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書類の中のカーライフ

 仕事柄、私は他人のクルマの車検証入れを開く事があります。

 車検証の中には、車検時の記録簿、12ヶ月あるいは6ヶ月点検の時の記録簿、事業用のクルマだと3ヶ月点検記録簿が車検証と一緒に綴られている事が多いです。

 これらには、個人情報が含まれるので、私が処分するのですが、シュレッダーに入れる前にその記録簿を眺めると、そのクルマがどう扱われて来たかを感じる事が出来るのです。

 愛車に大切に乗られている方は、記録簿もしっかりと残っており内容もオイル交換のみならず、予防整備だったと思われるような部品を取り換えていたりと、たかが書類と言えどクルマへの愛情を感じるのです。
 一方で、年式に対して早くに廃車になってしまうようなクルマは記録簿が残っていなかったり、残っていたとしても点検を"しているだけ"といった内容の事の方が多いと私は感じます。

 丁寧にクルマに乗られている方の車検証入れと言うのは、定期点検記録簿のみならず、今まで交換した部品や油脂の内容や種類、整備を実施した日のメモが同梱されていたり、お守りや家族の写真と言った思い出の品も入っているものです。思わずそういう品を元オーナー様へ送り返したくなってしまいます。

 クルマと存在が、単なる移動手段としての工業製品では無く、家族と同列に近い扱いだったと感じる瞬間の一コマです。

 そういうクルマと言うのは、不思議な物でどんなに年式が古くても大きな故障が無かったのに、オーナー様の手元を離れた瞬間に一気にガタが来て、少し動かすのも容易では無い状態になったりします。

 その度に思い出すのが、亡くなった祖父が乗っていた軽トラックです。

 私が幼い頃からずっと家に有った軽トラックで当時から方は古く、外観は錆や凹みがあちこちにあるような状態でした。祖父の日常の足のみならず、農作業では最大積載量を遥かに上回る荷物を積まれ、山菜取りや狩猟の時は山の中の道なき道を踏み分けて奥へ奥へと走らされていました。
 祖父はその軽トラックを気に入っていました。どんなに酷使してもオイル交換は次の走行距離をメモをして、それに準じた時期でしっかりと行い、定期点検も欠かさずに行っていたのです。
 見た目はどんどんボロボロになっても、祖父が乗る軽トラックはキーを捻ればいつでも一発で始動して、また本来のキャパシティを大幅に超えるような扱いをされていたのです。

 見た目はボロボロでも、自動車整備工場の人が首をひねる程に軽トラックは良いコンディションをキープしていました。

 そんな軽トラックは祖父が病に倒れたと同時に調子を悪くしたのです。エンジンはかかり辛くなり、車体の下からは異音やオイルが漏れるようになったのです。結果として、祖父の軽トラックは動く時間が減り、別の新しい軽トラックを増やす事になりました。

 しかし、祖父が入院生活から戻って来ると、彼の帰りを待つように再び『ブルン』とエンジンは息を吹き返し、再び軽トラックは日常の足からハードワークまで使役される日々に戻ったのです。

 祖父の軽トラックのように常に誰か相棒として存在してた、或いは家族のように丁寧に扱われてきたクルマが、彼らの手元を離れた途端にあちこち調子が悪くなるという出来事に出会う度に、クルマにも魂が宿るのでは無いかと思ってしまいます。

 確かに日本には古来から"付喪神"だとか"八百万の神"という言葉があるので、もしかしたらあり得ない話でも無いかも知れません。

 "愛"車の愛を計る材料があるならそれは何でしょうか?

 洗車の回数ですか?走行距離でしょうか?それともカスタムした部分の数はどうですか?

 この業界に長くいると私は思うのです。

"記録簿は愛"だと。


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