自然
一昨日、探究横丁というコミュニティ主催の、
イベントに行ってきました。
最初はあれなんかちょっと自分にとって合わない、違うところに来てしまったかと思いましたが、結果的に自分にとって有意義な時間にすることができました。
というのもそこで初めてリアルで会った高校三年生の子が居まして、その子となんやかんやで色んなことを話していたんです。
俗に哲学的とか、深い話と呼ばれるような話を結構長くできて自分的には結構満足しています。
今回は、なんか描きたくなったのでその時話した内容のことも含め、自分の考えを話していこうと思います。
いろいろな話をしている中で、印象に残っている話があります。
そのことを話したいと思います。
その子に
「名前くんにとって、哲学とは何?」と聞かれたのです。
私はまず、彼の話した哲学という言葉のニュアンスを確認しました。
もしかしたら哲学という学問についてかもしれないと思ったからです。
そしたらその子が言うには、ニュアンスとして哲学的な思考や捉え方についての解釈で合っている。と言ってくれました。
そこで自分は考えました。
自分にとって哲学的な思考とは一体なんであろう?
そこで私の頭の中に直感的に浮かんできた言葉は、
「自然」
でした。
自分にとっての思考は捉え方の多様性を知り、
そしていかなる捉え方にも囚われない捉え方を模索するもの。
物事の多面的な要素を事実として受け入れ、そして物事をありのままに見ること。それが自分にとって自然に培ってきた一つの思考の形。
最近このことと似たことを話してきた自分にとって、
まさにその事を自分が、自分自身に教えた瞬間となったのです。
これは仏教における悟りにも関連する、もしくは同じ事を言っているのかもしれません。
理屈ではありますが、捉え方に囚われない状態の時に
何が自分自身を導き、物事を捉えてくれるのか。
そこが心、理屈や考えや捉え方を抜きにしたありのままの
一人の人間としての感覚、気持ち、感性、イメージなのではないかと思うのです。
悟りはどこにあるのか。それは今ここにいる自然な自分自身。
その悟りと言う概念、状態の中にはそのことを自覚している、と言う要素が含まれていると思うのです。
悟りとはその場でひらめき、気づいた状態であって、
机上の話ですが、考えや理屈といった要素のみではないと思うんです。
長くなりましたね。お疲れ様でっす。
自分自然の中にいることが、自然が好きなんですけど、
もしかしたらこういう要素を自然が含んでいるのかもしれないですね。
ブッダも自然含めた生き物にはこうしようという
欲に基づく考え方に囚われていないと。故に生き物や自然の方が神に近い、もしくは神であるといっていました。
考え方や捉え方への執着を捨てた時にそこにあるのは、
ありのままの自分。
それ故に、最近自分は自分の気持ちを優先したいと思っていたんですね。
自然に捉えることには欲がない状態かも。
悟りとは、自然である。
これ結構この先の人生においてかなり重要な言葉に
なってくる気がしています。
なんか為になってくれたら嬉しいです。以上です。
あ、あと アイコン変えようと思います。
