ネガティブは悪なのか?ポジハラ社会への問いかけ
ポジティブでいることは本当に正しいことなのでしょうか。
「ポジハラ」という言葉を知っていますか?
ポジハラとは、ポジティブでいることを正しいとし、ネガティブを悪いものとして排除する考え方や態度のことを指します。
「ネガティブなことを言わないで」
「悪口や批判は波動が下がるからやめて」
「ポジティブでいようよ」
一見、前向きで優しい言葉のように聞こえるかもしれません。
でも私は、このポジティブ思考が新たな問題を生み出しているとさえ感じています。
ネガティブは本当に悪なのか
ネガティブな感情や言葉を「悪」だと決めつけると、その奥にある本当の思いは切り捨てられてしまいます。
例えば、怒りや批判の裏には
「わかってほしかった」
「助けてほしかった」
「こんな状況はおかしい」
という深い願いや叫びが隠れているかもしれません。
でも、ポジティブ思考が支配する社会では、それらはすぐにネガティブとレッテルを貼られ、「そんなことを言ってはいけない」「そんなふうに思う自分はダメだ」と自己否定へと変わっていきます。
瞑想中に流れた涙
今朝瞑想をしていたとき、ネガティブだとレッテルを貼られ、言葉や感情を飲み込まざるを得なかった人たちの思いが流れ込んできました。
理由はわからないけれど、涙が流れました。
きっと、どこかに放り出されたままだった感情が、ようやく解放されたのだと感じました。
ネガティブを排除すると何が残るのか
ポジティブでいることは確かに大切です。
けれども、ネガティブを見ようとせず、「波動が下がるから」「悪口は言ってはいけない」と切り捨ててしまうと、いったいどんな感情が、どんなエネルギーが残ってしまうのでしょうか。
悲しみ
怒り
悔しさ
無力感
恥ずかしさ
寂しさ
そして「わかってほしかった」という叫び。
その感情たちは、置き去りにされたまま、宙に浮いたエネルギーとなり、やがては心や身体に重くのしかかっていきます。
ネガティブは悪ではない
ネガティブは悪ではありません。
ただそこには、痛みや悲しみがあるだけです。
悪口や批判を無理に肯定する必要はありませんが、その奥にある「なぜそう感じたのか」という思いを感じ取れる人が増えたなら、きっとこの世界はもっと優しく、もっと誠実になるのではないでしょうか。
最後に問いかけます
あなたは、ネガティブを悪だと感じていませんか?
ネガティブの奥には、あなた自身や人の大切な思いが隠れています。
そこに耳を傾けることができたとき、初めて本当の意味で、心が軽くなるのかもしれません。
過去、スピリチュアルを学んだ時、ネガティブなことは言わない、見ない
考えないと教えてもらった気がします。
ただ、それでは癒しが起きなかったのは事実です。(ある程度は癒されましたが、本当の意味での癒しではありませんでした)
本当に癒されたのはネガティブをしっかり見て認めて受け入れて許して
愛した時に癒されたのを感じました。
このネガティブを見ずに癒しは起きなかったと実感しています。
これと同じで社会でネガティブな発言をしているから人格欠損者だと
レッテルを貼りし悪とすることは、残念ながら統合とはならないでしょう。
ポジティブ者だけが集まり一つにまとまったからとうまくいくわけでは
なく、本当の統合とは闇をしっかり見てそこからの統合であると思っています。
私は、ネガティブを悪とすることの弊害を感じているだけです。
みなさんはどのように感じますか?
選挙が近いため、連続して投稿しておりますが大切なことを考えて
いただきたく投稿しています。
どうか自分と向き合うことを恐れず、立ち止まり感じてみて下さい。
恐れではなく、どうしたいのかと…。
自分の心を正直に感じた時、変化が現われると信じています。
お読みいただきありがとうございます。
