「全部拾うのが正義ではない」と思えるようになるまで
最近、ようやく思えるようになってきた。
「全部を背負う必要はない」と。
若い頃や、マネージャーになりたての頃は違った。
チームの問題。
若手の悩み。
上司の無茶振り。
組織の矛盾。
未達の数字。
育成不足。
見えてしまったものは、自分が何とかしなければならない。
そんな感覚が強かった。
実際、現場にいると違和感は山ほどある。
「主体性を持て」と言いながら、
失敗は許容されない。
「裁量を与える」と言いながら、
実態は細かい管理。
「定量で示せ」と言いながら、
その思考プロセスは誰も教えない。
育成を語る割に、
失敗の責任を一時的に背負う覚悟を持つ上長は少ない。
だから現場では、
「怒られない正解探し」が始まる。
そんな光景を何度も見てきた。
私はそういう違和感を、割と上にぶつけるタイプだ。
感情も出る。
顔にも出る。
正直、圧は強いと思う。
でも、それを見て、
「この人は現場を見ている」
と感じてくれるメンバーもいる。
だから、自分の熱量を完全に消したいとは思わない。
一方で、最近ようやく気づいたこともある。
それは、
「全部拾うのが正義ではない」ということだ。
責任感が強い人ほど、
見えた問題を全部抱え込もうとする。
でも組織は本来、
責任を分散する構造でできている。
マネージャーは推進する。
部長は部門責任を持つ。
最後は社長が負う。
それなのに、
全部を自分で抱え込んでいたら、
いずれ自分が壊れる。
そして、自分が良い状態で働けなくなったら、
結局チームにも価値提供できなくなる。
これは最近かなり意識するようになった。
もちろん、
無責任になりたいわけではない。
ただ、
「見えてしまうこと」と、
「全部背負うこと」は違う。
そこを切り分けないと、
責任感の強い人ほど消耗していく。
最近は、
他のマネージャーにも、
「全部拾うのが正義ではないよ」
という話をするようになった。
昔の自分なら、
そんなこと言えなかったかもしれない。
でも今は、
長く戦うためには、
背負い方を調整することも必要だと思っている。
熱量を失わず、
でも全部は抱え込まない。
そのバランスを探し続けることが、
今の自分にとってのマネジメントなのかもしれない。
