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痛み止めを捨てた彼氏は美談じゃない

ある投稿が1,300万回以上表示されていた。

外科医です。心底腹が立ったので書きます。


間違っている

イブプロフェンを含むNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)は、月経困難症の第一選択薬です。生理痛にまず使われる薬。婦人科に行っても、処方されるのはNSAIDsです。「イブプロフェンを捨てて婦人科に行け」は矛盾しています。

投稿者は「腎臓を失うリスクを上げる覚悟で飲んでいる」とも書いていました。健康な成人が月に数回、用法用量を守って飲む程度で腎障害が問題になることはほぼありません。NSAIDsの腎リスクが臨床的に意味を持つのは、慢性腎臓病の患者、高齢者、脱水状態での長期連用が重なるような場面です。若い健康な女性が生理痛のたびに飲むことと、腎臓を失う覚悟。この二つは釣り合わない。

「頭痛は水飲んで寝ろ」も相当まずい。片頭痛で3日間嘔吐が止まらず、座薬でしか薬を入れられない人がいます。それ以上に怖いのは、脳に器質的な異常がある二次性頭痛の見落としです。原因も調べずに「寝ろ」で済ませるのは、医療者の発言として論外だと思います。

泌尿器科医の目線

もしこの彼氏が実在するなら、なぜこんな発言になったのか。一つだけ心当たりがあります。

泌尿器科は腎臓を扱う科です。NSAIDsによる腎障害の症例を、実際に目にする側にいる。だからリスクを強く感じる傾向は、あり得なくはない。

でもそれは、自分の外来に来た腎障害の患者を見ているから怖く感じるだけの話です。健康な若い女性が月に数回飲む場合のリスクとは全く違う。目の前の症例と集団全体のリスク評価を混同するのは、医療者としてやってはいけないことです。百歩譲ってこの彼氏が存在したとして、出てくる結論は「ヤブ」か「知ったかぶりの研修医」かのどちらかです。

痛みは痛みを呼ぶ

この投稿が広めた最悪のメッセージは、「鎮痛薬はその場しのぎ」「体に悪い」という印象です。

違います。鎮痛薬は、痛みの悪循環を断ち切る薬です。

痛みが続くと、末梢神経も中枢神経も痛みに敏感になっていく。放置するほど痛みは増幅される。だから早い段階で断つ。それが鎮痛薬の役割であって、誤魔化しでも逃げでもありません。我慢して痛みを長引かせる方がよほど体に悪い。

「薬に頼るな」は精神論です。医学ではありません。

本当に怖がるべきリスク

鎮痛薬に本当のリスクがないわけではありません。腎障害ではなく、MOH(薬剤使用過多による頭痛)です。

月に15回以上、鎮痛薬を使い続けると、薬そのものが頭痛の原因になることがある。痛いから飲む、飲むから慢性化する、慢性化するからまた飲む。この悪循環が鎮痛薬の本当のリスクです。健康な人が月に数回飲む程度の話ではなく、頻度の問題。

怖がるならここを怖がってほしい。「腎臓を失う覚悟」ではなく、「飲みすぎて頭痛が慢性化する」リスク。そしてこれは、用法用量を守れば避けられるリスクでもあります。

アセトアミノフェンなら安全?

リプ欄に「腎臓が心配ならアセトアミノフェンにすればいい」という声がありました。半端な理解です。

アセトアミノフェンは確かに腎への影響が少ない。でもこの薬には肝障害のリスクがあります。特に空腹時やアルコールと一緒に飲むと、肝臓へのダメージが大きくなる。「こっちに替えれば安心」という単純な話ではありません。

どの薬にもリスクはある。そのリスクが問題になる条件と、ならない条件がある。大事なのは「薬は怖い」と遠ざけることではなく、条件を知ったうえで使うことです。

受診しろ、は正しい。でも

原因を調べることと、今の痛みに対処すること。この二つは別の話です。生理痛の裏に子宮内膜症が隠れているかもしれない。だから受診は大事。でもそれは「痛み止めを飲むな」とイコールではない。両方やればいい。

ただ、「婦人科に行け」と簡単に言えない現実もあります。

リプ欄に、婦人科を受診したのに「個人差なので」と笑って切り捨てられた経験を書いている人がいました。こういう話は珍しくない。受診しても門前払いされた人に、「とにかく受診しろ」だけ言っても意味がないんです。

受診を勧める側にも責任がある。生理痛で来た患者を「そんなもの」で帰さないこと。異常がなかったならなかったで、「異常がないとわかったこと自体に意味がある」ときちんと伝えること。受診を勧めるなら、受診した先がまともであることまで含めて考えないといけない。医療者側の問題でもあります。

これは美談じゃない

医学の話から離れます。

相手の持ち物を「すごい勢いで取り上げ」て「全部捨てた」。仮にどんな正論を言っていたとしても、パートナーの自己決定権を力ずくで奪う行為です。正論ですらなかったわけですが。

本当に心配なら「一度検査してみたら」と言えばいい。薬を取り上げて捨てる必要はどこにもない。医療者であることは、パートナーを支配していい理由にはなりません。

「彼が止めてくれたおかげで今がある」という語り方そのものが、支配的な関係の美化です。それが1,300万回表示されている。

「理解ある彼くん」構文

この投稿に限った話ではありません。

SNSには「医療者の彼氏(夫)が教えてくれた」系の投稿が繰り返し流れてきます。医師の彼が、薬剤師の彼が、看護師の彼が。そしてその「教えてくれた」内容が不正確でも、職業の権威をまとっているからバズる。

このフォーマット自体が有害です。匿名の第三者の職業を権威として使い、真偽不明の医療情報に説得力を持たせる。「泌尿器科医が言ったのだから正しいのだろう」と受け取った人が、1,300万人のうちどれだけいたか。

検証できない権威ほど強い。本人が出てきて訂正することはないから、永遠に反論されない。都合のいい権威です。

実在してもしなくても

この泌尿器科医の彼氏、本当にいるんでしょうか。僕はかなり疑っています。

もし実在するなら。泌尿器科医、元カノがこのアカウント、イブプロフェンを取り上げて捨てたというエピソード。これだけの情報を1,300万人の前に出されたら、界隈ではかなり絞り込める。リプ欄では「ヤブ医者」「DV」と書かれている。感謝しているつもりで、元交際相手の社会的信用を毀損しています。

もし創作なら。「泌尿器科医」という実在する職業の権威を借りて、不正確な医療情報を1,300万人に届けたことになる。

どちらにしても、害は同じです。

訂正は届かない

このポストのリプ欄には、薬剤師や医師による正確な訂正がいくつも並んでいました。「イブプロフェンは月経困難症の第一選択薬」「用法用量を守れば腎障害のリスクは極めて低い」。全部そのとおりです。

でもSNSでは、感情に訴える美談だけがバズる。冷静な訂正は埋もれる。1,300万回表示された誤情報を、リプ欄の数百いいねの訂正で打ち消すことはできません。

このポストを見て「痛み止めは怖い、我慢しよう」と思った人が一人でもいたなら、それはもう実害です。

痛いときは痛み止めを飲んでください。そのうえで、原因が気になるなら受診してください。それだけの話を、誰かのバズった創作に邪魔されてほしくない。


読んでいただきありがとうございました。
コメント、記事購入、チップ等いつもありがとうございます。
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関連記事もありますので、下記サイトマップを参照していただければ幸いです。

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