パリの瀟酒な建物たちの裏側は、室外機で醜悪なことになってるかもしれないってのにね|||シン小説 No.030
パリで、エアコンの盗難が増えている。
最初は、あまり実感がなかった。
「パリの気温が50度を超えるかもしれない」
そんな話が、ニュースとして普通に流れている。
少し前なら、SFの中にしか出てこなかったはずの温度だ。
そもそも、最高気温が25度を超えることは、ほとんどなかったはずの街だ。
慌てて、エアコンが完備されている公共機関を開放したり。
それには美術館も含まれていて、その無料開放は、観光客にはよろこばれているらしい。
暑くなれば、需要が増える。
需要が増えれば、盗難も増える。
それだけのことだと思っていた。
被害の内容は単純だった。
設置業者を装った人間が建物に入り、室外機だけを取り外して持ち去る。
この街の建物は、もともとエアコンを設置するようにはできていない。
石造りの壁に穴を開けるのは難しい。
景観の問題もある。
表通り側には、設置できない。
だから室外機は、たいてい中庭に向けて取り付けられる。
見えない場所に、押し込めるように。
そういうものだ。
「ただの窃盗だ」
上司はそう言った。
書類をめくりながら、視線すら上げなかった。
「同じ手口だし、転売目的だろう。この暑さだ。買うやつはいくらでもいる」
間違ってはいない。
だから私は、それ以上なにも言わなかった。
私は自分の見た目に、それなりの自信を持っている。
同僚の何人かは、暑さが厳しくなると決まって同じことを言う。
気温が上がれば、女性の服は薄くなる。
それは悪くない、そういう類いの話だ。
彼らは私の名前を呼ぶとき、
ときどき少しだけ声の調子を変える。
イブ、という名前のせいかもしれない。
イブは、もう薄着を通り越して、裸だからな、エデンの園では。
理由はどうあれ、視線を集めること自体は、私にとって特別なことではない。
だから、それについて考えることはあまりない。
違和感を覚えたのは、三件目だった。
どれも似たような建物で、似たような中庭を持っている。
石に囲まれた、閉じた空間。
そこに、室外機が並んでいる。
いや、並んでいた、というべきかもしれない。
盗まれているはずなのに、
一部だけが、残されている。
その残り方が、妙に整って見えた。
四件目の現場で、私は足を止めた。
中庭の壁に沿って、室外機が等間隔に設置されている。
古いものと新しいものが混ざっているのに、高さが揃っている。
偶然だと言われれば、それまでだ。
ただ、そういう偶然が、続いていた。
「気にしすぎだ」
上司は言った。
「配置なんて業者の都合だ。それに、盗まれてるのは事実だ」
事実、だ。
室外機はなくなっている。
被害は出ている。
犯人もいる。
それで十分だ。
五件目の現場で、私はひとつの室外機の前にしゃがみこんだ。
取り外された跡には見えなかった。
むしろ、そこに置かれたように見えた。
側面に、小さな刻印があった。
数字だった。
最初は製造番号だと思った。
ただ、その数字は、どこかで見た気がした。
同じ並びの中で、
同じ位置にあるものにだけ刻まれている。
そんな気がした。
私はそれを報告しなかった。
証拠にならないし、説明もできない。
中庭には、風が通らない。
石の壁に囲まれて、熱だけがそこに留まっている。
かつては美しかったのかもしれない中庭は、いまはすべてが乾ききっている。
長くいられる場所ではない。
だから、誰も気にしないのかもしれない。
あれは、取り外されたのではなく、
置かれているのではないか。
そんな考えが、頭から離れなかった。
盗むのではなく、置く。
減っているはずなのに、
なぜか、整っていくように見えた。
私は室外機の刻印をスマートフォンで撮影した。
それから現場を離れた。
写真の中で、それらは、現実よりもはっきりと整って見えた。

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