後楽園ホールのリングで上坂すみれさんを再見した話――東側2列目で味わった、少しだけイマーシブな東京女子プロレス観戦
食べるまで分からない味
食べたことのない料理の味は、食べるまで分からない。
写真を見ても、説明を読んでも、誰かの感想を聞いても、最後のところは自分の舌で確かめるしかない。
プロレス観戦も、それに近いのだと思う。
配信で試合を見ることはできる。結果も分かる。技名も、選手のコメントも、会場の盛り上がりも、ある程度は知ることができる。
けれど、後楽園ホールの東側2列目の味は、そこに座るまで分からなかった。
今回、6月7日東京女子プロレスの後楽園ホール大会を観に行った。
目的の一つは、上坂すみれさんをもう一度、東京女子プロレスの現場で見ることだった。
自分が東京女子プロレスを見るきっかけになったすみぺ。そこから何度か大会に足を運び、新宿FACEではリングサイドにも座った。近くで見るプロレスがどれほど情報量の多いものなのか、少し分かったつもりでいた。
そして今回、後楽園ホールの東側2列目に座った。
そこには同じ「近い席」でも、新宿FACEとはまた違う景色があった。
東側2列目の景色
近い席なら、よく見えるのだと思っていた。
何と言っても近いからだ。
もちろん、よく見える。リングはとても近い。選手の表情が見える。ロープの音も、マットの音も、身体がぶつかる音も届く。東側のロープ際やコーナー付近に選手が来ると、映像を見ているのではなく、目の前で身体が動いているのだと分かる。

3月には二階席から双眼鏡で見ていたリング。
今日は目と鼻の先にどっしりと鎮座している。
ただし、全部が見えるわけではなかった。
近いからこそ、リング全体を一枚の画面として見渡すことは難しい。反対側のロープ際や南側の場外は見えにくい。前列の人、ロープ、選手同士の重なりで、一瞬見失うこともある。攻守が見えないところで入れ替わると、今なにが起きたのか分からなくなる。
すると、首を動かす。モニターを見る。実況を聞く。周囲の反応を見る。リングに戻ってきた選手の様子から、見えなかった場面を頭の中で補う。
今回は実況放送を聞きながら観戦していた。
目ではリング上の身体情報を受け取る。耳では実況から選手名、技名、試合展開、文脈が入ってくる。見えない部分を補うには便利だったが、そのぶん脳は忙しい。
写真も撮りたかった。
近い席だからこそ、撮れる瞬間はたくさんある。けれど、スマホの画面を見ている間にも試合は進む。写真を撮るか、肉眼で見るか。構図を見るか、攻防を見るか。その判断もずっと続く。
試合中は長く感じた。
一つ一つの攻防、一つ一つの音、一つ一つの視線移動に情報量があるからだと思う。
でも、全部終わったらあっという間だった。
近い席は、脳の筋トレみたいだった。
少しだけイマーシブだった
この日は、紙テープを投げる機会もあった。
「ご協力お願いします」と言われて、快く引き受けた。
けれど、いざ投げるとなると少し緊張する。
いつ投げればいいのか。
変な方向に飛ばないか。
選手に当てないか。
周りの邪魔にならないか。
やることは単純なのに、「ちゃんとやらなきゃ」と思うと、観客席にいる自分にも小さな役割が発生する。
入場曲が流れる。
その選手の紙テープを手に取りアルミホイルから取り出す。
右手に握りながら選手の入場を目で追う。
選手がポーズを決めて、紙テープが投げ入れられるのを確認してから
自分も投げ入れる。
なんとかリングに届いて一安心。
こちらが一息ついている間にリング上の紙テープをセコンドの選手やレフェリーが素早く集めてリングの下に片付ける。垂れ幕の下から覗く凄い量の紙テープ。
前回の後楽園大会では、シャッターチャンスとカメラを構えて写真を撮っていた紙テープの投げ入れ場面。それを成立させていたのは、こういう一人一人の行動だった。あらためて、お疲れ様です、と頭が下がる思いがした。


場外で退避する場面もあった。
メインイベント、荒井選手と上福選手のプリンセス・オブ・プリンセス選手権試合での場外乱闘だ。上福選手が荒井選手を連れまわし、椅子を使って攻め立てる。
スタッフや周囲の動きに合わせて、席を立って退いた。
その瞬間、客席は完全に外側ではなくなった。
リング上で起きていることを遠くから眺めるのではなく、試合がこちら側にやってくる。自分の身体の置き方も、その場の一部になる。

イマーシブシアターのように、観客参加を前提に設計されたものではないのかもしれない。
それでも、紙テープを投げ、場外が来たら少し退き、見えない部分を補うために首を動かし、モニターを見て、実況を聞く。
その小さな判断と参加の積み重ねが、少しだけイマーシブ的だった。
この日のリングの振れ幅
この大会は、ただ一つの味だけではなかった。
序盤は、まず東側2列目という席に自分の目と耳を慣らしていく時間だった。
第1試合の6人タッグは、人数が多いぶん、視線をどこに置けばいいのか少し迷う。リング上の選手だけでなく、エプロンで待つ選手、カットに入る選手、場外の動きまである。近い席で見ると、タッグマッチや多人数マッチは「たくさん見える」のではなく、「見なければならない場所が増える」のだと分かる。
メインの選手の攻防に見入っていたら他の選手がカットに入る。
その選手を目で追っていたら、攻防は場外へ。
視線をリングに戻すと選手の攻守が入れ替わる。
リング上の出来事は常に動いている。

第2試合のYuuRI選手と七瀬千花選手のシングルは、逆に見やすかった。人数が少ないぶん、攻防の線が追いやすい。シングルマッチは、近い席で見ると「この技が効いている」「ここで逃げた」「ここで流れが変わった」という変化が比較的見えやすい。
力と力のぶつかり合い。
エルボーやキック、タックルの音。
戦い方が似ている選手同士だからこそ、経験の差、技量の差はどんなところで出てくるのか。そんなことを考えながら観戦した。
第3試合の上原わかな選手と凍雅選手の試合は、試合後の空気まで含めて印象に残るタイプだった。勝敗だけでなく、握手に応じずに去るような振る舞いまで含めて、リング上の出来事は次の感情へつながっていく。プロレスは試合終了のゴングで完全に終わるのではなく、その後の表情や態度でも続いている。
そして第4試合で、風城ハル選手とMIRAI選手のシングルマッチが来た。
自分は風城ハル選手を応援している。相手がMIRAI選手である以上、キャリアの差も、身体の圧も、簡単な試合ではないことも分かっていた。
だからこそ、どうやったら勝てるのかをずっと考えながら見ていた。
次から次へと技を繰り出すMIRAI選手。技を受けていてもパワーで風城選手を振りほどき、受けから攻めへ瞬時に切り替える。
そこに食らいついていく風城選手。
風城選手がMIRAI選手に持ち上げられながら腕を極める場面があった。
おお、と思った。
その瞬間、確かに気持ちは上がった。けれど、同時に冷静な自分もいた。
でも、これではフォールまで持っていけない。
あと何があればいい。
どうすれば勝ち切れる。
選手でもないのに、ずっと攻略方法を考えていた。
最初に東京女子プロレスを見た時、自分は試合の見方すらよく分かっていなかったと思う。誰がどういう選手で、どういう関係性があって、どの技がどれくらい効いているのかも、ほとんど分からなかった。
それが今は、応援している選手がどうすれば勝てるのかを考えている。
もちろん、自分が何かできるわけではない。ただの観客である。
でも、近い席で見ていると、攻防に引っ張られる。目の前の一つ一つの動きに、勝ち筋を探してしまう。
遠い席なら、もっと試合全体を眺めていたかもしれない。
でも東側2列目では、攻防がこちらに迫ってくる。
だから、考えてしまう。
これもまた、少しだけイマーシブな感覚だった。
もちろん、そんな簡単に答えが出るはずはない。
それでも、応援する選手の敗戦を目の当たりにして、不思議と悔しさだけにはならなかった。
次はどうやって勝てるのか。
そのことを、まだ考え続けていたからだ。

第5試合は、Twilight Rouge presentsの3WAYタッグマッチだった。
ここで大会の空気が一度、はっきりと変わった。勝敗のある試合でありながら、企画試合としての楽しさもある。中島翔子選手とハイパーミサヲ選手、らく選手と原宿ぽむ選手、HIMAWARI選手と芦田美歩選手。組み合わせからして、試合の情報量が多い。
自分のようにすみぺをきっかけに来た観客にとっては、Twilight Rougeという言葉がリング上に持ち込まれていること自体が面白かった。上坂すみれさんの側の文脈が、プロレスの試合形式に変換されている。
そしてこの試合後、目録贈呈からアイアンマン王座の移動劇へつながっていく。
この大会の中で、ここは明らかに特異点だった。
個性の強い選手たちがそれぞれの個性を存分に発揮して暴れ回っていた。
時に協力、時に裏切り、時に乱戦。
以前の自分だったら、きっと訳が分からなかったと思う。
でも、この2か月で観てきた試合や過去大会の配信のおかげで、それぞれの選手の個性が少しずつ分かってきた。
だからこの試合は、ある意味で答え合わせのようでもあった。
勝利した享楽共鳴への目録贈呈時、突如として牙をむいた中島翔子選手によってアイアンマン王座が移動。その後すぐにハイパーミサヲ選手に移動。さらに原宿ぽむ選手に移動。その後も裏でDDTの平田選手に移動したらしい。

第6試合からは、タイトルマッチの濃度が一気に増した。
鈴芽選手と桐生真弥選手のインターナショナル・プリンセス選手権は、直前までのドタバタから、きちんと勝負の空気へ戻っていく試合だった。
東京女子プロレスの面白いところは、笑いと真剣勝負が同じリングに並んでいても、どちらかがどちらかを壊さないところだと思う。
さっきまでアイアンマン王座が目まぐるしく動いていて、会場には笑いがあった。けれど、タイトルマッチが始まると、自然と見る側の姿勢も変わる。
鈴芽選手のスピードと明るさ、桐生真弥選手の独特の粘り。
同じリングなのに、試合ごとに味が変わる。
プロレスは一つの興行の中で、こんなに空気を切り替えられるのかと思った。
セミファイナルのプリンセスタッグ選手権は、さらに情報量が多かった。
タッグマッチは、近い席で見るほど忙しい。誰がリング上にいて、誰がカットに入って、誰がどこで待っているのか。しかもタイトルマッチなので、一つ一つのカットや連携が軽く見えない。
渡辺未詩選手と辰巳リカ選手の王者組。
瑞希選手と高見汐珠選手の挑戦者組。
その中で、自分にとって特に印象に残ったのは高見汐珠選手だった。
4人の中では一番若手に見える。だからこそ、どうしても「どこまで届くのか」を見てしまう。王者組の圧、瑞希選手の存在感、その中で高見選手がどれだけ自分の時間を作れるのか。
近い席で見ていると、タッグマッチは単に人数が多い試合ではなく、視線の置き場所を試される試合だった。
一人を追えば、別の場所で流れが動く。
連携を見れば、カットが来る。
カットを見れば、次の攻防が始まる。
東側2列目の脳の忙しさは、セミファイナルでさらに強くなった。
そしてメインイベント。
荒井優希選手と上福ゆき選手のプリンセス・オブ・プリンセス選手権。
上福選手は新コスチュームで登場した。それを迎える荒井選手には王者としての華やかさがあり、同時に、この日の最後を背負う人としてリングに立っている感じがあった。
上福選手は、飄々としていて、軽やかで、でも軽いだけでは終わらない。
見た目の華やかさや言葉の軽妙さの奥に、ちゃんと積み重ねてきた時間があるように見えた。
この試合は、単に荒井選手が防衛するかどうかだけではなく、王者としてどう大会を締めるのかを見る試合だったと思う。
激しい顔面攻撃の応酬。場外乱闘。蹴り合い。荒井選手と上福選手だからこその戦いがそこにはあった。
そして荒井選手は防衛した。
そのあと、山下実優選手が現れた。
自分はまだ東京女子プロレスを見始めて日が浅い。それでも、山下実優選手が出てきた時の空気が変わったことは分かった。
大会が終わったはずなのに、終わらない。
今日の満足感の先に、次の緊張感が置かれる。
プロレスは、一つの大会で完結するようでいて、次の大会へ向かって続いていく。
この日、後楽園ホールのリングには、笑いも、タイトルマッチの緊張感も、応援している選手の敗北も、次へ続く物語もあった。
それを東側2列目で浴びていた。
放送席ゲストでは終わらない上坂すみれさん
この日の後楽園ホールには、上坂すみれさんがいた。
放送席ゲストとして。
ただ、それだけではなかった。
上坂すみれさんは、アイアンマンヘビーメタル級王者でもあった。さらに、Twilight Rouge presentsの試合もあった。
自分にとって、上坂すみれさんは東京女子プロレスへの入口だった。
両国で見た時は、「上坂すみれさんが東京女子プロレスに出る」という出来事そのものが、自分を会場に向かわせた。
しかし、今回の後楽園で再見した上坂すみれさんは、もう単なる入口ではなかった。
放送席に座っている。ゲストとして紹介される。けれど、アイアンマン王者である以上、油断ならない。プロレスの文法の中にいる。
Twilight Rouge presentsの試合後、勝利チームへの目録贈呈があった。ここで終わるのかと思ったら、終わらない。
王座が動いた。
上坂すみれさんが噛みつかれてギブアップし、3か月守ってきたベルトが移動する。そこからまた王座が動く。次々と王者が変わっていく。
これがアイアンマンヘビーメタル級王座なのか。
そう思いながら笑っていた。
放送席ゲストでさえ、プロレスの出来事に巻き込まれる。
両国で見た上坂すみれさんは、東京女子プロレスへの入口だった。
後楽園で再見した上坂すみれさんは、もう入口ではなく、東京女子プロレスの出来事の中にいた。
その見え方の違いが面白かった。
ロープワークの線がつながる
そして風城ハル選手について、実況で印象的な話を聞いた。
上坂すみれさんが両国大会に出るにあたって、道場でロープワークに触れた時、その先生をしていたのが風城ハル選手だったという。
気になって、試合後の特典会で本人に聞いてみた。
「実はそうなんです」
風城選手は、少し笑いながらそう教えてくれた。

自分が東京女子プロレスを見るきっかけになったのは、上坂すみれさんだった。
その上坂すみれさんがリングに立つために触れたプロレスの基礎。その裏側に、今自分が応援している風城ハル選手がいた。
ただの偶然かもしれない。
けれど、自分の中では、きっかけだった人と、今見ている選手が一本の線でつながった気がした。
再見したのは、上坂すみれさんだけではなかった
この日、自分は後楽園ホールのリングで上坂すみれさんを再見した。
でも、見えたものは両国の時と同じではなかった。
放送席ゲストの上坂すみれさんは、アイアンマン王座の流れに巻き込まれていた。
応援している風城ハル選手は、上坂すみれさんのロープワークの先生だった。
荒井優希選手は王者として防衛し、次の挑戦者が現れた。
自分は東側2列目で、首を動かし、実況を聞き、紙テープを投げ、場外で少し退きながら、東京女子プロレスを浴びていた。
再見したのは、上坂すみれさんだけではなかったのかもしれない。
自分の中の、東京女子プロレスの見え方そのものが、少し変わっていた。
後楽園ホール東側2列目の味は、そこに座るまで分からなかった。
近い席は、ただよく見える席ではない。
観客を少し能動的にする席だった。
その忙しさも、疲れも、笑いも、緊張も、全部ひっくるめて、現地でしか味わえないプロレスの味だった。
