小さな穴ひとつが作った世界 ― 台湾ボテロ展
台北に着いて数日も経たないうちに、知人たちと中正紀念堂を訪れた。蒋介石を記念する場所だという程度の知識で行ったのだが、地下鉄と直結していて訪れやすかった。広い広場を中心に国家劇院と国家音楽庁が向かい合って建っている様子は、ソウルの瑞草洞、芸術の殿堂の周辺を思い出させた。旅を始めるのにちょうどいい場所だと思った。
ところがその日、中正紀念堂の広いロビーの片隅で、一枚のポスターが目に入った。
BOTERO。
「ボテロが台湾に来てるの?」
その瞬間、足が止まった。日程の都合ですぐには入れなかったが、数日後にまた来ようと決めた。そして今日、再び中正紀念堂を訪れた。
思えば、私はボテロと不思議なほど縁がなかった。海外にいるたびに、一度はボテロ展が開かれていた。研究のために滞在していた街で展覧会のポスターを見つけると、いつも嬉しかった。「ああ、ボテロがここに来ているんだ」。それでいて日程が合わず、そのたびに逃してきた。韓国でも二度ほど展覧会のポスターを見た記憶がある。行こうかと思いながら行けず、また次の機会にと思った。そうしているうちに、ボテロはいつも身近にいながら、一度も実際に出会ったことのない画家になっていた。
今回は違った。急ぐ予定もなく、ゆっくり見られる時間があった。
会場に足を踏み入れて真っ先に思い浮かんだのは、意外にもボテロではなくジャコメッティだった。数年前、LAに滞在してジェントリフィケーションを研究していた頃、時間があるとLA近郊のパサデナにあるノートン・サイモン美術館をよく訪れていた。そこで長く見つめていた作品のひとつが、ジャコメッティの彫刻だった。今にも折れそうなほど細く長い人間たち。彼は人間から何かを削り、また削り続けた末に残るものを見せているように思えた。
ところがボテロはその正反対だった。人も、馬も、猫も、果物も、そして登場人物たちのお尻に至るまで、すべてがふくよかだった。いや、正直に言えば、ボテロの作品の「お尻」は「ぷっくり尻」と呼ぶほうがしっくりくる。あの丸くて豊かな形を見ていると、なぜか笑みがこぼれる。最初は「なぜここまで実物よりずっと大きく描いたのだろう」という思いしかなかった。
しかし作品をひとつ、またひとつと見ていくうちに、笑いはいつの間にか好奇心に変わっていた。会場の解説を読んで、その理由を知った。1956年、メキシコシティでマンドリンを描いていたボテロは、たまたま楽器の真ん中にある小さな共鳴孔を、いつもよりずっと小さく描いた。すると不思議なことが起きた。穴は小さくなったのに、マンドリンはずっと大きく見えたのだ。「ユリイカ!」その瞬間、彼は自分だけの言語を発見した。
彼が発見したのは、太った人間を描く方法ではなかった。「ボリューム(Volume)」という、自分だけの造形言語だった。それ以降、彼の世界はすっかり変わった。人を描いてもボテロであり、猫を描いてもボテロであり、果物を描いてもボテロだった。モナリザを描き直してもボテロだった。ボテロの「ぷっくり尻」は、そうして生まれた。
最初から自分だけの世界を持っていた人などいない。ボテロもまた古典絵画を学び、巨匠たちを模写しながら自分の絵を作り上げていった。そんな中で、小さなマンドリンの穴ひとつが彼の人生を変えた。そのくだりで、作品よりも人間のほうが気になり始めた。
自分だけの言語を見つけたボテロ。その後の制作活動は、どれほど楽しかっただろうか。何を描いても自分の絵になる人生。世界を見つめる方法をひとつ見つけるということは、そういうことなのかもしれない。
今回の展示で良かったのは、絵だけではなかった。彫刻もあり、ドローイングもあった。制作過程を収めた映像も見ることができた。本の中でしか見たことのなかった太った猫たちにも直接出会えたし、見慣れた名画をボテロ流に再解釈した作品もじっくりと眺めた。韓国のある作家が小説の表紙にディエゴ・ベラスケスの名画『ラス・メニーナス(Las Meninas)』を使ったことがある。あの作品はボテロの絵だと思っていたのだが、そうではなかった。今日、会場ではディエゴの作品の中の女性をボテロが再解釈して描いた作品があり、両者が別の作品だと知った。実際に見てみると、まったく違う印象だった。本の表紙の画像と実物の作品の間には、思っていたよりずっと大きな隔たりがあった。
会場の壁には、ボテロが残した言葉が短く記されていた。
「芸術に絶対的な真理はない。あるのはただ、それぞれの芸術家が抱く美学的ビジョンへの確信と一貫性だけだ」
「自分だけのスタイルがなければ、芸術家は存在しない」
「芸術は厳しい人生の中でオアシスとなるべきであり、くどくど説明せずとも観る者に直接届かなければならない」
実際、ボテロの作品は解説を読む前から見分けがつく。会場のどこで出会っても、「ボテロだ」とすぐにわかる。自分の美学を最後まで信じ、貫き通した者だけが持ちうる力だ。
彼の言葉を読みながら、自分にもスタイルがあるだろうかと考えた。私はまだ、ボテロのように一目で見分けがつくような作品を作った人間ではない。しかし、どの国へ行っても、コーヒーを通してその土地を読む人間になったことは確かだ。台湾に来たからといって台湾の専門家のふりはしない。その代わり、台湾でエチオピアコーヒーはどう飲まれているのか、なぜ日本のように「モカ」という名前を使うのか、長い茶文化のかたわらでコーヒーがどんな居場所を作りつつあるのか、気になってしまう。
エチオピアでも、日本でも、ベトナムでも、東ティモールでも、私は同じレンズを持って、それぞれ違う世界を見てきた。コーヒーはもはや、私が研究する数多いテーマのひとつではなく、世界を理解するための自分だけの方法になりつつある。
ボテロに小さなマンドリンの穴があったとするなら、私には小さなコーヒーカップがあったのかもしれない。彼は小さな穴ひとつから、生涯描き続けられる世界を見つけた。私も今、小さなカップひとつを手に、どこへ行っても物語を始めることができる。
小さな穴ひとつがボテロを作った。 小さなコーヒーカップひとつは、私をどこまで連れていくのだろう。
展示の最後だと思っていたら、急に明るい照明が見えた。なんだ、ギフトショップだった。Tシャツ、エコバッグ、冷蔵庫マグネット、額縁、文房具……。ボテロの世界が、ありとあらゆる品物として生まれ変わり、並んでいた。もしマグカップがあれば一つ買おうかと見て回ったが、気に入るものは見つからなかった。しばらくあれこれ眺めてから、そのまま出た。以前だったら、何か記念品のひとつくらいは買っていたかもしれない。しかし近頃は、不思議なことに物を所有することよりも、経験を長く胸にしまっておくことのほうが好きになった。
展示を見終えて外に出て、再び中正紀念堂の広場を歩いた。ふと、会場の片隅に掛かっていた世界地図を思い出した。ボテロが滞在した都市を示した地図だった。メデジン、ボゴタ、メキシコシティ、ニューヨーク、マドリード、パリ、モンテカルロ、ピエトラサンタ、フィレンツェ……。あの地図は、作品よりも長く記憶に残った。一人の芸術家が自分の言語を求めて都市を渡り歩いた時間が、一枚の地図の上に広がっていたからだ。
振り返ってみれば、私もまた都市とともに問いを持ち歩きながら生きてきた。ソウル、北京、ロサンゼルス、東京、台北……。大切なのは、どの都市へ行ったかではなく、その都市で何を見つけたかなのだろう。
ボテロは小さなマンドリンの穴ひとつから、生涯描き続けられる世界と出会った。私は今日、彼の絵を見て記念品ひとつ買わなかったけれど、一編のエッセイを書きたくなった。旅でいちばん長く残る土産は、鞄の中ではなく、心の中でゆっくり発酵する一つの物語なのかもしれない。
