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吐物を浴びた日 — 研修医の洗礼 —【白衣の記憶】番外編

研修医になったばかりの頃の出来事です。

私は患者さんの吐物を
頭から浴びました。。。

4月。駅を降りて桜が咲き乱れている川沿いをしばらく歩くと、研修先の病院が見えてきます。
緊張と期待に胸をふくらませていました。



この頃、白衣はまだ自分のものではありませんでした。
病院から支給された男女兼用のSサイズの白衣は、
全体は大きめなのに、お尻のあたりだけが少し窮屈でした。

……なぜここだけ。。。

体にも気持ちにも、どこかしっくりこない感じでした。

幼い頃に見たドラマで、素敵な女優さんが医者としてかっこよく白衣を羽織り、首に聴診器をかけている姿を見て、憧れていました。
けれど、身長も低く童顔の私にはどこか似合いません。
貫禄もなく、なんだかコミカルな漫画に出てくるキャラクターのようだと、自分で思っていました。
ポケットに手を入れる仕草さえぎこちなく、
病棟を歩くたびに

「医者らしく見えているだろうか」

と気にしていました。

でも、徹夜をして目の下にクマを作りながらも必死で勉強して学生時代を過ごし、国家試験のプレッシャーも乗り越えてきたのです。
ピカピカの白衣を着ることができた喜びに包まれていました。

その白衣に、これからどんな記憶が縫い込まれていくのか、
そのときの私はまだ何も知りませんでした。



そんなある日、末期胃がんの桜葉さんという患者さんの担当になりました。

桜葉さんは、肉体労働をしていたと聞いていましたが、小柄で痩せた体つきで、病気の進行とともにさらに細くなっていらっしゃるようでした。
病院のガウンの胸元からは、肋骨が透けて見えてしまいそうでした。
食欲がないことをきっかけに受診されたときには、
すでに治療が難しい状態でした。
家族はおらず、ひとりで生きてきた方。無口で、多くを語らない静かな人でした。
病気を告げられたばかりの頃は、
現実を受け入れきれないように表情がこわばっていました。



桜葉さんは、六人部屋のいちばん手前のベッドでした。

高層階の病室の窓からは都内が一望でき、
川沿いの桜の新緑がとてもきれいに見えました。
季節の光が、病室の床に静かに落ちていました。

消化器内科の病棟には、絶食で点滴だけで過ごす患者さんが多くいらっしゃいました。
だから、食事の時間になっても、病棟に漂っていたのは食べ物の匂いではなく、洗い立てのシーツの匂いと、消毒液の匂いでした。

どこか張りつめた、けれど清潔な空気が病室にありました。

現在は建て替えられてしまいましたが、
当時の病棟はとても古く、
廊下もこぢんまりと狭くて、少し薄暗い場所もありました。
でも、患者さんと医療者との距離は自然と近くなります。

ナースステーションの声も、
誰かの笑い声も、すぐそばにありました。
医師の手の温もりが残り、
心が通い合うような、温かい病棟でした。

この病棟は、
私の医師としての原風景です。



研修医だった私たちに協力的な患者さんが多かったことも覚えています。

針を持つ手が緊張で震え、
点滴の穿刺に失敗してしまっても、

「いいよ、いいよ」

と、むしろこちらを気遣うように
声をかけてくださる方が少なくありませんでした。

もちろん、桜葉さんも例外ではありませんでした。

むしろ、誰よりも静かに
私を支えてくれていたのかもしれません。

皆さんの笑顔に、
何度救われたかわかりません。



初めて挨拶に伺ったときでした。

病室はとても静かで、窓から入る午後の光が、
白いシーツの上にやわらかく落ちていました。

桜葉さんはベッドの上で、
少し疲れたような表情でこちらを見ていました。

私は白衣の襟をそっと整え、
深く息を吸ってからベッドの横に立ちました。

「担当になりました」

そう言って頭を下げた、その瞬間だったと思います。


桜葉さんが突然、

「げー!」

と嘔吐されました。

次の瞬間、
私はその吐物を頭から浴びていました。


……本当に、文字通り「頭から」でした。




ドラマなら少し誇張される場面ですが、
現実は想像以上でした。

一瞬、これは夢ではないかと思いました。
けれどもちろん夢ではありません。

やはり私は、コミカルな漫画のキャラクターなのではないか。
そんな考えが一瞬頭をよぎりました。

驚くほどの量でしたが、不思議と体は先に動いていました。

患者さんの背中をさすり、吐物で汚れたシーツを丸めながら、できるだけ低く落ち着いた声色で、看護師さんに声をかけました。
内心はかなり動揺していたはずですが、研修医なりに必死でした。

いわゆるピロステ(幽門狭窄)という状態でした。
がんが大きくなり、胃の出口が塞がれてしまい、
食べ物が先へ進まず胃に溜まっていたのです。



ピカピカのはずの白衣は一気に汚れてしまいました。

あまり似合っているとは言えませんでしたが、
医師になれた象徴のようなものだったので、
それなりにショックを受けたのを覚えています。

研修医としての最初の試練は、
医療知識の不足でも、
人間関係でも診察技術でもなく、

まさかの「洗礼」だったのです。



桜葉さんは何度も「ごめんね」と言いました。

私は「大丈夫ですよ」と答えながら、必死に対応していました。

頭のどこかで
「これが医療現場なのか……」
と実況している自分もいたような気がします。

私よりも、ナースステーションの方が大騒ぎでした。

「桜葉さんの感染症は調べてあった?」
「同室の患者さんのメンタルが心配」
「バイタルチェックして!」

ナースステーションではポケベルで上級医を呼び集めていたため、
慌ただしく電話の音が鳴り響いていました。

私はその様子をただ遠くから眺めるだけ。
目の前の桜葉さんの体を支えることで精一杯でした。

今思えば、感染症の心配も大事ですが、
吐物を浴びた研修医のことも少しは気にしてほしかったな、と思います。



一段落したあと、当直室でシャワーを浴びました。

かなり長めに。
本当に、かなり長めに。

髪の奥まで出来事が残っているような気がして、
何度もシャンプーをしたのを覚えています。

「これが医者の仕事なのかもしれない」

まだ医師として何も分かっていなかった頃の、
小さな実感でした。



それから、桜葉さんは少しずつ身の上話をしてくれるようになりました。

病気だろうとは思っていたけれど、
怖くて受診できなかったこと。

結婚しようと思っていた人が、
突然の病で亡くなってしまったこと。

自分は一人だから、
死んでしまっても誰も悲しむ人はいないのではないか、と。

そんな孤独に押しつぶされそうになっていたこと。

ぽつり、ぽつりと話してくださるその姿を、
今でも覚えています。

痩せた体で眉間に小さな皺を寄せ、
遠くを見るように話されていました。

胸が押しつぶされそうになりました。

けれど最後には、
少し照れたように笑うのです。

食事ができず、
点滴だけで必死に生きようとしている姿を
毎日見ていたからこそ、
その笑顔が忘れられません。

無口な方だっただけに、
その笑顔で、張りつめていた病室の空気が
少しだけやわらぐような気がしました。



吐物を浴びた日の夜、
上級医に出来事を報告しました。

「医師はどんなときも冷静沈着に構えること。

心が揺れ動いても、それを患者さんに悟られないような演技者でいること。

それは患者さんの尊厳を守ることなのだ」と。

吐物を浴びても研修医なりに必死に対応した私への
労いの言葉だったのだと思います。

この出来事を終始見ていた白衣が、
どこか愛おしく感じられるようになりました。

医師としての覚悟も、
桜葉さんとの記憶も、
そして研修医だった自分の時間も、

その白衣に少しだけ刻まれたような気がしました。



退院は、ありませんでした。

次の研修医へ申し送りを終えて数週間後、
桜葉さんが亡くなったと聞きました。

病棟は、驚くほどいつも通りでした。

ナースステーションでは次の入院の準備が進み、
廊下にはストレッチャーの音が響き、
窓の外では季節が少しだけ進んでいました。

けれど、六人部屋のいちばん手前のベッドだけが、
ぽっかりと空いていました。

あの方の体温が残っているような気がして、
しばらく近づくことができませんでした。

あの笑顔は、もう見られないのだと理解した瞬間、
胸の奥に静かな痛みが広がりました。

声を上げて泣くような悲しみではありませんでした。

ただ、
「もう会えない」という事実が、
ゆっくりと体の中に沈んでいきました。

カルテには死亡時刻が淡々と記されていました。

けれど私の中では、
桜葉さんは今も、点滴スタンドに寄りかかりながら、
少し照れたように笑っています。



あれから三十年近くが経ちました。

今でも診察室で患者さんと向き合っていると、
ふと桜葉さんの笑顔を思い出すことがあります。

三十年の時を経て、桜葉さんのカルテはもうありません。
けれど、この方は静かに私の中にいます。

少し成長した私は、
こうして地域に根ざして医師として働いています。

それもきっと、
このような患者さんとの出会いの積み重ねのおかげなのだと思います。

ありがとう、とお伝えしたいです。

私の白衣には、
語りきれない出会いがいくつも縫い込まれています。

そして今日も、その続きを静かに重ねています。

明日もまた、白衣に袖を通します。

これが私の「白衣の記憶」です。

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