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長大なプロンプトとは意味があるのだろうか?

 技術系のブログで、長大で精緻なプロンプトができましたと説明しているものを散見する。
 自分でそれなりに「溺れない」範囲で生成AIを利用してみた感じでいうと、生成AIに様々な分岐条件をかませて、一度のプロンプトで一気に成果物を手に入れるための長いプロンプトを用意するというのは、それによって1日に何十回も実施する作業を自動化するというものでない限り、プロンプト制作の時間に見合ったものにはならないのではなかろうか。
 LLMであろうが、拡散モデルであろうが、そのアルゴリズムの中には「揺らぎ」が含まれている。また、カオス的な挙動を見せる非線形変換が必ず組み込まれているので、AIの反応は、人間の感覚では一意ではない。
 それゆえ、結局、微調整をしなければならなくなるケースが多い。とすれば、一気に成果物を生成するのではなく、タスクを細かく分解して、つど々々多少の補正をしながら仕上げていくという使い方がベターなのではなかろうか。短いタスクのやり取りを高頻度で繰り返すという付き合い方だ。
 日頃のタスクとは、繰り返しが多いようで、毎回条件がちょとずつ違うということが日常だと思われる。本当に全く同じ作業なら、AIというより、通常のプログラミング案件の方が確定的な成果が得られるはず。
 長大で精緻なプロンプトは、結局、システム化した方が見通しが良いのではなかろうか。

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