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1か月ぶりにAT車に乗って思った事

 実は先日、35年前の国産車を購入しました。

 私の知人の"中古車ブローカーのような人"にまんまと営業をかけられて、購入に至ったピックアップトラックです。その時の話は以前書いたnoteにあります。

 パートナーと一つ屋根の下に共同生活をして早3年、子どもも居ないのに所有しているクルマは3台…。オートバイも合わせれば4台の乗り物のオーナーに私はなってしまいました。完全に道楽者です。

 パートナーも車好きという訳では無いのですが"令和の時代にマニュアル車に乗る人間"という部分にアイデンティティを確立しているようで、MT車に乗っています。そして今回私が購入したダットサントラックも5速マニュアル車です。

 しかし、アパートの駐車場は2台しか契約していないので、1台を何とかしなくてはなりません。しかし、折角購入したダットサントラックをいきなり放置出来るほど、車好きとして私は鈍ってはいません。結局私は、7年間連れ添った愛車のN-ONEを実家に預ける事にし、1ヶ月と少しの間"足車全てをマニュアル車にする"という生活を送る事にしたのです。


 車好きという人種が全員"マニュアル車が好き"と思ったら大間違いです。

 私は車好きが高じて、業界の中の人となりましたが、クラッチとギヤの操作に"運転の楽しさ"なんて見出したことはありません。

 "マニュアル車なんて面倒"この一言に尽きます。

 私にとっての"運転の楽しさ"というのは、好きな音楽を聴きながらアクセルペダルとブレーキ操作だけで好きな場所に行けてしまう、云わば"移動する部屋"という感覚の事です。適時適正なシフト操作を求められるなんて、景色や音楽を楽しめないじゃないかと言うのが、私のドライビング論です。

 思い返せば、私が免許を取得して最初に買ったクルマもスポーツカーの車種でしたが、あえてATモデルを探した位です。知人から"ピュアスポーツカーのマニュアル車なら運転の楽しさも分かる"とレンタルして乗る事になったライトウェイトスポーツカーも車も半日でギブアップして返却した記憶があります。


 マニュアル車での日常生活はため息の漏れる日々でした。

 インプレッサにしろダットサントラックにしろ、ちょっとした買い物でも車で移動すればマニュアル操作が付きまといます。幹線道路であれば、一定速度が多くなるので、シフト・クラッチ操作から解放される時間も長くなりますが、発進と停止の多い市街地や、実家に帰る途中にあるような峠道では適時適正なギヤ選択が求められます。シフト操作の左手とクラッチ操作の左足が忙しくて仕方ありません。バック駐車では、左足で半クラッチの微妙な操作が求められ、普段履いている厚底のスニーカーではエンストを起こし、マニュアル車はなんて面倒なんだと改めて痛感しました。

 N-ONEに乗っていた頃は、夜中にアイスが食べたくなったり、小腹がすいたという、思い付きで車を走らせることがあったのですが、ダットサントラックとインプレッサの体制になってからは、そんな事をしようとすら思わなくなったのです。

 足車を全てマニュアル車にする事によって、それまで車に対して持っていた"気軽さ"という感覚が無くなったのです。不便な面ばかりが目立ちます。


 そうしておおよそ一ヶ月間マニュアル車生活を過ごして、先日ダットサンをメンテナンスに預けたので、久々にN-ONEを実家から回収してアパートへと戻ります。私がこだわって構築したN-ONEのカーオーディオの音質に意識を向けながら運転をします。

 右足の操作だけで発進から停止が出来る気軽さが帰って来ました。エンジン音に耳を向け、メーターの回転数を読み、路面状況に合わせて適したギヤを選択するという忙しない、マニュアル車の一連の動作はもうそこにはありません。

 煩わしさの無い、しかし、この脳みそが蕩けるような"退屈さ"は何でしょうか?右足だけで操作が完結するからでしょうか、それだけでは無いような気がします。

 N-ONEの軽快な走りの中に心のモヤモヤを覚えます。

 確かにダットサントラックとインプレッサの体制の1ヶ月生活は気軽に車に乗れない日々でした。カーオーディオの音質なんて気にしている場合ではありません。
 しかし、1トンを超える鉄の塊に対して、自分の意志と判断で動かすという"運転"という行為そのものに緊張感を持って向き合っていたことは間違いありません。

 気が付くと峠道を超えて、再び気が付くとアパートの近くまで来ていました。オートマ車と言うのは実にストレスなく楽に運転が出来ます。しかし、これは反面として運転という行為に対して"無意識"な時間が多いという事になるのではないでしょうか。


 自動車技術の進歩と言うのは著しいです。

 マニュアルから、オートマ・CVTが主流となり、衝突防止装置の標準化、更には自動運転まで最近のクルマには装着されています。自動車の進化とともに、これらの技術革新が運転を"誰にでも可能なもの"にしてきたのは間違いありません。

 しかし、"運転"という行為に対して、免許制度やこういった技術の進歩に目を向けてみると、こうも考えられるのでは無いでしょうか。

 "誰にでも運転できる"ようにすることと、"誰でも気軽に運転して良い"というのはイコールにはならないと。

 確かに、これらの安全装置の技術の発展により自動車事故の件数は年々低下しております、最近では自動車教習所でも"オートマ限定自動車免許"の取得が主流となっており、パートナーがマニュアル免許の教習中も何度も『オートマ限定に切り替えた方が良いよ』と勧められたそうです。

 これまでは私は、そう言った事を時代の変異として受け止め、特に深く考える事はありませんでした。しかし、今回1ヶ月ぶりにAT車に乗るという、振り返ってみるとなかなか体験できない事を経て、その認識は変わりました。

 "運転"とは何なのか、どういう風に向き合う必要があるのか。今こそ考えるべき時なのかも知れません。

 もしかすると私は、次の愛車にマニュアル車を選ぶかもしれない、そう思った出来事でした。


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