Jacob Jeffriesインタビュー / 彼の音楽の原点、Vulfpeckとの旅路、そしてソロアルバム
KINZTOのDr.ファンクシッテルーだ。今回は「どこよりも詳しいVulfpeckまとめ」マガジンの、71回目の連載となる。
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今回は、Vulfpeck(ヴォルフペック)8人目のメンバーとしてバンドに大きな変化をもたらした、シンガーソングライターのJacob Jeffriesにインタビューを行うことができた。彼のインタビューとしては日本初のものである。
このVulfpeckのインタビューシリーズのいつものように、通訳はヨウヘイさんにご担当いただいている(ヨウヘイさんは日本での彼らの通訳兼マネージャー)。
今回は彼のトータルの音楽遍歴や、Vulfpeckに参加していった経緯、ニューアルバムにこめられたメッセージなど、貴重なお話をたくさん聞かせていただくことができた。改めてこの場を借りて、深く感謝を伝えたい。Thank you so much, Jacob!!!
それでは、始めよう!
幼少期からフロリダ、NY時代
――ではまず最初に、日本のみんなに自己紹介をお願いします。
僕はJacob Jeffries(ジェイコブ・ジェフリーズ)。出身はフロリダで、今住んでいるロサンゼルスとはアメリカの反対側だね。子どもの頃からピアノを弾いていて、背が伸びるのが止まるまでは「自分はバスケットボールもいける」と思っていたんだ(笑)。
いまでも趣味でスポーツはする。アルティメット・フリスビーをやるんだ――みんな知ってるかな? レクリエーションとして楽しんでいるよ。そして、愛犬のMuggsy(マグジー)と暮らしているんだ。そんな感じかな。

――どんな子供時代を過ごしましたか? ピアノや作曲を始めたきっかけなども教えてください。
僕は2歳の頃にはすでに、聴いた曲の音をおもちゃのピアノで探り当てながら弾いていた、と母が言っていた。家には僕が小さかった頃のホームビデオがあって、そこで僕はギターを弾いて――実際には弾けていないのに弾くふりをしている姿が映っていたんだ。
(筆者注:それらのホームビデオが使われているMV👇)
両親がビートルズに夢中だったから、僕も自然とビートルズにのめり込んでいった。母はよくクイズを出してきて、ビートルズを聴きながら「今歌っているのは誰かな?」って当てさせたんだ。家では、レコードでビートルズが一日中かかっていたんだよ。そんな子供時代だった。
そして、そんな息子を両親はピアノのレッスンに通わせてくれた。ただ、僕は楽譜の読み方などの基礎を習うのが好きじゃなかった。
でも12歳くらいの時だったと思うけど、両親が新聞の広告でピアノの先生を見つけてくれたんだ。大学を出たばかりの若い先生で、僕が望むやり方――つまりビートルズをひたすらコピーするという方法で、音楽を学ばせてくれた。だから僕はビートルズと、その先生のおかげでピアノが弾けるようになったんだ。
作曲はもっと前――10歳頃の5年生の時に、学校のクラスのために1曲作ったんだ。あれが自分の曲を最初に人前でパフォーマンスした時だったと思う。たしか、「A Night of Dreams」とか「Dream Night」とか、そんなタイトルだった。
担任の先生が、クラスの児童とその保護者に向けて「将来なりたいもの」を発表する夜のイベントを企画してくれたんだ。その会のために僕が曲を書き、クラスのみんなに教えた。5年生にして、音楽監督みたいなことを友人と一緒にやったんだよね。
それから、15歳の時にフロリダのスターバックスの外で初めてのライブをやって……それ以来、なんとかずっと音楽を続けてきている。
――ありがとうございます。そのスターバックスでのライブから、どうやってJacob Jeffries Bandへと移っていったのでしょう?
最初は、高校時代に組んだ別のバンドがあったんだ。ちょっと変わった名前だけど、「Because of Dee」っていうバンドだった。「Dee」は、亡くなってしまった友人の名字から来ている。それが僕にとって最初の本格的なバンドだった。
そのバンドのドラマーは最終的に僕のいとこと結婚したりしたんだけど――その高校のバンドは解散して、それぞれが大学に進んだり、別々の道を歩むことになった。
僕はそのまま音楽を続けて――僕の高校の友人の父親が音楽出版会社に勤めていて、そのつてで知り合ったのがDan Warner(ダン・ワーナー)という人だった。ちなみにこれは、すべてマイアミでの話だよ。
Danはとても有名なギタリストで、フリオ・イグレシアス、エンリケ・イグレシアス、マーク・アンソニー、リッキー・マーティンといったラテン音楽の大スターの作品に参加していた。
さらにマドンナやジャスティン・ティンバーレイクなど、世界的なアーティストとも共演していたんだ。
Danが僕の曲を気に入ってくれて、18、19歳の頃には、彼が僕のレコーディングをプロデュースしてくれるようになった。
それだけじゃなく、Sebastian Krys(セバスチャン・クリス)も、Danと同じく僕の初期の作品を手がけてくれたプロデューサーなんだ。どちらもラテン音楽界でとても有名で、グラミー賞を何度も受賞している。彼ら二人が、まさに僕を導いてくれた存在だった。

画像出典:Jacob Jeffries Band & Sebastian Krys Record DVD at Full Sail University
その頃、僕はワーナー・チャペル・パブリッシングと契約を結んでいた。これは、ワーナー・ブラザーズ系の音楽出版社のような存在だよ。
その契約も、Dan WarnerとSebastian Krysが実現させてくれた。彼らが僕をワーナー・チャペルに連れて行ってくれて、「この若者の曲はすごい、契約したほうがいい」と薦めてくれて、実際に契約が決まった。
そこからはマイアミ中で演奏を始めて、自分の存在を知ってもらおうと(筆者注:Jacob Jeffries Bandとして)ひたすら活動していた。高校を卒業してすぐにワーナー・チャペルと契約を結んで、大学には進学せず、そのままツアーに出発した。とにかくライブをして、各地を回る日々だったんだよ。
(筆者注:当時の様子が収められている映像👇)
でもフロリダ各地をツアーして、アメリカの他の州にも足を伸ばしたけど、帰ってきたころにはすっかり疲れてしまってね。それで23歳くらいのときに、もっと多くの人と曲を書きたいと思って、ニューヨークへ引っ越した。
ロサンゼルスへ行くのはまだ怖くて、フロリダから遠すぎると思っていたので、まずはニューヨークを選んだんだ。
――そうだったんですね。ニューヨークではどういった活動を?
ニューヨークでも、小さなフェスやライブに出演していた。自分のバンド、Jacob Jeffries Bandこそが自分のすべて――そう思って夢中で活動していた。ただ、その頃は家庭の事情もいろいろあったんだ。
フロリダにいた19歳の時に、父が突然亡くなった。それは本当に大きな出来事で……家族全員にとって、とても辛い時期だった。
その後、23歳でニューヨークに移り住んだ頃、今度は母が重い病気になり、24歳のときに亡くなってしまった。
だから、25歳になる前に両親を失ってしまったんだ。僕達は本当に仲の良い家族だったから、その喪失は計り知れなかった。まだ大人になりきれていない年齢で、「大人として生きる」ことを学ばなければならなかった。あの頃は本当に辛い時期だった。
それでニューヨークを離れ、マイアミに戻ることにしたんだ。唯一の家族である妹と、当時婚約中だった彼女のパートナーと一緒に過ごすためにね。
そして――「もう失うものは何もない。だったら行ってみよう」と思い切って、ロサンゼルスへ行く決意をした。26、27歳くらいのときだね。僕の恩人であるSebastian Krysも、マイアミからロサンゼルスに移住していたので、最初は彼が家に泊めてくれた。とても大きくて素敵な家で、僕の生活が落ち着くまで居させてくれたんだ。
ロサンゼルスに移って、ワーナー・チャペルとの契約を続けたまま「とにかく曲を書きたい、新しい人たちに会いたい」という、ハングリーな気持ちで毎日を過ごした。たとえうまくいかなくても、とにかく書き続ける。そんな感じだったよ。
Vulfpeckとの旅路
――ありがとうございます。そしてロサンゼルスで、まずTheo Katzman(ティオ・カッツマン)と出会ったと思います。どのようにして仲良くなったのでしょう?
Theoと実際に会ったのは、ロサンゼルスに移ってから2年ほど経った頃だったと思う。
でもお互い、以前から名前は知っていたんだ。というのも、僕らは同じ時期にニューヨークに住んでいて、バンドのメンバーが一部かぶっていたり、同じライブハウス、ロックウッド・ミュージック・ホールで演奏していたりしたんだよ。
(筆者注:ロックウッド・ミュージック・ホールにはVulfpeckも出演している)
ロックウッドはいろんなシンガーソングライターたちが月に1度くらい出演するような人気のライブハウスで、Theoの名前もそこでよく耳にしていた。彼も僕のことを、共通の仲間を通して知っていたらしい。
でも実際に顔を合わせたのは、もう少しあとだった。たしか『Heartbreak Hits』が出る直前……2016年か、2017年の初めごろだね。
僕たちが会った場所は、いわばカリフォルニア版のロックウッドみたいな――ホテル・カフェという店だった。ロサンゼルスの素敵なシンガーソングライターたちが集う、定番のライブハウスなんだ。
僕とTheoは会場の外でばったり会って、しばらく話をした。それが最初の出会いだった。でもね、本当に仲良くなったきっかけについては、もっと面白いエピソードがあるんだよ。聞きたい?(笑)
――もちろんです(笑)。
オーケー。当時、僕はRaul(ラウル)という友達と一緒に住んでいた。その頃の愛車は、なんと15人乗りの巨大なバンだった(笑)。ツアーで使っていた車を普段使いにしていたんだよね。
ある日、その大きなバンを運転していたら、道の脇でランニングをしているTheoを見つけたんだ。上半身ハダカで(笑)。
思わず窓を開けて「Theo!」と声をかけたら、彼も気づいて「おお、Jacob!」って。
「この前ホテル・カフェで会ったよね?」と話しかけたら、「そうだね、元気?」って言ってくれた。
「何してるの?」と聞くと「ジョギング中だよ」って言うから、僕が「じゃあ、うちで夕飯でもどう?」って誘ったんだ。
「うち、すぐそこなんだ」って言ったら、彼が「え、俺もこの辺りに住んでるよ!」って返してきた。
なんと、彼の家は僕の家からたった6軒ほどしか離れていなかった(笑)。
「え、そんな近所にずっと住んでたの?」「そうだよ」「僕ももう2〜3年住んでるけど!」――お互いに驚いたあと、彼は「汗だくだけど、夕飯行くよ」と言ってくれて。
「よし、じゃあ乗って!」と言って、Theoをそのまま車に乗せた(笑)。
その後、僕がTheoのバンドでピアノを弾くようになり、一緒にツアーを回るようになったんだけど、彼はそのツアー中のMCでよくこの話をしてくれた。
「知らない人の車に乗ってはいけませんって言われるけど――たまには知らない人の車に乗ってみるのも悪くないもんだね!」ってね(笑)。
そんな出来事があって以来、僕らはずっと親友なんだ。
――最高ですね(笑)。ではその後、「How Much Do You Love Me?」でJack Stratton(ジャック・ストラットン)と共演するようになった経緯を聞かせていただけますか?
そうだね、きっかけはもちろんTheoだった。
まず最初に言っておきたいのは、僕はもともとVulfpeckのファンだったということ。ロサンゼルスのミュージシャン仲間の間でも、みんながVulfpeckを尊敬していた。僕自身も彼らの大ファンだったんだ。
Theoと親しくなるにつれ、自然とJackとも繋がっていった。彼と僕は性格がまったく違うのに、なぜかすごく気が合って、会うたびに大笑いしてばかり。
僕はどちらかというと社交的なタイプで、Jackは静かで控え目。だけど、そんな正反対な二人だからこそ、いいバランスが取れていたんだと思う。Theoが僕らを引き合わせたことで、Theo、Jack、僕という三人の関係が――まるで三角形のように、三人がお互いを補い合う関係性ができた感じだった。
その後、Joey(ジョーイ・ドーシック)とも仲良くなって、Woody(ウッディ・ゴス)と会ったのもその頃だった。たしか彼らが『Hill Climber』のレコーディングをしていたタイミングだったと思う。
そうやって少しずつバンドのみんなと親しくなり、Jackとは特に、一緒に食事をしたり、ライブを観に行ったりと、本当によく一緒に過ごすようになったんだ。
それで、ある日――これはちょっと面白い話なんだけど(笑)。
Jackは、ひとつのフレーズを延々と弾き続ける癖があるんだ。何か気に入ったリフがあると、数か月ものあいだずっと、同じものを弾き続ける。どこでピアノに座っても、毎回そのリフを弾く。
で、僕がある日Jackの家に遊びに行っていて。僕がトイレにいた時のことなんだけど。またあのリフが聞こえてきて――そう、「How Much Do You Love Me?」のピアノだ。
その瞬間、まるで雷に打たれたみたいにメロディが頭に浮かんできて、僕はトイレの中から全力で、大声で歌った。「How much do you love me!」って。しかも、曲の中で実際に歌っているあの声のトーンで(笑)。
そうしたら、トイレから出てきたらJackが涙が出るほど笑っていた。彼は笑いながら「それだ!それだよ!」って。
それで「よし、やってみよう」となって、その場でレコーディングした。最初は女性シンガーが歌う想定で歌ったので、「これはデモ・バージョンだね」と思っていたんだけど、Theoに聴かせたら、彼がまた大笑いして「最高じゃないか!」って。
僕が「誰に歌ってもらおうか?」と聞いたら、「いやいや、これを歌うのは君だよ!」って言うんだ。
「この声、何これ!?」「こんなの聴いたことない!」と興奮していて、「これが完成版だよ、これをそのまま出すべきだ」って言ってくれたんだ。そんなことがあって、僕たちは一緒に曲を出すことになったんだよ。
――素晴らしいストーリーですね。それでは、その後Vulfpeckのメンバーとして一緒に活動するようになったのは、どのような流れだったのでしょうか?
それはとてもゆっくりとした、自然な共同作業の積み重ねだったんだ。さっきも話したように、Jackとは本当に毎日のように会っていて、ほとんど切り離せないくらいの親友になっていた。そこから一緒に曲を書くようになったんだよ。
ただ、Jackとのソングライティングは、普通のプロの音楽制作とはちょっと違うんだ。彼はプレッシャーをまったくかけないタイプで、とにかく楽しむことが最優先。
だから基本は「ただ一緒に過ごすこと」なんだよ。面白いことや良いアイデアが浮かんだら、その場でスマホに録音しておく。それだけ。その後どうなるかは、全部Jack次第なんだ。
最初に「How Much Do You Love Me?」を一緒に書いたときは、「ああ、いい曲ができたな。楽しいコラボだったな」くらいに思っていた。そのあと、一緒に「New Guru」という曲を作った。これは『Schvitz』に入っているね。
その曲は僕の妹の家――僕のグランドピアノを置いている家なんだけど――そこで書いたんだ。そのときも、やはりJackが何か月も前から弾いていたフレーズがあって、そこから発展したんだ。
そして「Miracle」という曲も一緒に作った。これも『Schvitz』に入っているね。
そんなふうにして何曲か共作したあと、Jackが「Theoのスタジオでレコーディングするから来ないか?」と誘ってくれたんだ。それが、『Schvitz』のためのレコーディング・セッションだったんだよ。
僕は「自分は歌わないけど、遊びに行こう」っていう感じで行って、初めてバンド全員と一緒に楽しく過ごした。数曲だけど、コーラスでも参加させてもらってね。
そのときが、初めてメンバーの一員になったような感覚を持った瞬間だった――とはいえ、その時点ではまだ正式に自分をメンバーだとは思っていなかった。
でも次のアルバム、『Clarity of Cal』の制作に入ったときに、「あ、これはもう完全に自分もバンドの一部なんだな」と感じた。
というのも、気づけば僕はそのアルバムで、Jackと2曲、Joeyと2曲、そしてTheo、Jack、Joeyとでさらに2曲――つまり、アルバムの半分近くの曲を一緒に作っていた。
さらにJackには明確なビジョンがあって、『Clarity of Cal』では「4声のヴォーカルを前面に出す」というコンセプトを掲げていた。その4人というのが、Antwaun(アントワン・スタンレー)、Theo、Joey 、そして僕。この4人のヴォーカルが同時に前に出るサウンドを作る。それがこの作品の設計図だった。
そうして気づけば、Jackからバンド全体の連絡が届くようになり、「次のライブはここで」「リハは何時に集合」といったやりとりの中に、自分の名前が普通に含まれていた。それで、「ああ、これはもう、僕はバンドの一員なんだな」と(笑)。
――なんと! ということは、Jackから「君は今日からメンバーだ!」と言われたわけではないんですね?
そうなんだ。正式なオファーみたいなもの――たとえば契約書を交わすようなことは、一度もない。でも、「じゃあ僕はメンバーじゃないのか?」と聞かれたら、「いや、もうこの段階でメンバーじゃないはずがないだろ」とも思う(笑)。
Vulfpeckの素晴らしいところは、バンドが常に変化し続けていることなんだ。実際、このプロジェクトの中心はJackだけど、そこには信じられないほど才能ある仲間たちが集まっていて、その全員がバンドを特別なものにしている。
つまりVulfpeckというのは、特定のメンバーというよりも、サウンドそのものなんだ。Antwaunが歌うこともあれば、僕やTheoが歌うこともある。Evangeline のように、ゲストが加わることもあるよね。以前だったら、Mike Violaが『Hill Climber』に参加したように。
そう――Vulfpeckはサウンドなんだ。僕は、そのサウンドを一緒に作りあげるためのメンバーなんだと思っているよ。
ニューアルバムについて
――ありがとうございます。それでは、あなたのニューアルバム『You Got The Right Idea』について聞かせてください。Theoのスタジオで彼のプロデュースで作られたとのことですが、どうやってその流れになったのでしょう?
僕とTheoは本当に親しい関係で、なんでも話し合う仲なんだ。このアルバムの制作期間中も、ずっと互いにやり取りを重ねていた。
僕はだいたい数年おきに、自分名義のレコードを作るようにしているんだ。いつもは他の人と一緒に曲を作るのが好きなんだけど、定期的に「自分自身を主役に戻す」時間が必要なんだ。2〜3年に一度くらい、自分の感情や考えを中心にしたアルバムを作る――それが、僕にとってのリセットなんだ。
今回の作品では、ちょうどTheoが「10 Good Songs」というレーベルを立ち上げていたので、「一緒に10 Good Songsでアルバムを作らないか?」と僕から誘った。
彼は「もちろん、ぜひやろう!」と言ってくれて、彼のスタジオで1週間かけて制作したんだ。
今回のレコーディングでは、僕たちはあるルールを決めて臨んだ。それは、すべての曲を、バンド全員が同じ部屋で、同時に演奏してレコーディングすること。
あとから音を重ねてもいいけれど、パンチイン・パンチアウト(部分的な録音の修正)はしない。クリック(メトロノーム)も使わない。
テンポをデジタルのグリッドに合わせず、その瞬間の空気を記録する。僕たちは、そういうルールを自分たちに課した。
この「今、この瞬間を閉じ込める」やり方に、本当に喜びを感じているんだ。いまの時代は完璧に整った音を簡単に作れるけれど、その場の息づかいを残すのは意外と難しい。
Theoはこの作品の精神面でも大きなインスピレーションをくれた。彼とは人生について何度も長い話をしたんだけど、このアルバム全体が「前に進むこと」「成長すること」についての作品になっていったんだよ。
――アルバムタイトル『You Got the Right Idea』には、どんな意味があるのでしょう? そして、なぜジャケットにカエルを使ったのですか?
タイトル曲「You Got The Right Idea」は、実はレコーディングの最後の夜に生まれた曲だった。全体の録音はほとんど終わっていたんだけど、「新しい曲がもう1つあるんだ。今夜、試しに録ってみてもいい?」とメンバーに提案してみた。
その時点では歌詞もまだ全部書き終わっていなくて――MVで僕がノートを見ながら歌っているのは、そのせいなんだ(笑)。
でも、この曲には特別な意味がある。歌詞のメッセージは、「自分自身への励まし」なんだ。
鏡を見ながら「大丈夫、お前は正しい方向に進んでる。その考えは正しいよ(You got the right idea)。続けていいんだ」と声をかけるような――そんな歌だ。
この曲ができた瞬間、「ああ、これはアルバム全体のテーマそのものだ」と思った。
音楽を作るというのは、時にすごく怖いことだ。自分をさらけ出して、「見てくれ、これが僕の作品だ」と言う……ある意味ではとてもエゴイスティックな行為でもある。
だから「You Got The Right Idea」は、自分に向けたペップ・トーク(励ましの言葉)なんだ。「自分を奮い立たせるおまじない」みたいなものかな。
そしてジャケットのカエルについて。これは僕がこのアルバムの曲を書いた前の家が、ロサンゼルスのフロッグタウンっていう場所だったからだ。
僕の家のピアノの前で、すべての曲が生まれた。だからジャケットには、「ありがとう、フロッグタウン」という気持ちを込めてカエルを描きたかったんだ。
フロッグタウンは、ドジャースタジアムのすぐ近く――高速道路を挟んで反対側のエリアだ。もっとも、フロッグタウンはニックネームで、正式名称はエリシアン・ヴァレーとか、エリシアン・パークなんだけど。僕にとって、あの小さな街は特別な思い出の場所なんだよ。
それともう一つ付け加えると、このアルバムをTheoと作ったのは、Vulfpeckとの関係にも繋がっていると思っている。『You Got The Right Idea』の曲たちは、Vulfpeckの音楽とはまったく違う。でも、その違いこそが、バンド全体の豊かさを作っている。
Vulfpeckの素晴らしさは、メンバー全員がそれぞれにソロ作品を持って、それぞれのビジョンを追いかけていることなんだ。JoeyのアルバムはJoeyそのものだし、Theoの作品はTheoらしさにあふれている。そしてCory(コリー・ウォン)は、まさにCoryのサウンド。そして、僕も僕のやり方で、自分のサウンドを持っている。
そしてみんなが集まって、ひとつのテーブルにそれらを並べると、そこにVulfpeckというサウンドが生まれる――それが本当に美しいことなんだ。
だから僕がソロアルバムを作るときにTheoのスタジオを選んだのも、彼とはソングライターとして、音楽を似たようなレンズを通して見るようなところがあると思っていたからなんだ。彼と一緒に作ることで、自分の音楽に誠実に向き合って、自分らしいサウンドを追求できると思ったんだ。
――あなたのニューアルバムのメロディや歌詞には、とてもノスタルジックな、懐かしい雰囲気を感じました。私はピアノ・ロックやビートルズはあまり詳しくないのですが、それでもどこか、懐かしいような感覚があったんです。実際には、今回のアルバムではどのようなことを表現しようと思っていたのでしょうか?
すごくうれしい言葉だよ、ありがとう。
僕は曲を作るとき、何かに似せようと思って作ることはまったくない。でも創作する人間というのは、結局のところ、自分の中に深く刻まれているものからしか引き出せないんだ。このアルバムでは、すごく生々しい――孤独で、正直な気持ちをそのままに書いていた。
僕は一人暮らしで、しかも当時は長年付き合った恋人との別れを経験したばかりだった。それからの1年半〜2年ほどは、ただ静かに、自分にとって何が大切なのかを見つめ直す時間だったんだ。
曲を書くことで、自分をもう一度見つめ直したい。人生を振り返って、自分の経験から成長したい――そういう願いが根底にあった。
そういった気持ちがあったから、メロディが懐かしく感じるのかもね。過去を懐かしむのではなく、「人生を振り返りながら前へ進む」感覚。僕にとって懐かしさは、とても温かくて心地よいものだ。「この景色を前にも見たことがあるような」「ここに帰ってきたような」……そんな感覚だ。
そういう「温もりのある懐かしさ」を感じてもらえたのなら、本当に嬉しいよ。このアルバムで表現したかったことは、まさにそういったものだから。アルバムを作っていた時期は、愛犬と過ごす穏やかな時間が多くて、とても良い時期だった。孤独ではあったけれど、心の底から満たされていたんだ。
――ありがとうございます。では最後に、日本のファンに向けてメッセージをお願いします。
まず、日本で僕の音楽――Vulfpeckでの曲でも、僕のソロでも――に関心を持ってくれているみんなに、心から感謝しています。
どんなきっかけで僕の音楽を知ってくれたとしても、本当にありがとう。
僕にとって日本はずっと、遠い夢の国のような存在だった。実際に訪れるまでは、まるでファンタジーのように感じていた。でも、フジロックで実際に日本へ行って、みんなに会えて、その印象が一変した。
日本の人たちは、とてもリアルなんだ。君たち二人もそうだけど、本気で音楽を愛してくれている。アーティストの心に本当に寄り添ってくれる。その誠実さに、とても感謝しているよ。
そして改めて思ったんだ――どんなに距離が離れていても、音楽を通じれば心はつながる、って。同じ言語を話していなくても、僕たちには音楽という共通の言葉がある。それは、とても美しいことだと思う。
日本の皆さんに出会えたことに、心から感謝しています。本当にありがとう。
――ありがとうございます。最後にもう少しだけ、フジロックのことを聞かせてください。あのステージを体験されて、いかがでしたか?
フジロックは、本当に忘れられない経験だったよ。Vulfpeckでこれまで演奏した中でも、いちばん特別なステージだったと思う。
あんなに大勢の観客の前に立っていたのに、不思議と怖くなかった。よく「そんなにたくさんの人の前で緊張しないの?」って聞かれるんだけど、親友である彼らと同じステージに立っていると、恐怖なんて感じないんだよ。
むしろ観客のみんなが僕たちと一緒に歌ってくれて、そこにすごく強いポジティブなエネルギーが生まれていた。
だから、あれは演奏というより「エネルギーの交換」だったね。会場中がひとつになって、音楽が呼吸しているような瞬間。間違いなく、人生で最高のライブのひとつだったよ。だって、あんなに遠くからやってきたのに、みんな歌詞を知ってるんだから! 信じられないよ。本当に素晴らしい想い出になった。

――ありがとうございます。最後に、SNSで話題になった「日本での野球観戦」についてもお聞きしていいですか?(笑)
ああ、あれだね(笑)。ネットニュースで取り上げられたのを見て、うれしいような、ちょっと緊張するような気持ちだったよ。「これからは変なこと投稿できないぞ」って(笑)。
でも、本当に日本で過ごした時間は忘れられない。忘れられないって何度も言ってるけど――またいつ来れるかは分からないから、とにかく起こったことを全部心に刻み込もうとしたんだ。
東京も、その後で行った京都も大好きになったよ。美しくて、人があたたかくて――思い出すだけで胸がいっぱいになるんだ。
そして、野球! 日本の野球は最高だった。ドジャースが山本由伸の登板でワールドシリーズに勝ったときも、なんだか勝手に、日本とつながっている気分だったよ(笑)。
僕は日本人ではないけれど、日本に行ってみんなと会えたから、不思議と心のつながりを感じているんだ。
滞在中はほとんど毎日、居酒屋に通ったよ(笑)。ヴィーガン向けの居酒屋メニューがあって、それを1日3回食べてたぐらい!
本当に最高の時間だった! 必ず、また日本に戻ってくる。必ず。
通訳:ヨウヘイさん
インタビュー&著:Dr.ファンクシッテルー

宇宙からやってきたファンク博士。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。「KINZTO」と並行して、音楽ライターとしても活動しています。
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