辺野古転覆事故14稿〜誰も動かなかった、あの朝〜
13稿で書いた矛盾から、また時間が経った。新しい事実が積み上がっている。
通報したのは生徒だった
転覆直後の10時14分、最初の118番通報が入った。雑音が混じり、音声は途切れた。聞き取れる内容ではなかった。通報したのは、乗船していた生徒。
2分後の10時16分、通報がさらに2本続いた。「辺野古のボートツアーに参加していたが、乗っていた船がひっくり返った。今は浅瀬にいて、近くの島まで泳いだ方がいいか」。バッテリーの残量、救命胴衣の色。17歳の生徒たちが、自分で状況を伝えた。
産経新聞とNHKの取材で確認された事実がある。転覆した抗議船の船長や乗組員、引率教員からの118番通報は、一本もなかった。
平和丸の船長は「海でスマホをなくし通報できなかった」と説明した。いずれの船からも、救難信号は発信されていない。
子どもたちが助けを呼んだ。大人たちは呼ばなかった。
止める手段がなかった
事故当日、波浪注意報が出ていた。出航直前には海保の巡視艇がメガホンで注意を呼びかけている。それでも2隻は出航した。
学校側はこれまで「出航判断は船長に任せていた」と説明してきた。京都府の調査で、別の事実が判明する。悪天候時に活動を変更する場合の代案行程を、学校側は定めていなかった。
他の6コースは屋内活動が中心で、警報レベルでなければおおむね実施できる。乗船プログラムだけが、止める基準も代替案も持たないまま運営されていた。
「船長に任せた」という言葉の実態は、止める手段を持っていなかった、ということ。
始業式で語られたこと
4月10日、同志社国際高校の始業式。西田校長は生徒たちにこう話したという。
「自分たちの足元にある平和も守れない平和の学びは、平和学習ではない」
そして謝罪の上で、「直接的な原因は私たち(学校側)にある訳ではないが、防ぐことはできた」という趣旨の説明をした。
3月17日の記者会見では「安全配慮義務が十分でなかった」と述べていた。その言葉と、始業式での「直接的な原因は私たちにない」という発言。同じ校長の口から出たとは思えない。対外的な謝罪と、内向きの説明の間に、距離がある。
学校が発行した冊子
産経新聞の独自取材で判明した事実がある。学校が毎年発行している研修旅行の記録冊子「平和を作り出す者」(2025年版)に、金井船長の開会礼拝でのメッセージが残されていた。
「辺野古抗議船に乗っていただいた」。そして「仲間の船長が抗議活動にいって海で亡くなった。海では実に簡単に人が死ぬ」。
学校が自ら発行した冊子に、この言葉が記録されている。「信頼関係のなかで大丈夫と判断した」という校長の説明は、この冊子と並べると意味が変わる。知らなかった、とは言いにくい。
文科省が乗り込んだ
4月24日、文科省の課長級職員らが京都市の同志社大・室町キャンパスを訪問。学校法人同志社への直接調査を行った。八田英二理事長・西田校長らが出席し、聴取は約4時間に及んだ。
文科省はこの調査を決めた理由として「これまで書面でのやり取りでは十分な回答が得られなかった」と説明している。
書面では動かなかった。直接来なければならなかった。調査後も「まだ詳細を確認しなければならない事項も残っている」として、追加調査の可能性を示している。
謝罪が届いた日
ヘリ基地反対協議会の仲村共同代表は産経の取材に、遺族や学校への「直接謝罪したいと申し入れる書面」を代理人弁護士を通じて送ったと語った。書面の日付は4月3日付。事故から18日後である。
ご遺族が沖縄に滞在していたのは3月16日から20日の5日間。その間、協議会・船長・乗組員からの接触は、学校・ツアー会社・海保のいずれのルートでも確認されていない。
書面が動いたのは、ご遺族が帰国してから2週間後だった。
同代表はまた「補償が十分できるとは思っていない」とも述べている。
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