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東京女子プロレス初観戦のあとに起きたこと ――週刊プロレスが読めるようになってきた

3/29に両国国技館で東京女子プロレスを初めて観たあと、私はプロレスの記事を読むようになった。

きっかけは上坂すみれさんだった。
「すみぺが出るらしいし、せっかくだから一度くらい生でプロレスを観てみるか」くらいの軽い気持ちで両国へ行った。

でも、両国から帰ったあとに残っていたのは、すみぺの活躍だけではなかった。

痛そうなのに、ただの暴力には見えない。
勝った選手だけではなく、負けた選手も印象に残る。
おふざけもあるのに、試合になるとちゃんと身体を張っている。

その不思議さを、もう少し知りたくなった。



ためしに週刊プロレスを読んでみる。

両国大会の記事を読んでみた。
ついでに他の大会情報を眺める。
他の団体のあれこれ、選手のあれこれ。

けれど、最初はなかなか難しい。

知らない選手。
知らない団体。
知らないベルト。
知らないユニット。
知らない因縁。

ほとんど、知らない固有名詞の森だった。

それでも、一度現地で観たあとだと、少しだけ違う。
名前が顔と結びつく。
会場名が空気と結びつく。
試合結果が、ただの結果ではなく、次への続きに見えてくる。

プロレスに詳しくなった、とはまだ言えない。
でも、少しだけ読めるようになってきた。

その感覚が、思っていた以上に楽しかった。

タッグマッチは少年マンガだったのかもしれない

初めて生で観るプロレスはどの試合も新鮮だったけれど、特に面白い気づきがあったのが、タッグマッチだった。

プロレスのタッグマッチには、ものすごく分かりやすい熱さがある。

一人が捕まる。
苦しい時間が続く。
コーナーには仲間が手を伸ばしている。
あと少しで届きそうなのに、相手に妨害される。
会場が「ああっ」となる。
ようやくタッチが成立する。
そこから一気に流れが変わる。

これはもう、ほとんど少年マンガの文法ではないかと思った。

孤立、救出、交代、反撃、連携、逆転。
仲間がいるから立ち上がれる。
仲間に繋ぐために耐える。
仲間が受け取って、空気を変える。

ピンチの味方を助けに入る。
ギリギリでカットに入る。
一人ではなく、二人だからできる技がある。
その瞬間に会場が沸く。

もちろん、そんな単純な話だけではないのだと思う。
でも、初心者の自分にも分かる熱さがそこにあった。

タッグマッチは、プロレスの感情の起伏をとても分かりやすく見せてくれる形式なのかもしれない。

プロレスは“態度”を見るものなのかもしれない

もう一つ思ったのは、プロレスは勝敗だけを見るものではないのかもしれない、ということだった。

もちろん勝敗は大事だ。
誰が勝ったか、誰が負けたか。
ベルトが動いたか。
挑戦者が王者に届いたか。
そこには大きな意味がある。

でも、勝った選手だけが印象に残るわけではない。

どう受けたか。
どう立ち上がったか。
どう挑発したか。
どう仲間に繋いだか。
どう負けたか。
負けたあと、どんな顔でリングを降りたか。

そういう“態度”のようなものが、かなり大きいのではないかと思った。

プロレスでは、負けた選手の方が印象に残ることがある。
負けたのに、次も見たいと思うことがある。
負けたから終わり、ではなく、負け方によって次が見える。

勝敗が結果だとしたら、態度は物語なのかもしれない。

これは、自分にとってかなり大きな発見だった。

普通に考えれば、勝った方が強い。
負けた方は弱い。
そこで話は終わりそうなものだ。

でもプロレスでは、必ずしもそうならない。

負けても折れていない。
負けても何かを残している。
負けても、次を見たいと思わせる。

勝者だけでなく、敗者にも視線が残る。
そこに、プロレスの不思議な魅力があるのかもしれない。

東京女子プロレスの懐の深さ

東京女子プロレスを観ていて心地よかったのは、振れ幅の広さだった。

アイドル的な華やかさがある。
入場や衣装やキャラクターの見せ方にも、かなりエンタメの匂いがある。
一方で、かなり自由なおふざけもある。
バトルロイヤルのような賑やかな試合では、何が起きてもおかしくない空気がある。

でも、それだけではない。

いざ試合になると、ちゃんと身体を張っている。
技を受ける。
倒れる。
立ち上がる。
相手に向かっていく。

その全部が、同じリングの上に乗っている。

おふざけと真面目さが、同じ場所にある。アイドル的な華やかさと、身体を張るプロレスの痛みが、同じ空間にある。最初はその振れ幅に戸惑ったけれど、だんだんそれが東京女子プロレスの懐の深さなのかもしれないと思うようになった。

そしてそれは、自分が慣れ親しんだアニメやマンガとも親和性があるのかもしれない。戦隊ヒーローたちとのコラボ、ジャイアントパンダ、ベルトをかけたタイトルマッチ。それらが同居する空気感。

そして、個人的にありがたかったのは、見終わったあとに気持ちが重くなりすぎないことだった。

勝敗はある。
悔しさもある。
負けた側の表情に残るものもある。

でも、敗者を見ていられないほど可哀想な存在にしすぎない。

敗北は描くけれど、敗者を壊しきらない。
負けても、次をまた応援したくなる余白が残っている。

もちろん、敗北の残酷さまで描くプロレスには、そこにしかない強度があるのだと思う。
でも、今の自分には、東京女子プロレスの観終わったあとに爽やかさが残る感じがとても心地よかった。

熱くなれる。
でも、重くなりすぎない。

それは、自分が東京女子プロレスに惹かれ始めている理由の一つなのかもしれないと思う。

点が線になる快感

最初に観たのが、両国国技館のビッグマッチだったことも大きかった。

もし最初に観たのが、もっと小さな会場の通常興行だったら、私はまず東京女子プロレスの中だけを見ていたかもしれない。
それはそれで良かったと思う。

でも、両国の大きな興行には、東京女子プロレスの内側だけでなく、外側への入口もいくつも置かれていた。

アジャコング選手がいれば、女子プロレスの歴史やレジェンドの文脈が見える。
Sareee選手がいれば、現代女子プロレスの強度やトップ戦線への関心が生まれる。
スーパー・ササダンゴ・マシン選手がいれば、DDTやインディー的なプロレスの文法にも目が向く。

そうした名前が、自分の中で小さな支点になっていく。

それまで知らなかった名前が、ただの文字列ではなくなる。記事や大会情報の中でその名前を見かけた時に、「あ、この人はあの文脈につながっているのか」と思える。東京女子プロレスを観に行ったはずなのに、そこから別の団体、別の選手、別の歴史へ少しずつ線が伸びていく。

プロレスというジャンルは、思っていたよりずっと横に広い。

そして、その横の広がりを少しだけ感じられるようになると、週刊プロレスの記事が少し読めるようになる。

この試合は、次の大会につながっている。
この選手は、この団体だけではなく、別の文脈ともつながっている。
この前哨戦には、タイトルマッチのための意味がある。
この負け方には、次を見せるための余白がある。

もちろん、分からないことはまだ多い。
というか、分からないことだらけだ。

それでも、全部分からなくても、いくつかの点がつながるだけで急に面白くなる。

プロレスにハマるとは、試合の外にある文脈まで少しずつ読めるようになることなのかもしれない。

それは、なかなか危ない。

少しだけ地図を持って、次の会場へ

プロレスに詳しくなった、とはまだ言えない。

タッグマッチが少年マンガみたいだ、という見方も、きっと初心者なりの雑な感想なのだと思う。
プロレスは態度を見るものなのかもしれない、という考えも、まだ自分の中で試している途中だ。
東京女子プロレスの懐の深さについても、数回観ただけで分かったような顔をするのは早い。

それでも、前回の両国国技館へ行く前とは明らかに違う。

少しだけ、見方ができた。
少しだけ、記事が読めるようになった。
少しだけ、次の試合の意味を想像できるようになった。

白紙のまま観るプロレスも楽しかった。
でも、少しだけ地図を持って観るプロレスは、たぶんまた別の楽しさがある。

だから私は、もう一度東京女子プロレスを観に行くことにした。

今度は両国国技館ではなく、新宿FACE。
上坂すみれさんが出るわけでもない。
それでも、観に行ってみようと思った。

前回の記事の最後に書いた、
「これは、また観ると思う」
という一文。

その答え合わせをしに行くことになる。

次回につづく。

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