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思い通りに描けないことにも価値がある

思い通りに描けないことにも価値がある


以前、私は道具にはこだわった方が良いという話を書いた。


長年愛用している東美の筆もその一つである。


良い筆は扱いやすい。


線も安定する。


思い描いた表現にも近づける。


しかし、芸術というのは面白い。


実はその逆も成立するからだ。


昔、ある先生の作品を見て驚いたことがある。


その先生はコシのない筆を使っていた。


普通なら描きにくい。


狙った線も出しにくい。


絵具も思うように乗らない。


私なら真っ先に買い替えたくなる。


ところがその先生は、その不自由さを楽しんでいた。


思い通りにいかない。


だから面白い。


予想しない線が出る。


偶然の形が生まれる。


そこから作品が発展していく。


その発想に感心した。


私はどちらかというと構図を考え、計算して描くタイプである。


だからこそ余計に衝撃だった。


芸術とは技術を磨いて完全に制御することだと思っていたからだ。


だが西洋画の世界に入ると、その常識が崩される。


指で描く人がいる。


草で描く人がいる。


ぬいぐるみで描く人までいる。


何を使うかではない。


何を生み出すかである。


考えてみれば自然もそうだ。


人生もそうだ。


思い通りにならないことばかりである。


失敗する。


遠回りする。


落選する。


計画通りにいかない。


だが後から振り返ると、その偶然が人生を面白くしていることがある。


私は公募展で何度も落選した。


当時は悔しかった。


しかしその経験がなければ今の考え方には至らなかった。


似顔絵屋台で失敗した時もそうだ。


東京へ挑戦した友人の姿もそうだ。


人生は必然だけでできていない。


偶然や失敗が混ざることで深みが生まれる。


絵も同じではないだろうか。


以前から私は普遍性について語ってきた。


普遍性というと完成されたものを想像する人が多い。


だが私は少し違う気がしている。


人が感動するのは完璧だからではない。


どこか予想を裏切るからだ。


どこか生き物のようだからだ。


だから思い通りに描ける技術は大切である。


しかし、それだけでは足りない。


思い通りにならない偶然を受け入れる器もまた芸術家には必要なのだろう。


上手く描こうとする。


その途中で予想外が起きる。


そして予定になかった魅力が生まれる。


私はそこに芸術の不思議があると思っている。


【絵画透の言葉】


技術は線を支配する。


芸術は偶然を受け入れた時に現れる。


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絵の上達には技術も必要だが、それだけでは作品にならない。


観察力。


構成力。


そして偶然を活かす感性も必要になる。


そうした土台となる描写力については、


「デッサン力の壁を破壊する逆算型スピードマスター術」


で詳しく解説している。


また、公募展で評価される作品づくりについては、


「有名公募展で特選を取る方法―落選続きだった私が3年連続特選を取った戦略」


にまとめている。


技術と表現、その両方を磨きたい方の参考になれば幸いである。

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