脳の3D迷宮を完全制覇するゴッドハンド、冷蔵庫の「マヨネーズ」がどうしても見つけられない(17日目)
脳血管内治療。それは、患者の足の付け根から挿入した極細のカテーテルを、心臓を越え、首を通り、脳の最深部まで到達させる究極のナビゲーション技術だ。
私の主戦場はここにある。 特に、脳動脈瘤を治療するための「フローダイバーター(FD)留置術」においては、複雑怪奇にうねる3Dの血管網を、2次元のレントゲン透視画像だけを頼りにミリ単位の精度で進んでいく。脳内の分岐、カーブ、血管の太さ。すべてが私の頭の中では完璧な3Dホログラムとして構築されている。
迷うことは一切ない。目的の動脈瘤へ、最短最速で到達する「空間認識の鬼」。それがオペ室での私だ。
そんな「ミクロの天才ナビゲーター」である私が、昨日の夕食時、自宅のキッチンで完全に遭難した。
「ごめん、冷蔵庫の2段目からマヨネーズ取って!」 キッチンで料理中の妻から指令が飛ぶ。
造作もないミッションだ。私は空間認識の鬼なのだから。 私は自信満々に立ち上がり、巨大な白いゲート(冷蔵庫の扉)を開け放った。冷気とともに現れたのは、ドレッシング、ケチャップ、ジャム、ポン酢がひしめき合うマクロのジャングル。
私は眼球を素早く動かし、2段目の棚をスキャンした。 ……ない。 もう一度、右から左へ。ケチャップ、焼肉のタレ、柚子胡椒。 ……ないぞ。
「ねえ、ないよ! マヨネーズ、切らしてるんじゃない!?」 私がキッチンに向かって叫ぶと、妻がため息をつきながら近づいてきた。
「またぁ? ちゃんと見てよ、2段目の右側って言ったじゃん」 妻が私の横からスッと腕を伸ばす。 そして、私が5周くらい視線でスキャンしたはずの「まさにその場所」から、真っ赤なキャップのキューピーマヨネーズを、0.5秒で魔法のように取り出したのだ。
「えっ……? 嘘でしょ、さっきまで絶対そこになかったよ!?」 「いや、ずっとここにあったよ。目が節穴なの?」
妻の冷ややかな視線が突き刺さる。 信じられない。私は数時間前、直径1ミリに満たない脳の微細な血管の分岐を、一瞬の瞬きも見逃さずに突破してきた男だ。それがなぜ、目の前にある500グラムの巨大なマヨネーズのボトルを認識できないのか。脳内で何が起きているというのか。
【🏥 医療的考察:マクロ空間における非注意性盲目】
なぜ私がマヨネーズを見失ったのか、脳科学的に全力で弁明させてください。
オペ室で私が発揮しているのは、レントゲンという「白黒の限られた情報」の中から、特定の血管形状だけを抽出する高度な「焦点化された空間認識」です。
一方、冷蔵庫の中は、赤、黄、緑といった強烈な色彩と、様々な文字情報(ノイズ)が溢れかえるカオス空間です。私の大脳皮質視覚野は、「キューピーの赤い網目模様」という完璧なテンプレートを探そうと過集中を起こします。その結果、たまたま裏返って置いてあったり、他のビンに半分隠れていたりする「ノイズ混じりのマヨネーズ」を、視界にバッチリ入っているにもかかわらず、脳が『背景』として処理して棄却してしまうのです。
これを心理学や認知科学で「非注意性盲目(インアテンショナル・ブラインドネス)」と呼びます。決して私がポンコツなわけではなく、私の視覚野がノイズキャンセリング機能を発揮しすぎた結果、マヨネーズという存在そのものを世界から一時的に消去してしまっただけなのです。信じてください。
脳の血管の行き止まりは絶対に回避できるのに、妻の「目が節穴なの?」という言葉の行き止まりからは、どうやっても逃れられそうにない。
次からは、冷蔵庫を開ける前に「マヨネーズ、マヨネーズ……」とブツブツ呪文を唱え、大脳皮質に強烈なインプットを入れてから探索に臨もうと思う。
