案内所流 反射的な優しさが、遺すもの
本記事はフィクションです。実際の事件や報道を題材としたものではなく、
個人の思索を整理する目的で書かれています。
それでも、物語の中で扱う「喪失」や「葛藤」は、
現実の痛みと地続きのものです。
読み進める中で心が揺さぶられたり、つらいと感じたりしたときは、
無理をせず、いつでも離れていただいて構いません。
あなたの心のペースを、何より大切にしてください。
「あの…ご存じですか。あの、ひと月ぐらい前の〇〇駅の人身事故。
その…関係者が、今、ここにいて……」
「いいわよ、連れてきて。週末はどうかしら?」
間がある。携帯が強引に奪われた間だ。
「ご都合がある中、躊躇ない決断、感謝します。
日曜日の午後で構いませんか?」
「ええ、承知しました。
ここはそういう場所よ、遠慮は…」
携帯の向こうで、
蒼子さんが少し笑うように「必要ないわね」と付け足す。
「蒼子よ。
ここでは名前で呼び合うの。それだけがルール」
「素敵だと思います。
円(まどか)です。漢字で丸い円です」
「分かりました、円さん。当日は進次君をよろしく。
…もう一人、その場に呼んでもいいかしら?」
「ええ。私の話を聞きたい人は貴重ですから、歓迎します」
「では、その時までそのままで」
「ご配慮感謝します。少し楽しみになってきました」
蒼子さんは間を置き、答える。
「進次君も頼りになるわ。自分だけ、強くならないことね」
「そうですね。理解と強さは別ですよね。
し、進次先輩は、評価爆上がりですから」
クスクスという余韻を残し、携帯は切られる。
「…試金石かも。私にも彼にも」
蒼子さんは電話帳アプリのお気に入りを押し、耳元へ携帯を当てる。
案内所の扉が開く。正午ちょうどだ。
白いワンピースに、つばの広い麦わら帽子。
どこぞの高原の少女に見えた。
髪はベリーショート、丸い眼鏡に目がいく。
顔も体もほっそりしているが、瞬きの多い、大きな瞳が何もかも雄弁に物語るようであった。
「この度はお招き、ありがとうございます。
これ、つまらないものですが」
声も溌剌(はつらつ)としている。
「ご丁寧に」と、蒼子さんがカウンターから現れる。
「水羊かんです」
「いいわね、あとで皆で頂きましょう」
紙袋を受け取り、カウンターへ案内する蒼子さん。
「隣、いいですか?」
進次はテーブル席に座っていた人物に言葉をかける。
その人物は「どうぞ」と、座りやすいように椅子を引く。
「すみません。巻き込んだみたいな形になって」
「いいよ。ここに来る口実はいくらあってもいい」
「…かみこてさん、少し、変わりました?」
「そうだな、あとで一局打とう。
案外、変わってないかもよ」
「かみこて? 二人は知り合いなの?」
カウンターに座る彼女が上半身だけ、体をテーブル席へ向ける。
「かみこてはペンネームね。趣味で小説を書いてるの。
私たち、そこで知り合ったから、そのままの流れで」
「進次君は私の将棋の師匠かな」
彼女は後ろから、前から聞こえてきた声へ、律儀に顔を向けていた。
「かみこてさん、失礼ですが、ご職業は?」
私は「え、こっちなの?」と、少し驚きながらも、丁寧に言葉を返す。
「介護職ですよ。
決して、心理カウンセラー的な人間ではないです」
「私の第一印象はどうですか?」
私は進次君に視線を送るが、首を振られた。
「…そうですね、内面的なことですよね。
『慣れてない』かな。
どれも、これも自己主張が強そうに見えて、
やりたい感が足りない、というか。
伝わるかな?」
「いい人ですね。進次先輩よりずっと上です」
「どうせ、俺はピエロだよ」と、進次が口を挟む。
彼女は当然のように無視して、蒼子さんへ向き直る。
「そして蒼子さん、あなたはもっとその上にいる」
「それ、年功序列?」と、蒼子さんはいつもの笑みで返す。
彼女は蒼子さんをじっと見てから、私を見返す。
「そういうことらしいよ」とだけ返す。
「…信じられない」
その小さな呟きは、彼女の偽りなき言葉であると、
私でもはっきり分かった。
「私の命は、未来ある青年の命の犠牲の上に成り立っています。
加えて、ホームに落ちたのは、
完全に私の過失で言い訳の余地はありません」
い、いきなり来た! そんな話とは聞いてなかったので、というか何も聞かず、ここに来た私にも責任の一端があるのか?
私は同情したい気分で進次君を見るが、
彼は手を合わせたゴメンのポーズだった。
(…これは傍観者を気取ってられんぞ)
彼女は背後の空気を読み、
「調べて下さい。記事はすべてチェックしてます。
概ね、間違ったことは書いてありません」
「えー、遠慮なく」としか、私は返せなかった。スマホを取り出す。
「彼の行動は説明できます。
生物学的な視点、心理的な側面、社会が作り出した構造。
でも結果残ったのは、彼を英雄視する美談と、
置いて行かれた、私だけです」
私は記事を読む目をチラっと彼女へ向ける。
瞳に涙も溜めるでもなく、まっすぐ蒼子さんを見ている。
「彼の行動は、反射的だったらしいわね」
「はい。彼だけがホームに降りてます。三人いた友達は彼を止めてます。
私の意識は朦朧としていて、頭部の怪我のせいもあったと思いますけど、
『Hurry up!(ハリーアップ)』その言葉だけが、記憶に残っています」
「結論だけでいいわ。
出ているのでしょう。
本音で聞かせて」
「ほんといい人」と、彼女は笑みすら浮かべる。
「『自己犠牲を伴う優しさが、その極致である』
みたいな論調が許せなくて。
彼にも、自分にも。
私は、ここにいる人だけに言います、一度きりです」
「いいわよ」
「いいぜ」
「いいですよ」
私たちの声は重なった。
彼女の口元が緩み、その瞳が揺らぐ。
だが、その声はまっすぐ、三人の胸に飛び込んだ。
「自分も助かろうとして欲しかった。それが本当の優しさでは?
でなければ、一言でいい。『ごめん』と謝って欲しかった」
いつの間にか立っていた彼女が、静寂を破るように座る。
眼鏡を外し、目元を乱暴にこする。
「あー、よかった、これだけでよかった」と、誰彼もなく呟く。
ぽんぽん
蒼子さんが彼女の頭に「よく言えました」とばかりに手を重ねる。
そして、お茶を淹れる準備に入るためか、カウンターの奥へ移動する。
私は嫌な予感しかしない。
蒼子さんは鼻歌を歌うように、
「彼女はきちんと言語化している。
これは負けられないわね、かみこてさん。
あなた、優男だったのでしょう?」
「そんな過去、知りませんよ」
私は悪態をつくが、内心は覚悟を決めている。
「彼が?」
彼女は未練がましく、蒼子さんを目で追っている。
(ええ、ええ。そうでしょうとも)
「円さんは賢い。
私でも充分という、蒼子さんの判断ですよ」
三人の視線が私に集まる。
(やれやれ、ピエロの気分だな)
私はひとつ、空咳をしてから、
「そうですね。
私は小さい頃から特に取り柄がなかったので、『優しい』をそれなりの武器にして、今の仕事でも活かしているわけですが」
進次が「そんな感じがするわ」と、茶々を入れる。
「ピエロは黙ってて」
私は進次君に同情の目を送り、
「『優しい』について、結論めいたことがありまして。
『優しい』とは名詞でなく、動詞ではないかな、と」
「あら、それ、いいわね」
「もう、蒼子さんまで」と、彼女が声を立てて笑う。
私は進次君を見るが、彼は完全に白壁を見ている。目を合わせる気もないようだ。
「それ、小説家らしくて、すごくいいです」
彼女が私へ向き直る。距離があるだけで、だいぶ助かる。
(…助かる? 何にだ?)
「もっと言えば他動詞。主語と目的語、
関係性を前提にしているわけですね」
「さすがに理解が早い」
「きっかけも含めてお願いします」
私は彼女が近づいてきた気がして、体がのけ反るように反応した。
(…声の圧か…それだけか?)
蒼子さんがクスクス、笑いたそうにしているが、
彼女は私しか眼中にない。
「…いいですよ。語るのは得意です。
途中で遮ってもいいですよ、進次君以外なら」
場は当然のように白けたが、彼女の熱量は変わらない。
私はその瞳の圧力に、唾を飲み込む。
「『優しい』という言葉は、
自分へ向けるとニュアンスが反対になりません?」
私は浮いた手の置き所をどこにしようかと考えながら、会話をしていた。
「ですね。『優しい』は状態や感情に近くて、方向性を持ちません」
「また、世間では『優しさが傷つける』という事例が、ありふれてます」
「ええ、『優しい』の定義の問題ですね」
この会話の心地よさは覚えがあるものだ。
「本物の優しさ、というものがあるなら…」
私は彼女を見るが、彼女は「きょとん」とした表情を返す。
彼女は虚実が入り混じっている。
そして、本人にその実感が薄い。
(まるで…粗削りな蒼子さんだ)
「『ケア』的な視点を持ち込みたい」
「あー」と、彼女が頷く。
もう合点がいったのか、彼女はチラと蒼子さんを見る。
そのタイミングで蒼子さんもウインクを送る。
「うまく言語化まではできません。
お願いしても?」
(…おいおい、私はこんなに想像力豊かだったか?)
私は漏れ出す声で笑っていた。
「できませんか?」
その声は甘く、耳が痺れた。
それは、蒼子さんの若かりし頃の声だった。
「すみません」と、私は席を立つ。
「少し歩きます」と、付け加える。
案内所内を右に左に歩く私はどれほど滑稽に――
「お供します」
彼女が隣に寄り添う。
「思考がまとまりますよね、歩くと。分かります」
にっこり微笑まれる。
私は頭を抱えて、椅子に戻るしか術がなかった。
「大丈夫ですか?」という、進次君の声。
「おかげさまで」と適当に返す。
私はテーブル席に座り直すと、
組んだ両手に顎を乗せるようにして、表情筋に応援を送る。
(…こうしてしゃべっていれば問題ない)
「私は『本物の優しさ』を、こう定義します。
『自分と相手の境界を保ちながら、共感を行動に移す技術。
学び、訓練し、時に失敗を組み込み、そこから修正していく』と」
「失敗を前提にするのね」
「ええ、強いですね」
「まぁ…そういうことです」
一人、ピエロが拍手している。
「まだよ、半分」
蒼子さんは、水羊かんを入れる器をあれこれ物色している。
「そうです。肝心の言葉をまだ、私は頂いてません」
さすがに私は、熱に頭がかゆくなる思いで、
「憶測ですが、私なりの『優しさ』を実践してみますと、
私も「反射的」という言葉に引っかかりを感じました」
「反射的でいいと思います。状況的に最も真実に近い」
「それならば、彼の行動は『優しさ』だけでは足りない。
一方的という意味合いだけではなく、その行動には、
彼のすべてがあったはずです」
「ぁ」と、彼女が小さく声を漏らす。
(…こちらも止まれない)
「反射的に体が動いた。同じような経験をした人は皆、そう言います。
でも、なぜ、動けた? 動いたのは、体だけか?」
涙を流す彼女に嗚咽が小さく混じる。側には蒼子さんがおり、私にいつもの視線を送る。
(……この人はどこまで――)
私は考えることを止めた。
「反射ならばそこに嘘はない。
彼が何を大切にしていたか、他者をどう思っていたのか、どう痛みを引き受けていたのか。それらが全部、あの行動には詰まっている」
「そうです、そうですぅ」と彼女は声を絞り出し、
胸の前で組み合わせた手を握りしめる。
「私に言えることは、
円さんの心に宿った彼と、喧嘩するのも時にはありなのではないか、と」
「どうしよう、好きになりそう」とこぼす彼女の言葉に、蒼子さんが分かりやすく狼狽する。私はそこまでしなくてもいいだろうに、と思ったが、
「でも、おじさんは生理的に無理か」と笑う彼女が、
今日一番素敵に見えた。
(結局、ピエロかい!)
私は、魅力溢れる二人の女性の笑い声を聞きながら、
進次君に手を伸ばした。
乾いた大きな音が、この想いに終止符を打った。
(追記)下記のアオさんの記事のコメントから、
この物語は始まりました。
いいなと思ったら応援しよう!
太っ腹♥
きっと、良いことがあったんだね💫