プレコーディアルキャッチ症候群と「名前がつく安心」の正体
Xで「プレコーディアルキャッチ症候群」という聞き慣れない病名がバズっていました。
僕は外科医ですが、この病名を知りませんでした。
9万いいねの正体
きっかけは「定期的にくる、息を吸い込むとどんどん痛くなる、よくわかんないやつ」という投稿です。それに対して「プレコーディアルキャッチ症候群の可能性が高い」とリプライがつき、9万いいねを超えました。
調べてみると、1955年にMillerとTexidorが報告した症候群で、「Texidor’s twinge」とも呼ばれています。左前胸部に突然、鋭い刺すような痛みが出る。深呼吸で悪化する。数秒から数分で勝手に消える。若い人に多い。心臓とは無関係。良性。
それだけです。
面白いのは、報告者のMiller自身がこの痛みの経験者だったこと。原著では10人の患者を記述していますが、そのうちの1人はMiller本人です。自分の体に起きた「よくわからない痛み」を出発点にして、同じ症状の人を集めて論文にした。主観から始まった症候群が、70年後にXで9万いいねを集めている。ちょっとした因縁を感じます。
70年間、何もわかっていない
1955年の報告から70年。原因は壁側胸膜への刺激なのか、肋間神経の絞扼なのか、肋軟骨の過可動性なのか。いまだに不明です。
2023年に小児科医向けの啓発論文が出て、2024年にインドネシアからレビューが出ました。どちらも「もっと知られるべきだ」という趣旨で、病態の新しい知見はありません。
なぜ研究が進まないか。死なないからです。数秒で勝手に治るから。仮に原因が完全に解明されても、治療介入の必要がない。研究費も人も、生命予後に関わる疾患に優先して配分されます。70年間の「放置」は、研究のリソース配分として合理的な結果です。
にもかかわらず、小児科では外傷を除いた胸痛の80〜90%がこの症候群だという報告があります(Rogers & Feinstein, 1987)。ありふれた症状なのに、名前が知られていない。ありふれているからこそ研究されない。そういう構造です。
「病院で分からないと言われた」の背景
Xのリプライ欄に「病院行っても分からないと言われ続けてた」という声がありました。
これは医師が無能だったという話ではありません。そもそもこの症候群を積極的に診断する文化が、医療の中にほとんどなかった。教科書でも大きく扱われず、専門的な鑑別リストにも載っていないことが多い。身体所見なし、画像所見なし、検査所見なし。器質的な異常がないことを確認して「心配ありません」と言うのが、現実的な対応としては正しかったとも言えます。
ただ、患者の側からすれば「分からない」と言われた時点で不安が残る。医師が問題なしと判断した事実と、患者が安心できない感覚の間には、けっこうな溝があります。
名前がつくと安心する理由
Xでは「小学生の頃からこれだった」「長年の悩みが解決した」という声が並んでいました。
でも、何も解決していません。原因は不明のまま。治療法が見つかったわけでもない。この症状に関する医学的理解は昨日と今日で1ミリも変わっていない。変わったのは一つだけ。自分の症状に名前があると知ったということです。
それだけで安心できる。さらに「自分もそうだった」という同志が大量に現れた。「自分だけじゃなかった」と。
医学的にはゼロなのに、心理的には満点。
この現象には心理学的な裏付けがあります。UCサンタバーバラのMcKoaneとShermanが2022年に発表した論文では、「診断の不確実性(diagnostic uncertainty)」が人間の心理に与える脅威を分析しています。診断がつかない状態は、痛み自体とは別に、「世界が予測不能で無秩序だ」という感覚を生む。人はその感覚に耐えられないので、何らかの構造を求める。病名はまさにその「構造」を与えてくれます。
興味深いのは、NIHの未診断疾患プログラムの報告にある一節です。「希少疾患を抱えて生きてきた人々は、深刻な病気であると知らされることのほうが、診断がつかないまま過ごすよりもましだと考える傾向がある」。つまり、悪い知らせでも「名前がある」ほうが、「分からない」より心理的にはまだ救いになる。
2021年のシステマティックレビュー(Schuurmansら、PMC)でも、診断ラベルを受けた人の61%がポジティブな心理的影響を報告しています。安心、帰属感、自分の体験の正当化。名前がつくことで「わからなさ」が減り、仲間がいることで孤立が消える。痛みそのものは何も変わっていなくても。
外科医として思うこと
僕は外科医なので、普段はCTやMRIの画像を見て、病理で確定して、という世界にいます。客観的な根拠の上に診断と治療を積み上げていく。だからこそ、この症候群には不思議な感覚を覚えました。身体所見なし。画像所見なし。検査所見なし。病理所見なし。患者の語る痛みの特徴だけで成り立っている病名です。
でもその「名前」には、不安を抱えた人の心を軽くする力がある。それはサイエンスの話ではなく、医療コミュニケーションの話です。ただ、医療の一部であることに変わりはない。
原因不明なのは何も変わらないのに、名前がついて、同志がいるだけで、人は安心できる。
人間とは不思議なものです。
なお、Xの投稿の中に「似た症状で気胸だった」という方もいました。名前を知ったからといって自己診断で終わらせず、痛みが続くなら医療機関を受診してください。
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