案内所流 欲多きは罪深き? ~それが自分?(円《まどか》編)~
円は出された、
花びらが浮かぶお茶に、
「ありがとうございます」と、
お礼を口にし、
口に運ぼうとしていた手を止め、
湯飲みをカウンターへ戻した。
「…蒼子さんが質問?
レアな体験ですけど、
どうかされたんですか?
それが蒼子さんの、
自分らしさですか?」
「…質問を質問で返す人は多いけど、
質問をそのまま返される、
体験はレアかも」
蒼子はニッコリ微笑んだ。
「…私からも学びを?
知的向上心の塊?
興味半分?」
間を置かない疑問。
蒼子は受け止めるように、
目を大きくする。
「どれも否定しないわ」
「もう半分は?」
「それが知りたくて」
「そうですか」と呟き、
円はお茶を「塩気が美味しい」と、
感想を述べる。
「蒼子さん、
ジグソーパズルはお好き?」
「ええ。時々やるわ」
「時々、ですか。
私は気づいたら、やってます。
蒼子さんはなぜ?」
「脳のデトックス」
「やっぱり」と、円は呟き、
声にやや感情を乗せ、
「そういう効果があるんですか?」
蒼子はあくまで淡々と
「ゾーンとかフローは、ご存じ?」
「…言葉ぐらいは。
そう言われる状態が、
雑多な思考をリセットして、
思考が最適化され、行動が融合する。
みたいな?」
「円さんはいつも、
十二分だわ」
「…もう少し、詳しくいいですか?」
「ズレてますけど?」
「蒼子さんなら、
簡潔にまとめられるでしょう?
私も理解力、ある方だし」
さすがの蒼子も、
うなじの辺りが痒くなってくる。
お茶がもう、
半分ほどなくなっていた。
「私、ばかりね」
「大丈夫ですよ。
私、スロースターターだから
やきもきは最初だけです」
円はにっこり微笑んだ。
「一般的に、
シンプルなルール。
明確な目的。
解答のフィードバックが即座。
難易度の調整が可能。
これぐらいの条件が揃えば、
ゾーン、もしくはフローに、
入りやすいとされてますけど?」
円は案内所の窓から、
桜前線を置き去りにする満開、
里山の山桜を見ながら、
「エアロバイクとか、
運動を伴う場合は?」
蒼子はさすがに溜息混じりに、
「どちらも、
脳のワーキングメモリーを、
最適化してるの。
パズルは、
雑多な思考を直接消していくイメージね」
円は蒼子の目線を受け、
「エアロバイクは、
脳内麻薬で強制排除するイメージ、
ですか」
「…同じなんだ」と呟く、
円の解答のトーンは、
質問のトーンと変わらない。
「…どうして、
エアロバイク?」
「素美先輩が好きなんです。
サイクリングもですけど」
「桜茶も、素美さん好きよ」
「へぇ~」と、
関心なさそうな円の返事。
「…仲良くやってるの?」
「仲良くというか、
付きまとってます」
舌を出して小さく笑う円が、
素美の姿と重なる。
ふと、
円の指が湯飲みに伸び、
桜茶の花びらを指で掬い上げると、
それを口に含み、
真顔で指をしゃぶる。
「塩分、いいですね」
蒼子はその様子を、
瞬きもせず見つめていたが、
「そうね」と返し、
自分の湯飲みを手に取ると、
残っていたお茶を、
花びらごと一気に飲み干した。
「桜餅があるの?
お好き?」
「…ほんと、風流。
私、ほんと、
そういうのなくて。
だからかな?
桜餅も好きです」
円の瞳が蒼子を射貫く。
その瞳は色素が薄いのだが、
その光彩の縁だけが濃く、
輪郭がはっきり見える。
「嬉しいわ」と、
蒼子は喉を鳴らし笑い、
カウンター奥へ踵を返す。
出された桜餅を平らげ、
指先に残る、桜の香を愉しみながら、
ペロリと塩気を舐める。
お茶は熱めの煎茶。
ほどよい渋みと爽やかさは、
どこまでも脇役に徹する。
「千本桜ですよね」
円は窓に目をやり、
蒼子もそれを追う。
「そうね。
もう少し増やしてもいいかもね」
「いいえ、
桜茶に桜餅、
私に蒼子さん
千本桜です」
「今日はそんな気分だったの」
蒼子は、
桜色に染められた着物の袖を
一振り、舞って見せる。
円が目を閉じる。
「…素敵な時間。
…返せるかな」
円の語尾が微かに震える。
円は目を開けながら、
体は桜溢れる外を向く。
語り出す。
「私にとって、
ジグソーパズルは、
自分を分解する作業なんです」
円はカウンターに肘をつき、
リラックスした態度と口調で続ける。
「例えば、身体の感覚。
痛み、つかえ、息苦しさ、
漫然とした不安。
例えば、他人が与えた物語。
努力、怠惰、偶然、必然、
社会が求める期待。
例えば、芸術。
奇麗なもの、可愛いもの、惹かれるもの、
理由がつけられないもの。
色だったり、配置だったり。
これが多くて、好き。
私は黄色なんです」
「危険ね」
「そう、そうです」と、
円は笑いを留めるように、
握る指先が唇に触れる。
「あとは、「自分」とかの言葉。
認知的なアプローチかな。
自由とか誠実とか挑戦?
対立する概念で、
自分の違和感を、
特定していく、みたいな、です。
そうそう、
最近は社会的な役割もありました。
先輩や蒼子さんも――」
円は椅子の上で、
クルリと回転、
蒼子と向き合う。
「――私の1ピースです」
「それが、
円さんにとっての分解なのね」
「はい。
私は千々に分解されても、
一番大きなピースから、
自動再生されますから」
「サバイバーズ・ギルト」
「ええ。
私は加害者で被害者。
赤の他人の命を生きる者です」
円のトーンは変わらない。
まるで、昨日の朝食を
淡々と語るよう。
「トラウマ。
一番大きなピースではなくて?」
「いいですよ」と円は、
縁なしの丸眼鏡を外し、
折り畳むと、
胸のネックレスの輪っかに、
弦を引っ掛け、
胸元にぶら下げる。
今日の黒猫は、
カウンターの端に丸まり、
揺れる眼鏡に、
眼球を走らせる。
蒼子は、
黒猫の頭を、
優しく撫でながら、
「いいわね。
グラスホルダー」
そのネックレスのチェーンは、
繊細な鎖のよう。
その輪っかは、
「メビウスの輪ね」
「はい。深い意味はなくて」
「こう、なぞると…」と、
円が人差し指で、
数字の8を横にした
無限の字を描く。
スタートとゴールが、
重なる。
「すべての面を通って、
戻ってくる。これが好きで」
「もう少し、いいかしら?」
蒼子はカウンターに、
組んだ両腕を投げ出し、
顎を、微笑みを乗せるように、
語る。
円は眼鏡を外しても、
大きな瞳でパチクリ。
「いいですけど。
…メビウスですよね。
…見落としがないというか、
死角がない?
私の思考の特徴に、
一致してるかな。
その時、惹かれた理由は」
「裏も表もない。
始まりも終わりもない」
「よく言いますね」
「必ず戻ってくる」
「…安心感、ですか」
円は「ふ~ん」と言葉を挟み、
「面白いですね。
トラウマですけど、
私は、表と裏でもいいけど、
上と下があると思ってて」
蒼子が平手を上げる。
それは挙手なのか、
「待って」なのか。
「プラスマイナスゼロはどうなの?」
「それはトラウマではないから、
分解の余地もありません」
「いいわ、ありがとう」と、
笑みを返す蒼子。
「上のトラウマは、
よくあるスピリチュアルで。
神の使いとか。
光の使者とか。
宇宙の隣人とか?
温かくて広くて慈愛?
でも閉じてる。
ウロボロスかな。
疑問がただただ大きくなって、
戻ってきて、なんだか、スカスカ」
「下がいわゆる、
トラウマかしら」
「ですね。
心的ストレスになって、
心身に異常をきたす状態です。
デフォルトですね。
スタート地点です」
「クラインの壺みたいね」
「それは…
そうですね。
四次元で解決できる感じが、
リアルですね」
「…トラウマは、
ピースではないのね」
「…どちらかといえば、かな。
トラウマはただの傷で、
そこからは何も始まらない」
「作用している、
力の方が重要なのね」
「ただ」と円は、
人差し指をピッと立てる。
「その恐怖は常に広がっていて、
私は、深く、暗い森を歩き続けています」
「目印を刻みながら」
蒼子の言葉が、
円の言葉に、そっと乗る。
「分解という名の」
円の言葉が、
蒼子の言葉に重なる。
「…彼の名前、覚えてる?」
「ほんと、ズケズケ」と、
さすがに円が失笑する。
「覚えてますけど、
意味はないですね。
家族にも会いましたけど、
それだけです」
「解決済みなの?」
円の手が胸元へ。
揺れる丸眼鏡。
「私の中で生きているのは、
彼の高潔さ」
「他者を救う」
「そう」と、
円の手が拳をつくる。
「私の命も、
彼の命も、
同じ」
「そう」と呟く、蒼子。
「高潔が、
一番大きいのね」
円は拳は解かれ、
眼鏡の弦へ。
「正解」と円は呟き、
眼鏡を片手で、
少し振り、
両のこめかみへ、
眼鏡を滑り込ませる。
「あなたは、
森の目印となる、
人たちのパッチワークなの?」
「パッチワーク?」
円のオクターブが上がる。
声音は維持され、
「借り物感が絶妙ですね」と、
カラカラ笑う。
「そうですね。
彼の高潔さが、
いわばナイフです」
蒼子は少し思案して、
「彼の、
関わり、
感触を、
絶対の手触りとして?」
円は目を閉じ、
カウンターの端に身を、
伸ばした手を、投げ出す。
「黒猫ちゃん、こっちに来ないかな」と。
けっこう頑張るが、
「来ないか」と、姿勢を戻す。
「そうですね。
分解するなら」
円は、黒猫に可愛く舌を出す。
「パッチワークの境界は?
どう、繋がっているの?」
「力任せです。歪です。
私は止まれない」
円は自身のハンドバックを漁りながら、
「音が出るの、あげちゃったかな」と、
こぼす。
蒼子はただ、淡々と、
「飲み込まれる」
「ジグソーパズルです」
「…逆なのね?」
「逆ですか?」
円の漁る手が止まる。
「千々に乱れて。
これがデフォルト」
「まぁ、風流」
二人は笑みを、交わし合う。
ハンドバックは閉じられた。
円はネックレスの、
メビウスを手遊びしながら、
「私は、閉塞に安定を見てる」
「あなたは、
「守る」からだから」
「みんな、物好きですよね」
「彼の高潔は、
彼だけのものではないわ」
「そうですね。意外にいます」
「…パッチワークだけど、
加色のイメージもない?」
「それも好きです。
高潔は眩しい白、
すべてを飲み込む。
蒼子さんはもちろん」
「蒼でいいの?」
「蒼に染めるの」
蒼子は「ふんふん」とばかりに、
無言に頷く。
「それは意思でしょうけど、
実際には、
感覚の総体なのでしょうね。
だから、
境界も重なり合うことが」
円が蒼子の、
言葉の呼吸を埋める。
「デフォルト」
「それ、
円さんはどこにいるの?」
蒼子は、
感情が読めない、
円の瞳を見る。
「トラウマは断崖絶壁ですけど、
私、地図も灯りもないから、
そこらじゅう、
クレバスだらけで」
「振り返る余裕がない?」
「ないです。
けど、満更でもないですよ」
「他者の総体の自分が?」
「ええ。
だって、それ」
蒼子は、
円の言葉の呼吸を、
埋めることができない。
円は、
嫌味なく、
クスクス笑い、
「だって、
神様みたいでしょ?」
「…他者を自分に宿らせて」
蒼子は視線で促す。
「祈りの象徴みたいでしょ」
円の瞳が閉じられる。
「万能感と引き換えに」
「自分をなくす?」
開けられた円の瞳は、
輪郭ばかりがきつく。
「閉塞に安定をみる、
ようなものではなくて?」
円はまた、クスッと笑う。
「最後にしましょう」
「ま、残念」
「今のあなたに、
あなたは満足しているの?」
「蒼子さんを宿す私に、
蒼子さんは満足してますか?」
「それが答えなの?」
円は、
「どうかな」と、小首を傾げ、
「でも」と、首を振る。
「今の私が、
望む私になっているかどうか。
なってる?
なってない?
私の中では、
大した意味を持たないかも」
「…なってしまっているから?」
「…そうですね。
でも結局、
自分なんて、
そういうものではなくて?」
ふいに、案内所の空気が震える。
円は窓を見る。
突風に舞う、
桜の花びらを、
窓に見る。
蒼子は、
何か気配を察した、
カウンターの端の黒猫へ、
視線を落とした。
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太っ腹♥
きっと、良いことがあったんだね💫