「ちゃんと生きているのに」#117 値札を読む私を、誰も労わなかった。
スーパーで立ち止まる時間が、長くなっていた
夕方のスーパーで、卵の前に立つ。
298円。先週は278円だった気がする。いや、先々週だったかもしれない。隣のパックは328円で、そっちは10個入り。こっちは6個。1個あたりで計算して、でも6個で足りるかを献立と照らし合わせて——気がつくと、卵の前で2分くらい経っている。
以前は迷わなかった。カゴに入れて、次の棚へ行って、それだけだった。
いつからだろう、買い物がこんなに頭を使うようになったのは。値札を見るたびに暗算が走る。今月あと何回スーパーに来るか、冷蔵庫に何が残っているか、週末の予定は外食が入るか。ぜんぶ頭の中で組み合わせて、いちばん「正解」に近いものをカゴに入れる。
それを毎日やっている。
誰にも頼まれていないのに、誰にも報告しないまま、ずっとこの計算を続けてきた。「ちゃんとやりくりしている」という自覚はある。でもその"ちゃんと"が、最近すこし重い。
レジを通って袋に詰めて、駐車場で車のエンジンをかけたとき、ふっと力が抜ける。疲れたな、と思う。でもこの疲れを、なんて名前で呼べばいいのかわからなかった。
誰にも見えない、毎日の判断のこと
献立を決めるとき、最初に考えるのは「何が食べたいか」じゃなくなっていた。
冷蔵庫に半端に残ったキャベツ、使いかけの豚こま、賞味期限が明日のお豆腐。それを組み合わせて、なるべく買い足さずに一食をつくる。足りなければもやしを足す。もやしはまだ安い。——まだ、という言い方をしている自分にちょっと笑う。
ポイントカードは4枚持っている。曜日ごとにどこが何倍かを覚えていて、ドラッグストアの方が安い調味料はそっちで買う。サブスクは半年に一回見直す。電気代は去年の同月と比べる。エアコンの設定温度を1度上げるかどうかで、15分くらい悩んだこともある。
こういうことを全部、私は一人で決めている。
夫に報告するほどのことでもない。友達に話すような話題でもない。「工夫してるね」と言われることもなければ、「大変だね」と言われることもない。だって、みんなやってることだから。たぶん。
でもときどき思うんですよね。この判断の数を、一日分ぜんぶ紙に書き出したら、けっこうな量になるんじゃないかって。誰にも見えない仕事を、私はずっと黙ってこなしてきた。
「我慢じゃない、工夫だから」と言い聞かせていた
節約って、最初は楽しかったんですよね。
作り置きのレシピを調べて、ふるさと納税を比較して、ポイ活でちょっと得した気分になる。「我慢」じゃなくて「工夫」だと思えていた頃は、なんなら自分を褒めてあげたいくらいだった。賢くやってる、って。
でも、それが何年も続くと話が変わってくる。
毎年のように値上げのニュースが流れて、もう驚かなくなった。驚かなくなったこと自体が、なんか怖い。工夫で吸収できる幅は、とっくに超えている気がする。
冷房を我慢すれば体がつらい。つけっぱなしにすれば請求書が怖い。食材を安いものに変えれば栄養が気になる。外食を減らせば息抜きの場所がなくなる。どこかを締めれば、別のどこかが軋む。
ある夜、家計簿アプリを閉じたあと、なんとなく天井を見ていた。「もう絞れるところがない」と気づいたのは、そのときだった。工夫の余地が消えたとき、残ったのは「我慢」という言葉だけで——私はそれを認めたくなかったのだと思う。
疲れたのは、家計じゃなくて私だった
赤字じゃない。貯金もゼロじゃない。破綻なんてしていない。
数字だけ見れば、うちの家計はちゃんと回っている。回っているから、誰も心配しない。私自身も「大丈夫」と思ってきた。だって数字は嘘をつかないから。
でも、大丈夫じゃなかったのは数字じゃなくて、毎日「これでいいのか」と自分に問い続けていた、私のほうだった。
豚こまが10円上がっただけで献立を組み替える。特売日を逃しただけで小さく落ち込む。子どもに「アイス買って」と言われて、一瞬だけ値段が頭をよぎってから「いいよ」と笑う。その一瞬のことを、たぶん誰も知らない。
節約は正しいことだと思う。未来のためにお金を残すのは、間違いなく意味がある。でもその「正しさ」に毎日従い続けることが、こんなに消耗するなんて思っていなかった。
正しいことに疲れるって、おかしいのかな。
たぶん、おかしくない。おかしくないと思いたい。だって私はずっと、ちゃんとやってきたのだから。通帳の数字よりも先に、私のほうが擦り減っていたことに気づいてあげられるのは、きっと私しかいない。
数字を閉じた夜に
昨日の夜、めずらしくコンビニに寄った。
スーパーより高いのはわかっている。わかっていて、ちょっといいプリンを買った。380円。スーパーなら似たようなものが198円で買える。その差額を計算しかけて、やめた。
今日は、いい。今日だけは、いい。
食べたら、おいしかった。それだけのことなのに、なんか泣きそうになった。
私が何年もやってきたことを、「すごいね」とか「ありがとう」とか言ってくれる人はいないかもしれない。でもそれは、やってきたことに価値がないという意味じゃない。見えない仕事を見えないまま続けてきた、その重さは、私だけが知っている。
家計簿を閉じる夜があっていい。正しさを休む日があっていい。
——なんて書きながらも、「でも明日はちゃんとやらなきゃ」と思っている自分がいる。たぶん、そういう人なんだと思う、私は。だからこそ、たまには数字じゃなくて、自分の「疲れたな」を先に読んであげたい。
答えは出ない。出ないまま、明日もスーパーに行く。でも今日だけは、計算しなかった自分を、ちょっとだけ褒めてもいいんじゃないかと思っている。
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