現場の労働実態 再開通時代の脳外科医はなぜ削られるか
家族が「やってください」と言った瞬間、説明者の脳内では、術前準備のチェックリストが動き始めます。
EVTの導入から30分。再開通成功。ICU入室。ここで一仕事終わった——わけではありません。
LASTEで適応が広がった超大型梗塞のEVTは、「血栓を取って終わり」の治療ではない。翌日から翌々日、外減圧の判断が待っています。1ヶ月後には頭蓋形成術。さらに長期外来。一人の患者を見るために、脳外科医は急性期から数年単位で関与し続けます。
「3割で歩いて帰れる」というエビデンスの裏側で、現役脳外科医の労働は積み上がり続けている。再開通時代に何が起きているか、構造として整理します。
EVTフルセットの労働構造
ASPECTS低めのLVOで「やる」を選んだ場合、1人の患者に対する脳外科医の関与は次のようになります。
夜間呼び出し(発症当日)
救急隊からの搬送連絡(電話で年齢・経過・NIHSS確認)
病院到着、神経所見・画像確認(NCCT、CTA、必要ならMRI)
家族説明(10分〜30分、時間がなければ5分)
IVR(血管内治療)室移動、術前準備
EVT本体(再開通まで30分〜2時間)
ICU入室、術後オーダー、家族への結果説明
ここまでで深夜の3〜5時間。翌朝の業務は通常通り始まります。
翌日〜翌々日(外減圧判断)
LASTEで対象となった超大型梗塞では、悪性脳浮腫が進行するリスクが高い。再開通成功例でも、コアが大きいほど浮腫は強く出ます。
朝のラウンドでCT追跡。midline shift、basal cistern閉塞、意識レベル悪化のサイン。これらが揃えば外減圧を判断します。EVT直後ではなく、翌日〜翌々日が多い。浮腫はゆっくり進行するため、即日判断ではなくCT追跡で見極める。
ここで臨床的に難しいのが、EVT後の外減圧は通常の脳梗塞外減圧より出血リスクが高いことです。再開通したばかりの脳組織、抗血栓療法の影響が残る時期に開頭する。出血合併症の懸念を抱えたまま、それでも頭蓋内圧亢進で死亡するリスクの方が高いから、やらざるを得ない。
外減圧単独で済まない場合もあります。外内減圧(external and internal decompression)——硬膜形成、側頭筋切離、必要に応じて壊死した脳組織の除去まで含む拡大手術。手術時間は長くなる。術後管理も複雑化する。
ここでまた家族説明です。「EVTで再開通したのに、なぜまた手術が必要なのか」。家族は理由を完全には理解できないまま、「やらなきゃ死ぬ」という説明で同意します。第3部で書いた「やらない」を選べない構造が、二段階目の説明場面でも繰り返されます。
術後ICU管理(数日〜1週間)
人工呼吸器管理、頭蓋内圧モニタリング、血圧管理、輸液調整、抗痙攣薬、感染対策。ICU回診を1日2回、麻酔科・救急科・看護師との情報共有。
亜急性期(1週間〜1ヶ月)
意識レベル評価、嚥下評価、リハビリ介入、抗血栓療法調整、家族への中間説明。気管切開、PEG(経皮的胃瘻造設)の判断と実施。転院先選定、回復期リハ病棟との連携、サマリー作成。
頭蓋形成術(約1ヶ月後)
外減圧で外した骨片を戻す手術。患者の全身状態、感染リスク、皮弁の状態を見ながらタイミングを決める。約1ヶ月後が目処だが、状態によっては延期されることもある。
これでもう一回手術と入院、家族説明、術後管理のサイクルが回ります。
長期外来(数ヶ月〜数年)
退院後のフォロー、抗血栓療法管理、再発予防、リハビリ経過確認、誤嚥性肺炎・尿路感染での再入院対応、施設入所相談、家族の介護疲れ相談。
1人の超大型梗塞EVT患者を見るための脳外科医の総関与時間は、急性期だけで数十時間。長期フォローを含めれば年単位。「3割で歩いて帰れる」エビデンスの裏側に、これだけの労働が積み重なっています。
そして再開通時代の労働問題は、脳外科医個人の話だけではありません。IVR室の放射線技師、SCU(脳卒中ケアユニット)看護師、麻酔科医、リハビリスタッフ、MSW(医療ソーシャルワーカー)、ICU看護師——全員の負担が同時に増えています。深夜のEVTには技師が呼ばれ、SCU看護師は急性期管理を回し、リハビリは早期介入を求められ、MSWは転院調整に追われる。「脳外科医の労働問題」と書きましたが、実態は「脳卒中チーム全体の労働問題」です。
適応拡大に比例する労働量
2015年世代と2026年現在を比較します。
2015年:
適応:ASPECTS ≥6、6時間以内、NIHSS ≥6、pre-mRS 0-1
「やる症例」が限定的、夜間呼び出し頻度も限定的
2026年:
適応:ASPECTS下限なし、24時間以内(一部試験)、NIHSS下限緩和、pre-mRS 2まで
「やる症例」が大幅増、夜間呼び出し頻度増
日本脳卒中学会・日本脳神経血管内治療学会の報告データによれば、EVT実施件数はこの10年で大きく増加しており、複数の統計で年間1万件を超える水準に達しているとされます(具体的な年次推移は学会発表・NDBオープンデータ等を参照)。LVOを引いて「やらない理由がない」症例は、構造的に増え続けてきました。
LASTE適応拡大で増えたASPECTS 0-2の症例は、ただ数が増えるだけではありません。1症例あたりの労働密度が高い。EVT本体に加えて外減圧、頭蓋形成、長期介護への接続。一人を救うために投入される医師の時間は、ASPECTS 6以上の症例より2〜3倍多い。
エビデンス進歩と労働量は正比例しています。「やる症例の増加」と「1症例あたりの労働密度の上昇」が同時に進む。
報酬構造の不整合
ここから医療制度の話に入ります。
EVT手技料(K178-4 経皮的脳血栓回収術)は33,150点(約33万円)。施設に入る診療報酬としては大きい数字です。2024年改定では、これに加えて「脳血栓回収療法連携加算」が新設され、連携体制を整えた施設では加算が乗る構造になっています。外減圧術(K164-2 減圧開頭術 など、術式により点数は異なる)、頭蓋形成術(K180)もそれぞれ高い点数が設定されています。施設収入として見れば、超大型梗塞EVT+外減圧+頭蓋形成のフルセットは数十万〜100万円規模の診療報酬を生み出します。
ところが、これらは病院の収入であって、術者の脳外科医個人の手取りとは違います。
夜間呼び出しでEVTを行った医師に支払われる手当は、施設により大きく差があります。手術手当が0円の施設も珍しくない。オンコール代(呼び出し1回数千円〜1万円程度)のみで、手技に対する手当はゼロ、という施設は地方を中心に多数存在します。
手術手当が支給される施設でも、1件あたり数万円程度が現実的な相場。深夜の3〜5時間労働、翌日の通常業務継続、術後管理の責任、家族説明の精神的負荷——これらを総合した時給に換算すると、最低賃金近辺、あるいはそれを下回る水準になることもあります。
外減圧の手当はEVTと別建てだが、これも術者個人の時給で見ると同様、あるいはゼロ。頭蓋形成は予定手術扱いで、夜間手当はつかない。
「正しい医療」と「割に合う労働」のズレが、再開通時代に拡大しています。エビデンス側は治療を強く推奨する。診療報酬側は施設の収入を支える。ところが現場の医師個人の労働対価は、その間で取り残されている。病院は1件で約33万円の手技料を得て、術者は深夜の労働を実質無償で提供している施設すら存在する、というのが日本の医療経済の実態です。
国際比較で見ると、米国でのEVT術者報酬は1件あたり数千〜1万ドル単位、ドイツやフランスでも数百〜千ユーロ単位が一般的とされます(出典:複数の医療経済比較研究)。同じ手技で、先進国の中で日本の医師個人報酬は突出して低い。手技の難易度も、患者予後への影響も同じ。違うのは制度設計です。
これは「医師は奉仕すべき」という旧来の医療観が、エビデンス進歩のスピードについていけていない構造です。
ここから先は、2024年医師の働き方改革との衝突、地方脳外科の人手構造、若手医師のキャリア選択、削られる医師の心身——再開通時代の脳外科医を支える制度全体の限界に踏み込みます。
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