沖縄ヤジ加工ライン 記者の口移しから国会答弁まで
沖縄全戦没者追悼式は、毎年6月23日に糸満市摩文仁の平和祈念公園で営まれる。正午の黙祷、献花、玉城デニー知事の平和宣言、学生による「平和の詩」朗読、そして来賓スピーチ。順序は例年通りである。今年も平和の礎には新たに95名が刻まれた。
首相あいさつにヤジが飛ぶのも、毎年のことだ。2015年、戦後70年の式典で安倍首相のあいさつ中にもヤジが投げかけられた。このときはNHK中継で音声が絞られたのではないかという指摘が出ている。今年はTBSの配信が拾い、NHKでは絞られていた、という逆向きの観察もある。中継に乗るか乗らないかは別として、ヤジは新しい現象ではない。
玉城知事は終了後、静謐な進行を求めて苦言を呈した。今年は男女5人ほどが警察官に退去を促された。例年より激しかったという参列者の声もある。
ただ、ここで追うのはヤジの是非ではない。新しいのはヤジではなく、それがこの後どう加工されたか、である。
起点 聞こえなかった発話
高市首相は、そのヤジが聞こえていなかった。
式典後のぶら下がりで本人がそう述べている。「私自身が喋っているので、その声自体がはっきりと何をおっしゃっているのか聞こえたわけではない」。あいさつ中に飛んだ「戦争反対」「9条を守れ」「24万人に謝ってこーい」は、壇上の首相の耳には言葉として届いていなかった。
そこへ東京新聞の望月衣塑子記者が、ヤジの文言を質問に含めて尋ねた。「戦争反対ですか」「戦争やめろ」「憲法守れ」。首相はその語を受けて応じた。「『戦争をやめろ』って、今、日本は戦争をやっておりません」。
聞こえていなかった発話が、記者の問いを経て初めて首相の論評対象になった。
問いの設定そのもの
ヤジは首相に向けられた第三者の発話である。記者会見で記者が答えを求めるべき事項ではない。それを「どう受け止めたか」と問いに仕立てた時点で、ヤジへの論評を首相から引き出す装置ができる。
聞こえていなかったと言う相手に内容を伝え、論評させる。取材というより、反応の誘発に近い。場の選び方も効いている。黙祷と献花が終わった直後のぶら下がりで、ヤジという政治的応酬を首相に振った。慰霊の場が、ヤジをめぐる政治論評の場へ接続される。
首相は「もしも今、望月さんがおっしゃったように」と、内容の供給元を名指しした上で答えている。誰に文言を伝えられたかを認識しながら応答した。だからこそ、その「戦争はやっていない」という反応が、翌日には批判の標的になる。
なお、この件では「ヤジは式典妨害か、心からの叫びか」という是非論が各所で交わされた。本稿はそこを扱わない。問うのは、聞こえなかった発話がどう加工されて流れたか、その工程である。
二段目 Xでの再定義
ここから先は
よろしければ応援お願いします!チップはnote更新用のPC購入費用に当てる予定です。よろしく!
