プレイリストは本棚に反映される7
【プロフィールに偽りあり】
私はプロフィールに、「竹書房のSFが寝る前のお供」と記載した。…有言不実行である。
だがしかし、ゼロではない。バイナリコードであれば、二局論であれば、どちらかといえば読んでいる。
という言い訳はさておき、竹書房のSFである。
【ル=グウィンの作風を受け継ぐ】私は昔、『空飛び猫』という本を読んだ。翼の生えた猫の話だ。作者はアーシュラ・K・ル=グウィン。
のちにゲド戦記がスタジオジブリにより映画化される、SFとファンタジーの大家である。
そんな彼女の作風を受け継いでいる、という帯のコメントにひかれて、サラ•ピンスカー作『いずれすべては海の中に』という短編集を読んだ。
【かなりシビアな世界観】
この短編集の作品の多くは、ディストピアもしくは科学の恩恵を上手く享受できない人々が主役である。表題作の「いずれすべては海の中に」も、荒廃した後の世界が舞台である。
以下はあらすじの一部抜粋であるが、これでファンタジー色が強いんだなぁと思った私は頭ゆるゆる。
奇想の海に呑まれ、たゆたい、息を継ぎ、泳ぎ続ける。その果てに待つものは――。静かな筆致で描かれる、不思議で愛おしいフィリップ・K・ディック賞を受賞した異色短篇集。
13遍あるが、世界観について詳細な説明はせずに、ごく自然におかしな(奇妙、という意味合いだけでなく、憤りも含めた)世界が展開されていく、まさに「奇想」というワードがふさわしい。
【表題作より】
ベイは大災害の生き残りで、パートナーとの思い出の小屋で漂着物を漁り、物々交換しながら暮らしている。
ある日、ギャビーというよく言えば前向き、悪く言うと現実を見れないタイプのベーシストを拾う。
ベイの些細な発言からギャビーは漂流の疲れから出た高熱をおしてギャビーの小屋を逃走する。1番触れてはいけないベイの思い出のギターを持ち出して。
心に深い傷を負い、もう静かに暮れせればそれで良いギャビーと、割と無遠慮とも言えるが基本的には善良なベイが、少しずつ心を開いていく様子が、こそばゆい。
ギャビーとベイは街へ向かうが、果たして…。
作者はミュージシャンでもあるため、「音楽と人」の関わりをとても効果的用いる。
私はギターは全く弾けないが、パートナーの残したギターを爪弾きながら、ベイは何を考えたのかな、とふと思う。
私はディストピアな世界観と最初記したが、本作もそれ以外も「絶望に立ち向かう!」みたいな雰囲気では全くない。
事態は緩やかに悪化している、まである。ただ、私は全てが還る場所へ行くなら、それも良いかなぁと思い始めた。
ただ、現実として私はまだどこにもいけない。
どこに行くこともない。
そんな時にこんな曲に出会った。
【やがて海辺へそして海の中へ】
印象的なギターリフから始まり、澄んでいて心地良いボーカルが語りかけるように歌う、Beachside talks 「海辺の話」という曲に出会った。
自分が置かれている世界を、たとえそれが悲嘆と諦めが混じったものであっても、受け入れて生きなければならない2人に重なる歌詞だな、と思った。
飛べることができない僕らは
海の中で息をしている
「苦しくはないよ」と
嘘をついては 可笑しくなっていく
君がいる向こう側に 目が眩んだ
そうなんだ いつだって
抗うこともできない
そうなんだ いつだって
変わることもできない
「いずれすべては海の中に」は、私の表現力のせいで魅力的なストーリーに見えないかもしれないが、実際はもう少し複雑な構成になっていて、彼女たちはしっかり生きていることがわかる。
一方で「海辺の話」はこんな歌詞で終わる。私はこの歌がこの終わり方をするところが、余韻があって好きだ。
この雨が過ぎ去ったら 旅に出よう
複雑な答えを海の底に埋めに行こう
【終わりにの前のあれこれ】
感想を色々読み漁って、かなりの人が好きな作品に挙げていたのが、「オープンロードの聖母様」だった。ライブはホログラムで盛り上がるのが一般的な時代に、生演奏にこだわりおんぼろ改造車でライブハウスを旅するロッカーの話(かつてはかなりの人気バンドマン)。
圧倒的世界観のわかりやすさと、SFなのにリアルな心情(時代に抗う、ギャップに対する妥協点がない)が、人気の理由かなと思う。私も好きな作品だ。
【終わりに】
正直な話をすると、最初は色々なところにおいていかにも海外文学、といった作風で、少し距離を置いてしまった。
もう少しいうと「あ、これはこういう風習が当たり前にあって〜」と、頭の中で立ち止まる部分が多く、奇想を補うのに現実的な理解をする、という意味のわからないことをしていた。
何回かよむと設定が頭に入るので、素直に奇想を楽しめた。今はかなり好き。
