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過程を想像できる人でいたい

今の葛藤

自分に余裕がないと、昔大変なことがあった人が発信していることも、「どうせ今は元気じゃん」とひがんでしまうことがある。難病で余命わずかだったけど、新薬が効いて今では日常生活が問題なく送れるとか、鬱が治った(寛解)とか、癌を乗り越えたとか、昔自殺未遂したとか、復縁婚したとか。

理想の視点

結果論で語られる成功談が、今まさに暗闇にいる人にとって、時に残酷な「生存者バイアス」に見えてしまう。けれど、そういうときに、その人が過ごしてきた日々を想像できる人でありたい。
その人は結果だけ見ればうまくいっているけれど、先が見えない日々を何日も何日も繰り返して、そしてやっと得た答えを、何年もあとに語っているだけ。闇の中を走ってきたと言っているその人の過去をちゃんと想像できるような人になりたい。どんなことにおいても、その人が悩みに悩んだ決断とそれに伴う結果に対して、「それは正解だった」「いやこうしたほうがよかったんじゃないか」と勝手にこちら側がジャッジする事はしないよう気を付けたい。その人が過ごしてきた。答えのない日々と、その人がした決断を尊重できる人になりたいと思った。

死生観

それと同時に、自分が今真っ暗闇の中で、未来が見えなくて絶望の日々を過ごしているとしても、きっといつか結果みたいなものがついてくるかもしれないと思う事は大事かもしれない。上手くいった人たちも、本当は上手くいくかもわからない先が見えない毎日を過ごしてきたんだって。つまり自分をメタ認知して、もっと広い姿勢で見ること。例えば、みんな死ぬときは死ぬので、そのタイミングが遅かったか早かっただけの話と捉えることとか。目の前のものだけを見て視野が狭くなっている時こそ苦しくなってしまうので、もっと広く、それこそ人間は動物であり、生物であるんだから、みんないずれは死ねし死んだら何もわからないし、結局は死ぬかどうかも、自分ではコントロールできないことであって、それはもう死んだら死んだでその時だな、仕方ないな(笑)で終わらせられる強さを持ちたいとか。
あと明日死ぬわけではない。明日死ぬかもしれないけど、明日病気がいきなり悪化する確率は低くて、きっと今日と同じような明日が来ると言うことを信じたい。未来なんて今日、今の積み重ね。未来で私の肺はきっと悪化するだろうし、本気で数年で死ぬかもしれないし、肺移植も実現してしまうのかもしれないし、その後遺症で苦しんだり、全く別の要因で死ぬかもしれない。今は生きることに希望を感じられていないから、死ぬのはいいけど、生き地獄は嫌。だから、少なくとも明日はあまり体調が変わってないことだけを信じて生きていくしかないかもしれない。

現実

こんなことを書いたけど、結局今日も絶望の日々を過ごしている。結果が出ずに終わる人なんてたくさんいる。先が見えない中で苦しくて苦しくて、そのまま終わった人。上手くいった人、たまたま薬が効いた人が、うまくいったから「きっと大丈夫、どんな状況も続かない」と発信できるのであって、その下にはたくさんのうまくいかない日々を繰り返し、先が見えない絶望の中で限界が来た人はたくさんいるわけで。
自分が希望とともに綴ろうとした文にまで、自分で否定してしまい、なんだかなという気持ち。
今はまだ、希望と絶望の間を行ったり来たりしているけれど、とりあえず、今日と同じような明日が来ることを、薄く信じて寝ることにする。

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