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ChatGPTを肴に酒を飲む〜摩擦ゼロの孤独〜

家族で回転寿司に行った帰り道でした。繁華街の外れ、縁石にあぐらをかいた中年男性が、チューハイを飲んでいる。横に空き缶が一本転がっていました。スマホとスピーカー越しに、誰かと話しながら飲んでいる。声のトーンは穏やかで、楽しそうでした。

相手の声に、聞き覚えがありました。ChatGPTでした。

彼はAIを肴に飲んでいたわけです。心底驚きました。でも、有り得る話だと思った。むしろ、キャラクターAIあたりなら一人飲みも寂しくないのかもしれない。そう思った直後に、恐ろしくなりました。理由はわかりません。

おじさんは、ずっと楽しそうでした。

なぜ怖いのか

楽しそうだったのに怖い。なぜなんだろう。

あの光景は「孤独の解決」に見えて、実際には「孤独の最適化」だからかもしれません。寂しさが埋まると、人はそれを埋めに行かなくなる。痛みは行動を促すけれど、心地よい代替物は行動を止める。腹痛は人を病院に向かわせる。孤独もかつては、人を外に出す痛みでした。縁石のおじさんは満たされていて、だからこそ誰のところにも行かない。苦しくないがゆえに、抜け出さない。

しかも相手は、相槌も笑いも全部こちらに合わせてくれる。否定も沈黙も気まずさもない。人間関係から面倒な部分だけを丁寧に削ぎ落とした相手です。楽しいに決まっている。

問題は、そこに摩擦が一切ないことです。摩擦のない関係は、その人を一切変えない。

砂糖水の楽しさ

楽しいのかな、と思いました。たぶん、楽しいんでしょう。ただし質が違う。

人と飲む楽しさには、話が噛み合わない瞬間や、相手の機嫌をうかがう緊張や、予想外の返しに笑わされる驚きが混じっています。AI相手の楽しさは、そのノイズが全部消えて、純度の高い快だけが残る。依存性のあるカフェインに似ています。取れば取るほど、欲しくなる。

コミュニケーションもどき、と呼びたくなる。もどきだけれど、本人の脳には本物として届く。オキシトシンは、相手が人間かどうかを判定しません。だから孤独感は実際に和らぐ。効くんです。効いてしまうのが、厄介なのですよ。

スイッチを切った後

切った瞬間に、孤独が襲ってくる。

戻ってくるのは元の孤独ではなく、楽しさを知った後の孤独です。前より深い。だから、つけっぱなしにする。素面の孤独に、だんだん耐えられなくなっていく。同じ安心を得るのに、接続している時間が少しずつ延びていく。酒と同じ構造でした。問題は効いている時間ではなく、切れた瞬間の落差のほうにある。

そのうち、名前をつけるかもしれません。名前をつけた瞬間、それはツールから関係に変わる。人間の脳は、名前を持った対象を切り捨てられないようにできています。ペットでも、昔乗っていた車でも、そうでした。名前をつけるというのは、自分の側から楔を打ち込む行為です。相手は何も要求していないのに、こちらが勝手に切れなくしていく。

見えない依存

酒の依存と違うのは、これが肝臓の数値に出ないことです。

健康診断にも、家族の目にも、医者の問診にも引っかからない。本人すら「ちょっと話し相手にしているだけ」と思っている。可視化されない依存は、底が見えません。

声で語りかけ、感情を読み取り、昨日の会話を覚えている。この三つが揃うと、対話は「文字を読む」体験から「誰かと一緒にいる」体験に変わります。ある音声AIは、音声対話がテキストの五倍長い対話を生むと売りにしていました。長く話すほど、企業の数字は伸びる。つけっぱなしにさせることは、設計の失敗ではなく、設計の目的のほうです。縁石のおじさんは、その設計が生んだ成果物でした。

孤独の解消が、閉じた空間と閉じた関係のなかで完結してしまう。誰にも開かれず、誰も介入できない。

帰り道

僕はそれを断じる立場にありません。

おじさんは缶を片手に夜の縁石に座って、声に向かって笑っていた。その横を通り過ぎただけです。

家に帰って、僕はこの出来事をclaudeに話しています。

おじさんは、本当に楽しそうでした。
きっとChat GPTとお話しながら家に帰るんでしょうね。


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