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あのときのアイスの味は覚えていない

#正直になってよかったこと

一度だけ 
お店のものを黙って持ち出してしまったことがある。

今から50年以上も前
私が3歳、姉が5歳のころのこと。

私たち姉妹は5階建ての団地に住んでいた。
4.5畳の和室が2つと6畳の和室が1つ。
和室にはそれぞれ押し入れが付いていて
ダイニングが6畳、台所が2畳。
すりガラスで区切られたトイレとお風呂。
ダイニングには壁にガス栓がついていたし
お風呂には浴槽の横に追い焚き釜がついていた。
ひんやりとした灰色のコンクリートでできた
ザ・昭和な団地。

一棟にはだいたい30部屋くらいだろうか。
1970年代のことなので
子どもの数もまだまだ多かった。

団地の建物の前は
自転車置き場と道路と芝生になっていて
道路といっても住民専用なので
どこかに通じているわけではない。
たまに配達の車が通るくらいだから
子どもたちの格好の遊び場になっていた。

保育園や学校から帰ると
いつも誰かしら前の道路で遊んでいたので
前もって遊ぶ約束をしていなくても
そこにいる子に混ざって遊ぶ。

習い事や友達との約束があったりするから
合流や離脱も自由だし
「お洋服が汚れると怒られるから」って
一緒に遊ばないで見ているだけの子もいたっけ。

何をして遊ぶかは年上の子が決めて
年下の子は「みそっかす」として
少し邪険にされながらも
ときには特別ルールでハンデをもらいながら
がんばってついていく。

なわとびやローラースケート、バドミントン、ボール投げやかくれんぼ。
チョークで地面にお絵かき。芝生でクローバーの冠づくり。
たまに自転車で団地内の公園に遠征する。

そんな毎日だった。

その日に限って
外にいた子は姉と私、そしてRちゃんだけだった。
Rちゃんは姉より2つか3つ上の女の子。
当時小学校低学年だったと思う。
いつも1人でいる印象の子で
何となくみんなから敬遠されていたような雰囲気もあったので
顔と名前はお互い知っているけれど
一緒に遊ぶのは初めてのことだった。

しばらく遊んだあと、Rちゃんは

「ねえ、アイス食べたくない? Sマートに行こうよ」

と言いだした。
Sマートは団地のはしっこにある小さな小さな商店だ。

生鮮食品から身の回りの消耗品まで置いていて
いつも団地の主婦たちで混んでいたが
カゴを持ってすれ違おうとするとぶつかってしまうくらい
段ボールの積まれた通路はせまくて
ちょっとごちゃごちゃした感じの
スーパーと呼ぶよりは よろずやと呼んだほうが似合うお店だった。

「でもお金持ってないよ」
と答えた私たちに、Rちゃんはこう言った。

「大丈夫だよ。こっそり持ってきちゃえばバレないし、怒られたことないから」

え。大丈夫なのかな。

「でも……お店のもの勝手に持ってきちゃいけないんだよ」

「バレなきゃ絶対大丈夫。アイス食べたいでしょ」


お金でもお菓子でもゲームでも
子どもに好ましくないと親が考えているものを
子どもにどう与えるのかは加減が難しい。
全面的に与えるのか、禁止するのか。
様子をみながら調整するのか。

母は全面的に禁止するタイプだった。
その頃自然食品に凝っていた母の用意するおやつは
かりんとう、ごませんべい、そばぼうろといったラインナップだったから
アイスの誘惑は、幼児には抗いがたいものがあった。

絶対に大丈夫、と繰り返すRちゃんに引っ張られるように
私たちはSマートへ向かっていた。
自分でふたを開けて選ぶタイプの
よくあるアイスの冷凍ケース。
出入り口の近くに置かれていて、レジからは離れた場所にあった。

そもそもレジだって1品1品手で打ち込む時代だ。
防犯カメラもなかっただろう。

Rちゃんは通路に並ぶ主婦たちの間を縫うようにアイスのケースに近づき
片手でふたをスライドさせると、迷わず1本のアイスを選び
私たちにも好きなものを取るようにうながした。


数分後、私たち3人はそれぞれアイスを1本ずつ手に持って
Sマートから自宅へ向かう道の
距離でいえばちょうど真ん中あたりの道ばたに腰掛けていた。

ーーーーーー 誰も追いかけてこない。

「ね。大丈夫だったでしょ。」

Rちゃんは涼しい顔をしている。

「……うん。」

「溶けちゃうよ。ここで食べちゃおう」

姉と私は顔を見合わせ
おそるおそる自分の手に持ったアイスを口に運んだ。

ちょうどその時、今しがた私たちが歩いてきたSマートの方向から
大人の女の人が1人歩いてくるのに気づくと同時に
それが誰か分かった瞬間 
私と姉は凍りついた。(アイスだけに)


母だった。

どこかで用事を済ませた母が、よりによってこのタイミングで
てくてくと歩いてきたのだ。

母はこちらに気づくと、あら、と一瞬笑顔を浮かべかけたが
すぐに異変を感じたようだった。

目の前まで来た母は笑っていなかった。

「あなたたち、そのアイスどうしたの」

うなだれる姉と私。
もうアイスが楽しみだった気持ちなんてどこかへいってしまった。

「……お店から黙って持ってきちゃったの……」
「……ごめんなさい……」


母はすぐに私たちを連れ、Sマートに謝りに行った。
お金を払い頭を下げる母と、泣きながら謝る私たちに
「小さな子のしたことだから」と
お店の方は寛大に許してくれたようだ。
(ほんとうにすみません。ありがとうございます……!)

年端もいかない子をそそのかすなんて、と
母はRちゃんに対してずいぶん憤慨していたようだったが
Rちゃんはあの後どうしたんだろう。

謝りに行った時に一緒にいた記憶がないし
「おばちゃんがあなたの分もお金を払っておくから、
おうちの人と後でちゃんと謝りにいきなさい」
と母が諭したと思うので
そのまま家に帰ったのかもしれない。

その後Rちゃんと言葉を交わすことはなかったし
一緒に遊ぶこともなかった。

あの時もしRちゃんと会わなかったら。
誘われても断っていたら。
食べ終わるまで誰にも気づかれなかったら。
母に聞かれた時に嘘をついていたら。

あのタイミングで母に会ったこと
正直に伝えたことで
おおごとにならず済んだけれど
アイスはおいしかったどころか味も覚えていないし
もう二度としないと子ども心に思ったものだ。

今 アイスをおいしく食べることができていてよかった。

Rちゃんはどうだっただろうか。
彼女が、問題行動という形で出していたSOSを
誰かがきちんと受け止めてくれたならいいのだけれど。

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