『オクトパ・ストーン』
収蔵記録 No.014
『オクトパ・ストーン』
漂着地点:海底博物館
著者:最後の読者
推定年代:意味があった頃
保存状態:しっくり
海では、文字を使う生き物はいない。
ある若いタコだけが、自分だけの文字を発明した。
誰にも読まれない日記を書くためだった。
彼は貝殻を拾い、小石を使って丁寧に文字を刻んでいく。
「今日はクラゲがおいしかった。」
「今日は壺を見つけた。
入った。
しっくりきた。」
「カニには今日も勝てなかった。」
そんな、ごくありふれた日常を書き続けた。
半年後。
彼は文字を書くたびに少し考えるようになった。
「あれ、、これは何だったかな。」
一年後。
自分が作った文字なのに、ゆっくりとしか読めなくなっていた。
さらに時は過ぎる。
彼は文字を発明したことさえ忘れた。
海底に並ぶ貝殻を見ても、
「誰がこんな模様を刻んだんだろう。」
と思うだけだった。
二年後。
タコは静かに一生を終えた。
貝殻だけが海底に残った。
数百年後。
イルカの研究者が、その貝殻を発見する。
「これは、、、文字だ!」
海洋学会は騒然となった。
オクトパ・ストーン発見。
海の歴史を書き換える大発見として世界中へ広まった。
しかし、誰も読めない。
作者はもう、この世にいない。
数百年の研究が始まった。
【壺信仰説】
壺は生命の循環を象徴する神聖な器であり、タコはその中で祈りを捧げていた。
【しっくり教団説】
「しっくり」とは古代タコ語で”魂が海へ還る状態”を意味する。
【海底王権象徴説】
壺へ入る儀式を終えた個体だけが王となる資格を持っていた。
【反壺学派】
壺など存在しない。
これは比喩表現である。
【実用品説】
壺は居住施設であり、宗教とは無関係である。
しかし支持者は少ない。
「では、なぜ”しっくりきた”と記録する必要がある?」
という反論に押され、現在では少数派となっている。
【固有名詞説】
「しっくり」は状態を表す語ではなく、個体名である。
したがって全文は
「今日は壺を見つけた。
入った。
シックリが来た。」
と読むのが正しい。
なお、「シックリ」が誰なのかについては意見が分かれている。
【季節行事説】
「しっくり」は、新年の定型句である。
現代でいう
「あけましておめでとう」に近い。
【誤字説】
「しっくり」は「びっくり」の誤記である。
【最有力説】
この記録は哲学書である。
「壺」とは自己、
「入る」とは内省、
「しっくり」とは自己実現を意味する。
現在、最も支持を集めている。
いくつもの学説が生まれた。
やがて海底博物館が建つ。
ガラスケースの中には、一枚の貝殻。
そこには海で最も有名な文章が刻まれていた。
「今日は壺を見つけた。
入った。
しっくりきた。」
毎年、多くの研究者が訪れた。
「海洋文明最大の謎」
そう呼ばれた。
真実を知る者は、もう誰もいない。
※なお、本資料の真偽については現在も議論が続いている。館長は実用品説を支持している。
