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推し文化の浸透と創作者のコンテンツ化

 前回は人をコンテンツ化する弊害について記事にした。今回はそれを前提にしながら、推しという概念が流行しすぎた結果として起こってしまった「創作物に限らず作者にまで人格的な素晴らしさを求める風潮」や、「神として崇めること」がいかに人をコンテンツ化する行為であるか、推し活という概念の弊害と共に考える。

 また、普段は二次創作について記事にしているため、この記事では二次創作で起こりがちなことも交えて書く。そのため一般的な価値観では理解し難い考え方もあるとは思うが、ご了承の上、お読みいただきたい。

作品だけでなく作者まで消費されるコンテンツとなった現代

 「商業だけに留まらず、趣味で創作活動をしている人を推す」
 創作に関わる人ならば誰しもが一度は見たことがあるか、あるいは創作する側として推されたことがあるかもしれない。このような行為が行われる現象は、推し活の概念が広がりすぎた結果として、創作者やその活動が「消費される対象」として見られるようになった悪影響だと考えられる。
 このように書くと、中には好きな作品を作った人を知りたいと思うのは当然のことと反感を持つ人がいるかもしれない。しかし、そう言いながらも実態としてはその人をただ消費しているだけである。
 何故ならば「知りたい」という行為は、通常、相手の内面や本質に触れることを指す。しかし、推し活やSNS上での「知る」という行為は表面的な情報収集に偏りがちだ。
例として、
• SNS投稿、インタビュー、発言の一部など断片的な情報
• ファン向けのパフォーマンスや公式のプロフィールに基づいた認識
があるだろう。これらは、相手の「ありのまま」ではなく、あくまで一側面に過ぎないため、本質的な理解には繋がらない。

 また、他には「私はこれだけ情報を知っている」というステータスを主張するためや、他のファンよりも「詳しい」と思われたい願望を満たすためであったり、なかでも相手を「知る」より「理想に当てはめる」ケースはかなり多い。
 この場合、相手を「知りたい」と言いつつもその人の実際の姿を理解しようとするのではなく、自分の理想像に当てはめているだけだ。そのため一度でも相手が理想像から外れると「裏切られた」と感じることになる。このことから、関係性が消費的であることは明らかだ。
 こう指摘されることで、ショックを受ける人もいるだろう。「愛」と思っていた行為が実態としてはただの「消費活動」に過ぎなかったというのは到底受け入れ難い事実だ。しかし、「消費活動」自体は悪くない。問題は消費していることに無自覚なことだ。健全な人間関係を築くためにも、推しと言えるぐらい好きな相手だからこそ、しっかりと自覚をした上で境界線を意識する必要がある

 以上、ネット上の「知る」は消費活動でしかない理由について述べた。それでは何故、多くの人がこのような勘違いをすることになってしまったのか?
 その理由としては、情報過多と接触の容易さが挙げられるだろう。
 昨今ではSNSやメディアの発達により、好きな相手に関する情報を簡単に収集できるようになった。しかし、その情報の多くは断片的であり、作られたイメージや表面的な側面に限られている。この「断片の消費」こそが、実際の理解ではなく、情報の切り取りによる「知った気になる」感覚を生み出してしまうのではないだろうか?


推し活の概念が一般人の創作活動に影響を及ぼす背景

 次に、どうして一般人の創作者を推す人が現れるのか、その背景を考える。

(1) 「推す」という文化の拡大

 そもそもとして、推し活はもともとアイドルやキャラクターといった「商業的なコンテンツ」を応援する行為だった。しかし、SNSの普及により、誰でも自己表現を発信できる時代になった結果、範囲が拡大され商業的な対象以外にも「推す」という行為が適用されるようになってしまった。特に個人の創作活動が手軽に公開できる場(Pixiv、Twitter、YouTubeなど)では、この傾向が顕著だろう。

(2) 創作者を「コンテンツ」として見る感覚の浸透

 
上記のような拡大解釈された「推し活」の影響で、創作者そのものがコンテンツの一部とみなされることも増えてきた。元々オタクの世界では創作者は崇拝されたり尊敬される土壌があったので、こうなったのは当然の成り行きとも言える。これは、創作物だけでなく、創作者の性格や発言、生活スタイルにまで興味を抱く傾向を助長し、結果的に「創作者そのものを消費する」という行動を生み出してしまったと考えられる。

(3) 承認欲求と消費行動の融合

 創作者に対して「応援する」「支える」という行為は、ファン側から見ると「自分の存在価値を高める行動」として意味付けられることがある。アイドルを推す心理と同じく、努力したり才能に溢れる対象を推すことで対象と自己を同一化させて自身の辛い現実から逃避したり、創作者の成長が自身の応援の成果だと自己満足を得るようになる。その結果、推し活的な行動が創作活動の文脈にも持ち込まれ、創作者が無意識のうちに承認欲求の対象となってしまうという現象が起きる。


一般人の創作者が「推される」ことの問題点

 最後に、一般人の創作者が「推される」結果として起こりがちな問題と対策を考えて、この記事を終わりとする。

(1) 創作者への負担増加

 推されることによって、創作者が「応援されることを前提にした行動」を求められる場合がある。例えば、趣味でやっている創作なのに、次の作品や活動に対する期待を過剰に寄せられることで、ファンの期待に応えなければならないというプレッシャーを感じたりする。
 大前提として、二次創作はあくまで一般人が趣味で描いているものだ。しかしSNSによる評価の可視化や読む側からの期待というプレッシャーにより、まるで仕事のような錯覚を与えてしまう。二次創作を投稿する人の中には睡眠時間を削って原稿を描いているなどという発言をして作家気取りだと批判されることがあるが、このような趣味にも関わらず重いプレッシャーがかかる現状がそのような勘違いを生み出している可能性が高い。つまり個人の自制を超えて脳が誤解しやすい環境になっているのだ。

※ただし、これは勿論だが読む側が悪いと言っているわけではない。SNSによる評価の可視化が一番悪影響であるし、書く側の承認欲求を満たしたいという欲望も関係している。読む側に創作物を肯定されて喜ぶ人や救われた人もかなりいるだろう。ここではあくまで誤解の理由となる環境要因として述べている。

(2) 創作活動の自由の侵害

 推されることが強調されると、創作者が「自分のために創作する自由」を失うリスクが出てくる。応援してくれる人の期待や意向に応えようとすることで、自分本来の創作スタイルやテーマを妥協してしまうことも増えてくるだろうし、実際に期待から逸脱すれば批判は免れない。何故ならば先に述べたように読む側は「消費活動」をしているため、期待から外れたものを強く批判したり拒絶しがちだからだ。

(3) 一方的な依存関係の発生

 読む側が創作物とそれを作った創作者に過剰に入れ込むことで、一方的な依存関係が生まれてしまう。これは行き過ぎればネトストによる特定や実際にストーカーするなどして創作者のプライバシーを侵害したり、「創作者が応えてくれない」という理由で読む側が勝手に失望し、一転して強い否定や攻撃といった行動を取る原因にもなる。なかには何年も同じ人をネトストして誹謗中傷する人もいるが、それも全ては他者に対する強い依存心から来ている。これも全ては相手を見ていない、自分の欲望を一方的に押し付ける本人の気質が関わっている。
 つまり、崇拝と敵意は表裏一体なのだ。

(4) 趣味の創作が「義務」化する

 自由の侵害に繋がる話だが、本来は楽しむための趣味であるはずの創作活動が、「ファンのために続けなければならない」という義務感に変わり、創作者が疲弊するケースがある。しかし、実際はそんな義務など存在しないので、創作者が意識してネットから距離を取ることや、読む側も創作者を持ち上げるのではなく、同じ妄想を楽しむ知人くらいの距離感で居ることで防げると思われる。

推し活の概念が浸透しすぎる悪影響を抑えるために

 このような状況を改善するには、創作者とファンの間に適切な距離感を保つことが重要だ。かなり長くなったので、ここまで読んでくださった方に感謝の気持ちをお伝えすると共に、下記に対策を並べて終わりとする。

(1) 創作者の自由を尊重する文化の醸成

 読む側は創作者の活動に過度な期待を抱かず、消費している自覚を持ちながら「応援=介入」ではなく、あくまで作品を楽しむ立場に徹する。

(2) 創作者側の自己表現の線引き

 創作者自身も、自分が公開したい情報と公開したくない情報を明確にし、ファンとの適切な境界線を設定する必要がある。また、読む側がそれ以上踏み込んで来た場合は、周囲の人がそれをしてはいけないこととして止める環境作りも必要だろう。

(3) ファン活動の健全化

 推し活の手法や言葉を趣味の創作界隈に持ち込む際には、「推す」対象が人間であることを意識し、相手の人間性やプライバシーを尊重するマナーを持つこと、それを浸透させることも重要だろう。

(4) 「承認されること」への過剰な意識を避ける

 創作活動が「ファンからの承認を得るための行動」になると、双方にとって不健全な関係が生じやすくなってしまう。創作はあくまで自由で個人的な表現の場であるため、創作することでしか自分には価値がないんだと追い詰められている人も、まだ追い詰められていない人も必ず創作以外からも承認を得るように対策することをお勧めする。
 創作以外にも人から承認される活動は沢山あることを忘れず、もし自分に対しての無価値感が強い場合はカウンセリングを受けるなどプロの力を借りることも視野に入れていただきたい。


終わりに

 推し活の文化が一般の創作者にまで広がった結果、「創作者を応援する」という行為が無意識のうちに「創作者を消費する」行動に変わってしまうことがある。これが創作者に負担を与えたり、創作活動そのものを歪める原因になる場合も少なくない。
 健全な創作文化を守るためには、推し活の感覚を一般の趣味や創作活動に適用する際は慎重になるべきだ。応援する側も、創作者にとっての「趣味の自由」と「人間性」を尊重する姿勢を大切にするべきだろう。
 最後に、ここまで読んでくださった方に感謝を申し上げます。
 この記事が二次創作に限らず読者との距離感に悩む創作者はもちろん、読者の方にとっても手助けになることを祈って終わりとさせていただきます。

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