2年がかりで社長を動かした話 ー研究職5年目が、新技術アレルギーの会社に生成AIを通すまでー【創作大賞 ビジネス部門】
この記事は、こんな方に向けて書いています。
「AIに研究職の仕事が奪われる」と、漠然とした不安を抱えている学生や社会人
自社で生成AIが全然普及していなくて「うちの会社、大丈夫…?」と思っている方
職場でシャドーAI状態(=会社の許可なく個人アカウントで使っている状態)が横行していて、内心ヒヤヒヤしている方
2024年の夏。私は展示会で、ある製品を見つけました。
「電子実験ノート」——研究開発のデータをデジタルで一元管理できるツールです。
(これ、うちの会社に絶対必要やつだ。)
そのとき私が感じた危機感が、2年後に社長の前でプレゼンするまでの長い旅の、始まりでした。
きっかけは、たった1つの展示会の出会い
私が所属する研究開発部門のデータ管理は、正直なところ壊滅的でした。
実験データは紙とアナログが混在。デジタル化されていても、半角全角の表記ゆれで検索すれば欲しい情報が出てこない。詳細なデータは個人管理で、時間があった人が最低限の内容をまとめて、やっと共有される——そんな状態でした。
(非効率極まりないのはわかってる。でも、誰も変えようとしていない。)
電子実験ノートを師匠に話したのは、そんなモヤモヤを抱えていたころでした。
「それ面白いね。DXって言葉だけ走って、現場が全然ついてきてない会社って多いよね。」
師匠の言葉に、何かが動いた気がしました。
そこから私と師匠は、生成AIを含むDXツール全般の情報収集を一緒に始めることになりました。展示会に足を運んでは情報交換し、隙間時間を見つけては調べ、業務の合間に少しずつ構想を練っていく。本業ではない。もはや趣味の延長線みたいな活動でした。
でも師匠は、ある言葉を私にかけてくれました。
「〇〇ナイズされてはいけない。」
(〇〇には会社名が入ります。会社に染まってしまうと、かえって自分を苦しめてしまう。)
その言葉が、「会社のためにやらなくては」という焦りを「自分が勉強するついでに、会社に還元できればいいや」という軽い気持ちに変えてくれました。楽しくないと続かない。このマインドがが2年間走り続ける原動力になりました。

師匠から教わった、社会人に重要な価値観の深掘りはこちらから👇
「新技術アレルギー」の社長を前に、3回プレゼンした
うちの社長は、新技術に対して腰が極端に重い人です。「新しいことへの投資」に慎重すぎるくらい慎重なタイプ。
「そんな便利なものがあるんやな。」
最初のプレゼンのあと、社長はそう言って終わりました。
(…話、半分も聞いてもらえてないな、これ。)
研究開発部門では3ヶ月に1回、社長の前で進捗報告の機会があります。私と師匠は2024年8月から、そのたびにDXの概要やツール、導入によって業務がどう変わるかを盛り込んでいきました。下記のようなデータも揃えました。
2025年春時点で、5割以上の国内企業が社内業務で生成AIを活用
AIを業務プロセスに組み込んだ企業の7割が「効果は期待を上回る」と実感(PwCコンサルティング調査)
でも社長は、なかなか前のめりにはなってくれませんでした。
変化が出てきたのは3回目のプレゼンのあたりから。世間の導入事例が徐々に増えてきて、「うちもそろそろ考え始めないといけないのでは」という空気が、ほんの少し漂い始めました。
同時進行で、師匠が動いてくれていました。師匠は多部門に顔が広く、情報部隊の室長と定期的に情報交換していました。「社長と、情報部隊の室長。この2名の考えを変えることが、全社的なDX推進のカギだ」——そう判断していたのです。
私はプレゼンを磨き続ける。師匠が水面下で根回しを進める。
地味だけど、これが正攻法でした。
シャドーAI状態の現場で、危機感が爆発した
プレゼンを重ねる一方で、現場では別の問題が起きていました。
私の部署で、数人が個人向けの生成AIを試し始めていたのです。
AIを日常で使ったことがない人たちが、ブラウザを開いて個人アカウントでChatGPTを触っている。情報漏洩になるようなデータを入力している様子はなかったけれど、個人向けAIのセキュリティや設定について、知識があるとは言えない状態でした。
(これは、まずい。)
個人向けのAIプランは、入力した内容が学習データとして利用されるリスクがあります。法人向けプランとの決定的な違いはここです。「一切学習に利用されない」という保証が、個人プランにはない。社外秘のデータを貼り付けたらどうなるか——想像するだけで背筋が冷える話です。
しかもブラウザにアクセスするだけで、ログインしなくても使えてしまう環境がある。リテラシーを一人一人に身につけさせる前に、そもそも「勝手に情報漏洩できない仕組み」を作らないといけない。それには法人向けの正式導入しかない。

シャドーAI(会社の許可なく社員が個人で生成AIを使うこと)は、実はMIT(マサチューセッツ工科大学)の調査でも「企業全体の課題」として取り上げられています。
MITが明かした「95%の失敗」と、それでも前に進んだ理由
2025年7月、MITのProject NANDAが衝撃的なレポートを発表しました。
「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」
300件以上のAI導入事例を分析した、このレポートのメッセージは明確でした。

95%の企業がAI投資でP/L(収益)への貢献を出せていない
300件以上のAI導入事例の分析、52の組織インタビュー、153名のリーダーへの調査から明らかになったのは「AIパイロットの95%が測定可能な収益インパクトを出せていない」という事実でした。問題はAIモデルの品質でも規制でもなく、「業務への組み込み方」と「組織の学習能力」にある、というのがMITの結論です。
(95%って……。アメリカでさえ、ほとんどの会社がうまくいっていないんだ。)
導入すれば万事OKではない。ツールを業務プロセスにしっかり組み込み、現場の人間が自ら使い方を学んで改善していく仕組みがないと、どんなに良いツールでも宝の持ち腐れになる——MITはそう言っていました。
逆に言えば、5%の成功企業には共通点があった。「現場を巻き込んだ導入」と「継続的な改善の仕組み」を持っている会社でした。
このレポートを読んだとき、私は「ちゃんとやらないと意味がない」と改めて確信しました。社長に許可をもらうことがゴールではない。現場が自走できる仕組みをセットで作ることが、本当の目標だったのです。
2年越しの「勝負のプレゼン」
2026年3月。私は一人で、社長の前に立ちました。
すでにAIツールのPoC(概念実証、お試しで導入検討すること)の準備が整っていました。情報部隊の室長が事前に社長へ十分な説明をしてくれていた。師匠の水面下の根回しが、ここで完全に実を結んでいたのです。
プレゼンの前に、私は全社員向けの資料を事前配布していました。「製造業のための生成AI完全ガイド」——基本概念から法人向けと個人向けの違い、シャドーAIのリスク、費用対効果までをまとめた資料です。「知らない」という逃げ道を、先に潰しておく作戦でした。
プレゼン当日、社長は珍しく最初から前のめりで聞いてくれました。
(今日は、今までと違う。)
それまでの3回とは明らかに空気が違いました。「費用対効果は?」「どんなツール使ったの?」——質問が飛んでくる。変革を進めたいなら、中心人物を味方につけて、こまめな根回しが重要だと、このとき身をもって実感しました。
提案した導入案は、この「2段構え」でした。
①全社向けの汎用的な安価なAIツール + ②各部署に最適化したツール
①のツールは複数の生成AIを自動で使い分けでき、録音データから議事録を自動作成できるなど、ITに不慣れな社員でも使いやすい。ただ従量課金制なので課金なしのプランでは複雑な作業に向かないのです。
足りない部分を②のツールで補い、この2つを組み合わせることで、「コスト爆発の防波堤」と「高度な業務効率化」を同時に達成できる、という設計でした。
PoC開始 —「良い意味で予想外」だったこと—
ついに社長のゴーサインが出た。PoCがスタートしました。
メンバーは研究開発部と本社のデスクワーク中心の部隊から、管理職約20名。そこに師匠が「自発的にAIを勉強していた若手の一人」として推薦してくれて、私も参加できることになりました。
検証期間は約1ヶ月。文書作成・議事録・データ分析・画像認識などを各自が試し、「できたこと、できなかったこと」をフィードバックしていく形式でした。
そして——良い意味で、予想外のことが起きました。
PoCメンバーの活動が、部門を超えて活発になったのです。
良いプロンプト(AIへの指示文)ができると共有基盤に投稿できる。「この資料どうやって作ったの?」と声をかけてくれる人が増えた。各自が自分の業務でどう使えるか、自然と試行錯誤を始めていた。
(あ、これ。自走してる。)
MITのレポートが言っていた「現場の学習能力が鍵」というのは、こういうことだと思いました。最初から意欲的な人材をPoCメンバーとして巻き込んだことで、「上から言われてやる導入」ではなく「自分たちで良くしていく導入」の流れが、自然にできていたのです。
AIを根付かせる唯一の方法
PoCが終わったあとも、情報部隊の方がメンバーにフィードバックをヒアリングし続けてくれました。どの業務に使えたか、今のツールで足りないものは何か——その声を元に、各部署で必要な追加ツールを検討する流れになっています。
まさにボトムアップ型の導入でした。
これが新聞で読んだ、ある大手企業の事例と重なりました。
古河電工は、各部署から意欲的なメンバー約100名を「AIプロモーター(推進者)」として選抜・育成し、4,000名規模の組織全体にAI活用を浸透させる取り組みを進めています。全社向けの標準ツール(Microsoft Copilot)で下地を作りながら、現場の課題に合わせてJAPAN AIを追加導入し、ツールを用途ごとに使い分けられる環境を整えています。
「何を標準にするか」だけでなく、「その先の成功体験をどう作るか」——古河電工の担当者のこの言葉は、中堅メーカーにも完全に当てはまると思いました。
現場を置き去りにしたAI導入が失敗する理由は、MITのデータが証明しています。逆に現場主導で、自分たちの課題を自分たちで持ち寄ってAIを使いこなしていく姿勢こそが、ツール導入を「成果」に変える唯一の方法だと私は実感しています。
AIの民主化とノーコードツールがどう現場を変えるか、という観点では、PIVOTの番組「現場を置き去りにしないAI導入(ELYZA)」も非常に参考になりました。一言でAIアプリを作る、という話は「現場の人間が自分でツールを作れる時代」を象徴していると思います。
ツールは1つに絞らなくていい —最適解は「組み合わせ」—
ここで一度、ツール選定の考え方を整理しておきます。
内製LLM(社内独自開発)・国産LLM・ClaudeやChatGPTなどの海外LLM——導入手段は様々あります。それぞれに強みが違うので、1つに絞ることにこだわる必要はありません。改善したい業務に合ったツールを複数組み合わせるのが、今の時点での最適解だと私は考えています。
特に参考にしたいのが「複数の生成AIモデルを使い分けられるサービス」という選択肢です。
「Copilotだけ」「ChatGPTだけ」のように1つのモデルに縛られるのではなく、複数のAIの良いところを取れるサービスを使う、という手があります。
代表的なサービスを挙げると:
AI One:複数のAIに同じ質問を一斉に投げて回答を比較できる「比較モード」が特徴。「どのAIの答えが一番自分の業務に合っているか」を確かめながら使える
ナレフルチャット:質問内容に応じて最適なAIを自動選択してくれる国産サービス。セキュリティが担保されており企業利用に向いている
Sider / Livy:ブラウザ拡張で使えるタイプ。日常業務の中でさっとAIを呼び出したい場面に便利
Poe:Quora社が提供する複数モデル横断型のプラットフォーム。個人で複数のAIを試したいときに手軽
どれが「正解」ではなく、自分の業務で試してみて「これが一番使いやすかった」を探していく姿勢が大事です。
「AIに奪われる」のではなく、「AIを使いこなす人が勝つ」
2024年夏に電子実験ノートを見つけた展示会の日を思い出します。
あのときは「データ管理をどうにかしたい」という小さな問題意識から始まった旅でした。気づいたら2年かけて、社長のゴーサインを取り付け、全社的なAI導入のPoCメンバーとして現場のど真ん中にいた。
「AIに研究職の仕事が奪われる」——冒頭に書いた、あの問いへの答えを、今なら言えます。
奪われるのは、AIにではなく、AIを使いこなす人に、でした。
MITのレポートが証明したように、AIを導入するだけでは何も変わらない。現場の人間が自ら使い、学び、改善していく仕組みを作ること——それができる人が、これからの会社の中で圧倒的に必要とされるのだと思っています。
DX部署でも情シスでもない。一般社員でも、できることがある。
最後に
これから自社でAI導入を進めたいと思っている方へ。情報部隊の方から教えていただいた、現場感覚のある導入の手順を残しておきます。
① まず全社が使える安価なAIツールを1本入れる
(誰でも触れる入口を作る)
② 各部署から意欲的なメンバーをPoC担当として選ぶ
(押しつけではなく、手を挙げた人から)
③ 「できたこと、足りなかったこと」を現場がフィードバック
(現場の課題発見が鍵)
④ 足りない部分を、各部署に最適なツールで補完する
(ここで複数ツール組み合わせが活きる)
トップダウンではなく、現場から変える。それが95%の失敗を回避する、一番の近道だと私は思っています。
📌 この記事の続編を公開しました。
3年間・展示会で見続けて、PoC推進メンバーが最終的に選んだ1本とは。
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📣 次回予告
次回は「研究職が知財を武器にできる、本当の話 ー弁理士資格より先に求められるものを、知財ベテラン20人に聞いてきたー」をお届けします。
AIを使いこなす研究職、というポジションが見えてきたとき、私の頭にはもう一つの問いが浮かんでいました。「AIを使いこなした先に、どんなキャリアがあるのか。」
そのヒントを求めて私が飛び込んだのは、知財部のベテランが集まる交流会でした。20人のプロに直接聞いた「特許の世界で生き残る人の共通点」と、理系出身者が知財職に向いている理由を、一次情報としてお届けします。
AIと研究職の次の一手を考えている方は、ぜひ読んでみてください。
▶ 5月21日(木)12:00 公開予定
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