歴史は修正できてしまう 〜天安門事件35年目の「忘却」が証明したこと〜
1989年6月4日、天安門広場で起きたことを、私はリアルタイムで見ていました。戦車の前に立ちはだかる一人の男。あの映像を覚えている方も多いでしょう。ところが今、中国の若者の大半はあの写真が何なのかわからないそうです。35年で歴史は「消せる」——その現実について書いてみます。
あの日、何が起きたのか
まず事件の概要を振り返ります。
1989年4月、改革派として知られた胡耀邦元総書記が亡くなりました。これをきっかけに、北京の学生たちが天安門広場へ集結。民主化を求める運動が始まります。最盛期には100万人規模にまで膨らみました。
中国政府内では対応が割れていました。対話路線の穏健派と、武力鎮圧を主張する強硬派。最終的に鄧小平ら指導部は戒厳令を布告し、軍の投入を決定します。
6月3日夜から4日未明にかけて、人民解放軍が広場へ進軍。市民や学生に発砲し、多数の死傷者が出ました。正確な犠牲者数は今も不明です。中国政府の公式発表は「約200人」。しかし数百人から数千人とする推計もあり、英国の外交文書では「少なくとも1万人」という数字も出ています。
事件後、中国政府は情報統制を敷きました。関係者の逮捕、報道規制、そして沈黙の強制。以来35年、中国国内でこの事件が公に語られることはほぼありません。
「なかったこと」にする三つの手法
なぜ、これほど多くの人が知っている出来事を「なかったこと」にできるのでしょうか。
答えは意外とシンプルです。嘘をつく必要はない。ただ「語らせない」だけでいい。
中国政府が採った手法は、大きく三つに分けられます。
教育からの排除。 教科書には載せない。授業で触れない。子どもたちは学校で天安門事件を学ぶ機会がありません。
メディアの統制。 新聞、テレビ、インターネット。「六四」(6月4日を指す)という数字すら検閲対象です。ネット上では「5月35日」のような隠語を使っても投稿は削除されます。
語ることへの懲罰。 事件について公に発言すれば、職を失い、逮捕される可能性がある。家族にも累が及ぶ。だから知っている人も口をつぐみます。
この三つが組み合わさると、何が起きるか。
体験した世代は沈黙し、次の世代は知る機会を奪われ、その次の世代には「何かあったらしい」という噂すら届かなくなる。わずか二〜三世代で、歴史は消えるのです。
「知っている」と「語れる」は別の話
見落としがちな点があります。「知らない」と「知っていても語れない」は、社会的にはほぼ同じ効果を持つということです。
中国には今も天安門事件を覚えている人が大勢います。当時20代だった人は、現在60代。記憶は鮮明なはずです。しかし彼らは語りません。語れないのです。
理由は単純で、リスクが大きすぎる。
自分のキャリアだけではありません。子どもの進学、家族の仕事、あらゆる場面に影響が及ぶ可能性があります。中国では「社会信用スコア」のようなシステムも導入されつつあり、体制に不都合な言動は生活そのものを脅かしかねません。
結果として、家庭内ですら話題にならない。親は子に伝えず、子は知らないまま育つ。知識の世代間伝承が断絶します。
歴史を「消す」のではなく「伝わらなくする」という手法。記録を焼く必要はありません。伝達経路を遮断すればいいだけです。
海外に記録があっても届かない
「でも海外には記録があるでしょう」という反論はもっともです。
天安門事件に関する書籍は無数に存在します。英語圏を中心に学術研究も充実しており、映像アーカイブも整備されています。WikipediaにもYouTubeにも詳細な情報が残っています。
ただ、それで十分かというと、そうではありません。
まず、中国国内からはアクセスできない。「グレート・ファイアウォール」と呼ばれる検閲システムが海外サイトへの接続を遮断しています。Wikipedia、YouTube、Google——いずれも中国からは閲覧できません。
VPNを使えば見られますが、それ自体がリスクを伴う行為であり、わざわざそこまでして調べる人は限られます。調べたとしても、その知識を誰かと共有できない。知識が「個人の秘密」として閉じてしまいます。
皮肉なことに、海外に情報があるという事実自体が逆手に取られています。「西側のプロパガンダだ」「反中勢力の捏造だ」という文脈で処理される。証拠があればあるほど、「外国勢力による中国攻撃の材料」として位置づけられてしまうのです。
真実は存在するだけでは力を持ちません。語られ、共有され、議論される空間があって初めて「生きた知識」になります。その空間自体を潰してしまえば、どれだけ証拠があっても無力化できる。これが中国政府の35年間の手法でした。
今も進行中の歴史修正
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