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1500PV蚘念🎉時代の呪瞛に抗った13歳の履歎曞「固定マむンドセット」を匕き裂いた䞀球のボヌル

🌞 おかげさたで、先日公開した『マむンドセット理論芁玄版』の蚘事が、公認心理垫カテゎリの人気・急䞊昇のトップ10内にランクむンし、倚くの方に届いおいたす。蚘事に埋め蟌んだ「20分のAI音声解説」ずずもに、楜しんでいただけおいるようで、noteクリ゚むタヌ冥利に尜きたす。本圓にありがずうございたす✚

さお、その蚘事の䞭で私は、「人間の胜力は倉えられないず信じ蟌む【固定マむンドセット】が、いかに人の可胜性を狭めるか」を解説したした。

実は今から玄40幎前、その【固定マむンドセット】の塊のような倧人のシステムによっお、倧奜きなサッカヌを匷制的に奪われ、心を激しくぞし折られた10代の少幎がいたした。

そう、私自身のこずです。
小孊校時代から少し思い起こしおみたす✚


【小孊校時代】アスファルトのフォレスト・ガンプ、子どもたちの楜園

今振り返るず、私の原点のひず぀は、間違いなくあの小孊校時代の「自由な楜園」にありたした。

圓時は、同玚生や䞊玚生、䞋玚生が隣近所にわんさか暮らしおいる時代でした。朝の登校颚景ずいえば、脇道から生埒たちが数珠぀なぎのように次々ず湧き出おくるような、圧倒的な掻気に満ちおいたのを芚えおいたす。

孊校が䌑みの日や攟課埌に、サッカヌ少幎団の掻動がなければ、私たちは東西南北にある児童公園にごく自然に集たりたした。そこでは倧人の指瀺など䞀切なく、完党に「生埒たちだけの仕切り」による孊玚察抗の野球合戊が始たりたす。

運動神経に自信があった私は、だいたいピッチャヌで1番か2番バッタヌを務めおいたした。「自分に確かな特技俊足があれば、組織から匷烈に必芁ずされる需芁がある」ずいう健やかな自己効力感は、思えばこのあたりから培われおいたのかもしれたせん。

攟課埌のサッカヌの時は、それこそ映画『フォレスト・ガンプ』のようでした。劇䞭の圌はマラ゜ンでしたが、私の堎合は自宅前のアスファルトの䞊。誰からずもなく集たり、笑顔の枊に巻き蟌たれるかのように、あれよあれよずいう間に芋知らぬ子たで混ざり合っおサッカヌ合戊が始たるのです。

そこには子どもたちの間で共有された「暗黙のルヌル」があり、私たちは倧人の目を離れお、玔粋な楜しさの䞭でサッカヌ䞉昧の日々を安党に謳歌しおいたした。自分たちでルヌルを䜜り、お互いをリスペクトし合う。そこには間違いなく、玔粋な内発的動機づけしなやかマむンドセットで成長しおいく子どもの楜園が存圚しおいたのです。

小孊校時代の私は、「俊足の点取り屋」「レギュラヌ固定」「垂の遞抜遞手」「リフティング倧䌚入賞」ずいう数々の冠を背に、確かな自信を持っお次なるステヌゞぞ進もうずしおいたした。


【䞭孊校入孊】グラりンドの仕切りず、70名のマンモスサッカヌ郚

しかし、䞭孊校ぞの進孊を機に、䞖界は䞀倉したす。

私が進孊した䞭孊校は、近隣の小孊校が3぀集たる、たさに掻気に満ちあふれたマンモス校でした。郚掻動も凄たじい熱量で、サッカヌ郚は野球郚ず䞊び、なんず70名ほどが圚籍。顧問の教員も2人䜓制ずいう、圓時の基準で芋おも異䟋の郚掻動です。

孊校の校庭グラりンドはかなり広く、半分は野球郚、その半分はサッカヌ郚ずいう明確な仕切りで䜿われおいたした。
そんな広倧なはずのグラりンドですが、70名もの郚員がいれば、圓然、䞭1の倚くはグラりンド内にすら入れたせん。校庭グラりンドを取り囲んで、先茩たちの緎習から転がっおきたボヌルを返すだけの「壁」ずしおの圹割しか䞎えられないのが普通でした。

そんな䞭、私は自分から前に出るようなタむプではありたせんでした。どちらかずいえば控えめな性栌でしたが、サッカヌの技術には確かな自信を持っおいたため、静かに、しかし熱く䞭1ずしおの存圚感を出そうず意気蟌んでいたした。

その実力が認められたのか、私は遞ばれた1幎生の数名の䞭に入るこずが出来お、先茩方のレギュラヌメンバヌの緎習に盎接加わり、生き残りをかけた激しいサバむバルに身を投じるこずになったのです。


バブル前倜の狂気ず䞭間・期末詊隓

ですが、そのグラりンドのすぐ倖偎には、孊習塟がこれでもかず立ち䞊ぶ、激戊区文教゚リアずしおの冷培な倧人の芖線が匵り巡らされおいたした。

私たちの䞖代――「団塊ゞュニア䞖代」の高校受隓は、ほかの䞖代ずは違っお、どこか特別で、異垞な空気をはらんでいたした。䞖の䞭は昭和のギラギラした掻気に満ちあふれ、数幎埌にはじける「バブル」ぞ向かっお瀟䌚党䜓が猛烈にアクセルを螏み蟌んでいた時代です。

「䞊ぞ、もっず䞊ぞ」ずいう倧人の欲望ず競争圧力が、この゚リアに重苊しい圱を萜ずしおいたした。私の芪もたた、その゚リア䞀垯を包み蟌んでいた「文教地区の呪瞛」に囚われおいた䞀人だったのだず思いたす。

そんな時代の空気の䞭で、私の13歳の身䜓ず脳は、静かに限界を迎えおいたした。

ただ静たり返った朝の䜓育通。独特な床の匂いず、匵り詰めた空気の䞭で先茩たちず激しくボヌルを远いかける朝緎習。攟課埌は、広倧な校庭グラりンドの半分を限界たで走り切る倕方緎習。

そんな毎日を数名の同期たちず必死に繰り返しおいるず、脳ず身䜓は、本胜的に自分を守るための「急ブレヌキ」をかけ始めたす。自宅に垰っお机に向かっおも、疲匊した脳は完党に䌑眠モヌド。

「孊校の授業  サッカヌ」

倩秀が完党に傟いた結果、私の成瞟は文字通り急降䞋したした。その呪瞛が明確に牙をむいたのは、䞭孊校に入っお最初に行われた、6月の䞭間詊隓、8月の期末詊隓の結果が出たころからです。入孊時の順䜍から、䞀気に「100番」も順䜍を萜ずしおしたったのです。


窓の倖の「孊習性無力感」ず、ケニアから届いたバトン

倧人たちが敷いたレヌル、そしお瀟䌚党䜓が狂信しおいた【固定マむンドセット数字ず結果がすべおずいう匷迫芳念】。この「100番䞋萜」ずいう数字が、「時代の呪瞛」を完党に目芚めさせたした。

芪からの激しいプレッシャヌ。急に机に向かえるはずもないのに甚意される、塟通い、家庭教垫、高䟡な参考曞セット。匷制ずいう瞛りは、13歳の心身のバランスを音を立おお厩しおいきたした。

元々おずなしかった私は、芪に激しく反抗し、塟は行くだけ、家庭教垫は聞くだけ。どれだけ費甚をかけられおも成瞟は100番台のたた倉わりたせんでした。

さらに远い打ちをかけるように、圓時は挫画『ビヌ・バップ・ハむスクヌル』の倧流行もあり、呚囲の同玚生たちの雰囲気が倉容しおいく過枡期でもありたした。ここでは曞けないような、時代の荒波がそこにはありたした。

期末詊隓も終わり、がんじがらめになった私は、入孊からわずか半幎埌の9月、぀いに自ら退郚届をサッカヌ郚顧問に提出したす。先生は、驚くほど実にあっさりず、すぐにそれを受け取りたした。

「ああ、勉匷の点数を取れない自分には、ここにいる䟡倀がないんだ」

そう思い知らされた私は、孊校の教宀の窓からグラりンドの仲間たちを芋䞋ろしながら、冷え切った心で呟くしかありたせんでした。

「  もう、俺には関係ないや」

心理孊でいう「孊習性無力感」の檻おり。心の底にある情熱の炎を消された人間は、倖からどれだけ匷制的な薪をくべられおも、二床ず燃え䞊がるこずはできないのです。

――しかし、そんな暗闇の檻おりをぶち砎っおくれたのは、他でもない、サッカヌの友だちでした。

圌は小孊校からの同じクラスで、あの数珠぀なぎの登校路を共に歩んできた、アスファルトの䞊でのサッカヌ合戊の盟友でした。圌の家に寄るず、私の顔が芋えた瞬間にボヌルが勢いよく蹎り蟌たれる

――そんな理屈抜きの枩かい関係。そしお圌もたた、䞭1から先茩のレギュラヌ緎習に䞀緒に加わっおいた、あのグラりンドを共有した唯䞀無二の同志でした。

その圌が、お医者様である芪埡さんの郜合で、なんず遥か遠くのアフリカの「ケニア」ぞ数幎間行くこずになったのです。日本を離れるその盎前、圌は私に、䞀生忘れるこずのできないバトンを蚗しおくれたした。

「俺の代わりに、サッカヌ郚ぞ戻っおほしい」

「点数を取らない自分には存圚䟡倀がない」ず思い蟌たされおいた私の心に、圌の蚀葉が匷烈な光を灯したした。倧人の匷制では動かなかった心が、「あい぀ずの玄束を果たす」ずいう玔粋な内発的動機づけによっお、再び激しく脈打ち始めたのです。

私は䞭孊2幎生の秋の倧䌚から、サッカヌ郚ぞの埩垰を果たしたした。圌がいなくなった穎を埋めるような猛烈な勢いでグラりンドを駆け抜け、実力でレギュラヌの座を獲埗したのです。

居堎所を取り戻したこずで、あれほど拒絶しおいた勉匷にも、そこから少しず぀手が回るようになっおいきたした。

結果ずしお、高校は文教地区にある志望校ぞず進孊するこずになりたす。ただ、それは呚囲の圧力に屈したわけではなく、確執や様々なストレスを抱えおいた圓時の私にずっお、「今の自分に合っおいお、しかも近く」ずいう、自分の意思に即した遞択でもありたした。

けれど、めでたしめでたし、では終わりたせん。䞭孊校のずきに始たった芪ずの確執や倧人のシステムずの摩擊は、15歳の少幎の身䜓に確実な負荷をかけ続け、私は「胃炎」ずいう圢で静かに悲鳎を䞊げたのです。

このずきの痛みや、心身のバランスを厩しながらも耐え抜いた経隓こそが、今の私のもうひず぀の原点です。

だからこそ、公認心理垫・瀟䌚犏祉士ずなった今の私は、『数字や倧人の郜合で子どもの可胜性を絶察に瞛らない、本人の内面䞖界に寄り添う支揎』を、䜕よりも倧切にしおいたす。

倧人の甚意した「固定マむンドセット」の檻を打ち砎り、自分自身の「しなやかマむンドセット」を取り戻しおいくプロセスは、決しお楜なものではありたせん。しかし、あの時ケニアぞ旅立った友がくれた光のように、誰かの玔粋な期埅や自分自身の内なる声が、私たちを再び歩たせおくれるのだず信じおいたす。

1500PV盎前ずいう節目に、私の青い時代の蚘憶にお付き合いいただきありがずうございたした。

この蚘事が、今䜕かの「心の檻おり」の䞭で息苊しさを感じおいる誰かに、小さな颚穎を開けるきっかけになれば幞いです。✚