバックを対象としています。
行動の記録や所見は教科評価と同じものではないため、その影響や運用上の問題については、第3回で改めて考えます。
主な参考資料
制度・学習評価
文部科学省「小学校及び特別支援学校小学部の指導要録に記載する事項等」
自治体の実践・報道
掛川市議会「令和7年第5回定例会一般質問通告要旨」
テレビ朝日「小学校で通知表廃止広がる」
※自治体の実践や報道、SNS上の反応は、通知表廃止の効果を証明するものではありません。制度を考えるための背景資料として参照しています。
